法律雑誌の編集者時代にぼくが出した企画で、実現しなかったものの一つに、「建築でたどる日本近代法史」というのがあった。
編集者時代の一時期、建築物に多少の興味を持った時代があった。
きっかけは、長谷川尭の「神殿か獄舎か」(だったか「建築の現在」)に載っていた彼のエッセイの中の一文だった。
現在の最高裁判所庁舎の設計コンペに際して主催者が提示した建築条件のなかに、新しい最高裁の建物の天辺の標高が国会議事堂と同じであることという一項目があったと書いてあったのだ。
唖然とした。三権分立、司法権の独立に対する何という志の低さか! 近代立憲主義国における裁判所の権威は、違憲審査権によって立法府における多数派の専横を抑止して、少数派の権利を擁護することによって保たれるのではないか。それが、建物のてっぺんの高さを国会議事堂と同じ「標高」にしろとは・・・。
憲法を守らないトランプを二度と大統領の地位につかせてはならないと、かつて彼のもとで副大統領を務めたペンス元副大統領が立候補宣言で語ったと報道されているが、彼我の差を感じないではいられない。ウォーターゲート事件発覚の際に、「アメリカは腐っても鯛だ」といった久保田きぬ子さんの言葉を思い出す。
おそらく長谷川のこの本などをきっかけに、建築物で近代日本の法史を語ることはできないかと考えたのであった。
おりしも1980年代は、明治以来の歴史的建築物が次々と取り壊され、建てかえられる時期にあった。新聞などでも、歴史的建築物が取り壊される事件が時おり報じられていた。企画するなら今しかないと思った。
しかし、適任の筆者が思い当らなかった。建築史家はいるが、法律雑誌の読者にむけて、その建築物にまつわる法律史のエピソードを書いてもらえるか不安がある。
当時だと、慶応大学の法制史、手塚豊先生の門下には適任者がおられたかもしれない。同大学の法制史研究者が執筆した論考には、登場する歴史上の人物の墓所の所在地や、墓碑銘まで紹介したものがあったように記憶する。しかし、残念ながら、私は企画の相談にのってもらえるほど親しい慶応の法制史の先生に知り合いがいなかった。
そんなことで、結局この企画はお蔵入りになってしまった。
今さらとは思うのだが、その当時この企画のためにスクラップしておいた新聞記事が、これまたわが断捨離の途上で出てきたので、ここにいくつか掲載しておく。
第1回は、旧松本裁判所庁舎である。
1981年(昭和56年)6月29日付の朝日新聞に、「市民が作った司法博物館」「永久保存される旧松本裁判所庁舎」という白井久也編集委員の署名記事がある(上の写真)。
松本市にある長野地方裁判所松本支部庁舎は、明治41年に建設され、現存する裁判所建築としてはわが国最古のものだが、取り壊しが決まったところ市民の間から反対運動が起こり4年越しの運動の末に、「日本司法博物館」として永久保存されることが決まったという。
旧松本裁判所庁舎が「現存するわが国最古の裁判所建築物」かどうかは、次回紹介する篠山裁判所が明治24年建築というから疑問が残るが、記事と一緒に掲載された和風、瓦葺で二階建ての写真を見ると、最近のどこも似たり寄ったりのコンクリート造りの裁判所庁舎とちがって、威厳と雰囲気が感じられる。
「天皇の名において判決を下していた戦前の裁判官のほうが(戦後の裁判官より)責任感が強かった」と、戦前を知る人権派の弁護士が語っていたが、そういう心情を培う雰囲気が裁判所の庁舎にはあったのかもしれない。
2023年6月14日 記