「建築でたどる日本近代法史」の連載(?)第1回の旧松本区裁判所、第2回の篠山区裁判所ではどんな事件が裁かれたのか、第一法規の<D1-Law>で検索したところ3件の判例が見つかった。
1つ目は、松本区裁判所昭和4年12月12日判決(法律新聞3062号5頁)である。「鶏姦に基く金銭の遣り取りと公序良俗」という見出しの通り、鶏姦(男色行為)をめぐる特異な事件である。
A男とB男はともに妻のある身でありながら鶏姦関係にあり、行為のたびにA男(判決では鶏姦者と表記)はB男(被鶏姦者)に対して金員を支払っており、その総額は350円余になった。しかしB男は健康を害したためA男に対して関係の解消を求めたところ、A男は関係を解消するならこれまでに支払った350円余の金員を返還せよと要求し、B男は仕方なく350円余をx月x日までにA男に返済する旨の消費寄託契約を結び、B男の妻がこれを保証した。その後、A男は右消費寄託にかかる債権をXに譲渡し、XがB夫婦に対してその支払いを請求したというのが本件の経過である。
※「消費寄託」というのは、AがBに物(金銭でもよい)を預け、Bはその預かった物を使ってもよいが、期限が来たら同量・同品質の物(350円預かったなら350円)を返還しなければならないという契約である(民法666条)。
判決は、「AB共に妻ある身でありながら、秘かにこの様な男性間の性情行為をすることは、社会の善良の風俗に反すること甚しい。故に、こういう原因のために既に遣った金の取り返しを請求することができないのは勿論、醜関係を絶つことを条件として、新たに金の支払いを約束することも亦善良の風俗に違反する事柄を目的とする無効の法律行為である。社会の道徳に背く行為を法律は保護すべきではない」。したがって「本件契約は無効であるから、AはBらに対してこの契約を盾にとって金を支払えと迫ることもできないし、この権利を譲受けたと称するXの請求も赦されない」として、Xの請求を棄却した。
事案が微妙なので配慮が必要だが、法学部の民法の授業でも「公序良俗違反の法律行為(契約)の効力」の事例として使えそうな事件である。
なお、この判決には不思議な注記がある。判決自体に書いてあるのか、法律新聞編集部で付けたものかは判別できないが、「この事件には弁護士もついておらず、当事者は無学なので、判決文は平がな、口語体にした」というのである。上の引用では少し簡略にしたが、もともと読みやすい判決である。なかなか気の利いた配慮ではないか。
裁判官は「千種達夫」とある。有名な裁判官で著書もあるが、法律書のほかにも満州の家族慣行調査の報告書もある。
母校早稲田大学のHPによれば、千種は明治34年生まれで、同大法学部を卒業後、助手を経て昭和4年5月に長野地裁松本支部判事となり(松本区裁判事だろう)、「三宅正太郎らと口語体判決文を書き始め、国語愛護同盟の法律部メンバーとして法律文の平易化を模索」したとある。
上記判決はまさにその実践だったのだろう。松本区裁に着任して7か月目の判決である。戦後は国語審議会委員も務め「公用文法律用語部会」に属したとあるから、法律用語の平易化に熱心な人だったようだが、このことをぼくは知らなかった。
2つ目は、松本区裁判所大正13年6月10日判決(法律新聞2296号21頁)である。この事件は、手形金の請求と(手形振出の)原因である保証契約に基づく保証金の請求とは請求原因を異にするから、訴えの変更が必要である旨を判示した。
3つ目だが、第2回の篠山区裁判所時代の判例は、第一法規の<D1=Law>には1例も掲載されておらず、神戸地方裁判所篠山支部になってからの判例が1件だけ掲載されていた。神戸地裁篠山支部昭和48年2月7日判決(判例タイムズ302号281頁)である。
合名会社の代表社員の職務執行停止等の仮処分は、民事訴訟法760条の「仮の地位を定める仮処分」として許される旨を判示した。篠山地区のどこかの合名会社で、不適切な行為を行なった代表社員を解任するために、他の社員がその前提としてひとまず職務を停止させようとしたのだろう。
この判決を下した裁判官が「稲垣喬」となっている。稲垣喬さんといえば、医事法の世界では名前を知られた学究肌の裁判官で、著書や論文もある。私も何本か読んだことがあるが、文章が堅くて難解だった印象がある。篠山支部にいたこともあったのだろうか。神戸地裁と併任だったのかも。
篠山区裁判所時代の判例を見つけることができなかったので、代わりに、丹波篠山市立歴史美術館のHPに掲載された同美術館内に保存されている篠山区裁判所の法廷の写真を(上の写真)。
戦前の裁判所の法廷では、裁判官と検察官は被告人および弁護人より一段高い席に座って、被告人を見下ろしていたと聞いたが、篠山区裁判所では裁判官だけが一段高い席に座って、検察と被告は対等な平座に座っていたようだ。
あれこれと資料を彷徨していると、今なら「建築でたどる日本近代法史」を自分で執筆できるのではないかと思えてきた。
旅行をして旅先を散歩していると、時おり裁判所の建物を見かけることがある。先日の佐賀旅行の折にも佐賀地裁唐津支部を見かけた。残念ながら唐津支部はコンクリートの二階建ての平凡な建物だったが、支部裁判所の中には昭和の面影を残すものもあるのではないだろうか。とくに廃庁となってしまった支部の中には建物が残っているのもあるのではないだろうか。
由緒ある歴史的建築物の由来をたどりながら、雰囲気のある地裁支部(区裁判所)の建物と、その裁判所で下された印象的な判決を紹介するというパターンだけでも数回分は書けるような気がする。
2023年6月17日 記