最初に質問を。以下の人々の共通点は何でしょうか?
ジョン・レノン、ユトリロ、ジェーン・フォンダ、岡本かの子、ヨーコ・オノ、小川真由美、ジョージ・ガーシュイン、ショーペンハウエル、ヘルマン・ヘッセ、与謝野晶子、マルグリット・デュラス、宮崎駿、曽野綾子・・・。
答えは、表題から想像がついてしまうだろうが、本書によれば、これらの人はいずれも「母という病」の被害者ないし加害者だったという。
岡田尊司『母という病』(ポプラ新書、2014年)を読んだ。
読みかけのまま数年間ほってあったのだが、気になっていたので、きょう通読した。
幼少期の母子愛着(アタッチメント)の形成に失敗した母子関係、とくに子どもがその後どのような困難を背負うことになるかを説いた本である。
胎児期、周産期から3歳くらいまでの間に、母親(母親的役割を担う人でもよい)から母性的な愛情を受けて、基本的安心感を獲得した子はその後も順調に成長し、円滑な人間関係を形成するのに対して、これを受けることができずに基本的安心感の獲得に失敗した子は、その後の人生において多くの困難に逢着する、という。
その実例が、上記の人々の自叙伝、伝記などを通して紹介される。いずれも、かなり悲惨な人生を歩んでいる。これを読んだら、「十二人の怒れる男」のヘンリー・フォンダにもがっかりさせられる。他方で、岡本太郎は大へんな大人物に思えてくる。
岡田の本は最終章で「母という病」の克服法を提案しているが、理解ある人や職場に出会うか(ヘルマン・ヘッセら)、子の側に天賦の才能があるか(岡本太郎、宮崎駿ら)でもない限り、本書で取り上げられたような人でも、「克服」は相当困難であるという印象をもった。後で紹介する加藤尚武の本はもっと悲観的である。
「1歳未満から子どもを保育所に預ける場合、その後の母子関係や子どもの発達に影響が出る場合があることが知られている」という一節があるが(226頁)、本当だとしたら、そうせざるを得ない母親はどうしたらよいのだろうか。
ぼくは、昼間の暖かい日ざしを浴びながら、保母さんが押す(子連れ狼のような)箱車に乗せられて保母さんと一緒に散歩(日光浴?)している1~2歳の保育園児に出会うと、ほのぼのとした気持ちになるのだが。

ところで、教師時代のぼくは、1年生向けの基礎文献講読で、何回か加藤尚武『子育ての倫理学』(丸善ライブラリー、2000年)をテキストに使ったことがある。
内容はほぼ岡田の本に重なる。人間の人格形成には先天的な要因と後天的な要因のほかに、第3の要因として後天的ではあるが3歳までに働きかけなければそれ以降に修復することが不可能な要因がある、という。この第3の要因こそ、母子愛着による基本的安心感の形成である。
加藤の本では、ボウルビイ(『母子関係入門』星和書店、1981年)が援用されていたが、岡田の本には出てこない。基本的安心感の形成は、ぼくは河合隼雄『大人になることのむずかしさ』(岩波書店、1983年)で学んだ。


ぼくの基礎文献講読に出席した受講生の多くは、加藤の本で学んだ母子愛着の議論に深く共感するものが多かった。3年生になってぼくのゼミに入ってきて、母子愛着をゼミ論のテーマに選んだ女子ゼミ生もいた。女子学生の社会進出の心理的な妨げになっていなければよいと思うが、それでも学生時代に考えておいてほしいテーマだと思う。
2021年3月15日 記