豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

宇野重規『民主主義とは何か』(講談社)

2021年03月13日 | 本と雑誌
 
 宇野重規『民主主義とは何か』(講談社、2020年)を読んだ。

 日本学術会議会員の任命を菅首相が拒否した事件をきっかけに、宇野さんという人がどのような主張をした人で、何が理由で「総合的、俯瞰的に」学術会議会員として不適切と判断されたのかを知りたくて、彼の本を読んでいる。
 『民主主義のつくり方』に次いで、この本が2冊目。前の著書と同じく、古代ギリシアからヨーロッパ、アメリカを経て、日本の民主主義の歴史をたどるのだが、前書と同様ぼくにはこの本を要約する能力はない。以下は取りとめのない感想文。

 「民主主義」についての教科書を目ざした本書は、冒頭で読者に対して3つの設問を出題する。いずれも相対する2つの命題のどちらが正しいかを問うものである。
 A 「(1) 民主主義とは多数決だ、より多くの人が賛成したのだから、反対した人も従ってもらう必要がある」VS「(2) 民主主義の下、すべての人間は平等だ。多数決によって抑圧されないように、少数派の意見を尊重しなければならない」
 B 「(1) 民主主義国家とは、公正な選挙が行われている国を意味する。選挙を通じて国民の代表者を選ぶのが民主主義だ」VS「(2) 民主主義とは、自分たちの社会の課題を自分たち自身で解決していくことだ。選挙だけが民主主義ではない」
 C 「(1) 民主主義とは国の制度のことだ。国民が主権者であり、その国民の意思を適切に反映させる仕組みが民主主義だ」VS「(2) 民主主義とは理念だ。平等な人々がともに生きていく社会をつくっていくための、終わることのない過程が民主主義だ」(4~6頁)

 著者は、すべての問いに、「(1)だけれど、(2)でもある」という答えを用意しているようだが(244頁~)、その調整の議論の中で、つねに民主主義に対しては批判が伴ってきたことを紹介する。Aに関しては、古代ギリシアで、プラトンが多数決に反対して哲人政治を唱え、近代ではミルやトクヴィルが「多数者の圧政」に 対して少数者の自由の尊重を唱えた。
 Bに関しては、普通選挙は重要ではあるが、投票だけでなく当事者意識を持って参加することや、強大化した執行権を抑制するための監視が重要であること、そして、Cに関しても、民主主義は制度であるにとどまらず、私たちの生活を律する理念(永久革命)でもあることを指摘する。
 アメリカ建国の父たちの間では多数の貧民たちの力で議会が強大化することへの危惧が強かったこと(104頁)、ミルの「代議制」論では一人一票ではなく能力に応じて複数投票(一人複数投票)を提案していたこと(165頁)、ウェーバーの議会に優越する大統領論(178頁)、シュミットの「民主的独裁論」(187頁)、シュンペーターの「エリート民主主義論」(195頁)など、不勉強なぼくは知らない議論が多かった。ウエーバーが100年前のスペイン風邪で死んだなどというトリビアな知識も得た。

 それにしても、政治思想の歴史の中で「民主主義」がこんなに不評だったことは衝撃的だった。それほどに、ぼくは「民主主義」を信じてきた。
 「民主主義」や多数決の胡散くささは百も承知である。一生懸命熟考して投票しても一票、何も考えずに投票した人も一票、それどころか接待疑惑の政治家でも、臨時給付金を不正に受給した輩でも一票というのは不愉快ではあるし、衆議院議員の定数はせいぜい300人で十分だと思うが、それでも少なくとも戦後日本の国政選挙を見れば、結果的にはそれぞれの時代の平均的な人々の意向は反映されてきた、とぼくは思う。ぼくは多数決を疑う気にはなれないし(ミルの複数投票制も気持ちは分かるが、誰に2票与えるかの基準はないだろう)、多くの同時代の人たちの間で「心の習慣」としてのデモクラシーはそれなりに定着していると信じている。
 ただし、戦後日本の「自由主義」の状況については強い危機感を抱き続けてきた。少数者の権利、自由に対して、立法権、司法権だけでなく、日本社会はあまりにも狭量である。
 
 個人的には、宇野氏の「民主主義」の立場からの、現代日本政治の分析を読みたいと思う。
 民主主義と自由主義、民主主義と共和政、政党とその他の結社、代表制と代議制、立法への参加と執行権の監視、、民主主義とポピュリズム、民主主義と個人主義=個人の孤独(孤独担当相!)、大正デモクラシーと戦後民主主義の対比など、この本で紹介された政治思想の検討からは、現代日本の政治に対してどのような評価と対処法が示されるのだろうか。
 「民主主義」とは、「普通の人々が力をもち、その声が政治に反映されること、・・・そのための具体的な制度や実践」を意味し、むしろ「民主力」というべきものである(36頁)。そして、「政治」とは、「公共の場所において、人々が言葉を交わし、多様な議論を批判的に検討した上で決定を行なう」という宇野氏の定義からは(48-9頁)、現代日本の政治に処方できるクスリはあるのだろうか。
 戦争と民主主義の関係についても、古代ギリシアにおけるマラトンの戦いから(61頁)、南北戦争を経て(ゲティスバーグの演説は南北戦争の戦死者を悼むための演説だったという。頁数失念)、第2次世界大戦における総力戦(女性の戦争協力によって戦後女性参政権が拡大した)に至るまで(230頁)、戦争への参加が人々の平準化を促進し、民主主義を発展させたという。現代の戦争と民主主義についてもぜひ聞きたいところである。
 
 読書のきっかけになった学術会議任命拒否であるが、著書を2冊読んだ限りだが、結論的にいえば、総理本人が認めたように総理は彼の業績など読んだこともなく、秘書官か誰だかのご注進通りに、安保法制反対の署名の発起人に名を連ねたのが気に入らないというだけの理由で任命を拒否したという世評が妥当なところだろう。 
 
 2021年3月13日 記


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