豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

高見順「昭和文学盛衰史」

2024年11月22日 | 本と雑誌
 
 高見順「昭和文学盛衰史」(文春文庫、1987年、原著は文藝春秋新社、1958年)を読んだ。

 平野謙「昭和文学私論」で知った本だが、尾崎一雄の「あの日この日」と同様に、昭和文学史上の作家と彼らを取り巻く社会情勢の推移を回顧する。文庫本で600頁になんなんとする圧巻の書である。 
 「事実は小説より奇なり」で、本書に登場する作家の多くの作品をぼくは読んでいないが、高見の目から見た登場する作家、編集者その他の人物たちの言動は、彼らの作品を読んでいなくてもきわめて興味深く、面白く読んだ。彼らの多くを襲った困難を思うと軽々に面白かったなどとは言えないのだが。
 多くの作家たちの様々なエピソードが語られているが、本書の中心的なテーマは、大正末から昭和初期にかけてプロレタリア作家として文壇に登場した作家たちが、日中戦争の影響が日本社会にひろがり日本が軍国主義化し、作家に対する政府の弾圧が強まっていく過程で、どのような動機で、どのような形で、どのような方向へと「転向」していったかということだろうと思う。すべての作家が一様にプロレタリア文学から皇道文学や戦意高揚文学へと急旋回したわけではない。
 小林多喜二の拷問による虐殺が著者らに及ぼした影響も語られるが、他方では 島木健作に誘われて高見が志賀高原の発哺温泉に滞在した折に、同宿した小林秀雄、丸山真男、桑原武夫らと交流し、同地で片岡鉄平(一家)と出会ったことなど、ほっとするエピソードもある。発哺で島木は「嵐のなか」という「日本評論」の連載を執筆していたという(454頁~)。

 『新潮』9月号に、当時の東北帝大教授の新明正道が、編輯部からのもとめで畑違いの『文学的雑感』を書いている。自分の「贔屓作家」は丹羽文雄であるとして、その愛読したいくつかの小説の感想を激賞に近い言葉で述べて、この丹羽文雄の小説は自分の大学の学生が愛読している「知性的作家」などの「及び難い精神的な気魄を感じさせる」とも書き、「この逞しさもった作家が積極的に生活と取り組んだ人間を書く場合の素晴らしさを想像し、かくて丹羽氏を嘱望することになった」と言っている。文芸評論専門の批評家がややもすると、作家の欠点のみをあばき立てがちなのに反して、これは作家の長所を見抜いて、その点で作家の成長を鼓舞している、暖かい親切な文章であった。この文章のはじめに、こんなことが書いてある。
 私(新明)が丹羽氏のものを読んでいるなどと言うと、大分意外に思う人があるに違いない。丹羽氏にある概念をあてはめておる世間は、同時に私などにもある概念をあてはめていて、二つの概念を結びつけるのを妙に感じるのではないかと思う。丹羽氏は今でもなお軟派がかった風俗作家と考えられているが、私はまた誰かが誤ってカント学者と評したほど硬苦しい文章で硬苦しい意見を述べ立てている一学究者である。私が丹羽氏を贔屓にしているのは、一面たしかに不似合である。だが、それにも拘らず私が丹羽氏のものに注意を払っているのは事実である。・・・(中略)数名の文学者が軍部の肝煎りで中支見学に行ったが、その顔触れの中には氏も入っていた。・・・なかには人選の杜撰を指摘して、時局的な意識のない連中も入っているという悪口も飛んだ。氏などは当然非難された一人であることは明瞭であった。」(以上は高見による引用、492頁~)

 昭和15年の近衛「新体制」(このことは6月24日に荻窪の荻外荘で発表され、7月7日近衛の軽井沢別邸の記者会見で具体的内容が示されたという)に対処するために、文学界でも10月14日に「日本文学者会」が立ち上げられた。阿部知二、伊藤整、川端康成、小林秀雄、島木健作、林房雄、尾崎士郎、火野葦平らの他に、高見や尾崎一雄も入っている。かれらの主観では、このような「新体制」勢力が文学界に介入してくることに対する防波堤になろうという意図だったようである。
 しかし、丹羽には声はかからなかった。丹羽は、メンバーから外されたのは高見順の讒言があったからであるという友人のデマを信じ、高見に対して抗議の手紙を出した(丹羽は昭和23年の「告白」でこの間の事情を小説にしている)。これに怒った高見はそのような事実はない旨の反駁の手紙を出し、丹羽から謝罪の手紙が返ってきたという(~491頁)。この会に(入って然るべき立場にあったのだろう)丹羽や石川達三が入らなかったのは、上に引用した新明が書いているような「ある概念をあてはめておる世間」の「非難」を恐れたというのが、彼らを参加させなかった本当の理由だろう、そのような理由で彼らを加入させないことを承認した私(高見)も「非難」の側に回っていたということであり、「犯罪が行なわれるのを傍観していたようなものである」と高見は反省する(496頁)。

 この本も、平野謙「昭和文学私論」で知って興味を覚えた本だが、本書巻末の野口富士男解説によれば、平野謙「昭和文学史」が表通りの文学史であるのに対して、高見の「昭和文学盛衰史」は路地裏にまで分け入った文学史であり、両著は昭和文学史の基本的図書であるという。高見の本書は「周辺の時代状況を克明に記録」した点で、平野の著書と異なる特徴をもっているという。
 それにしても、平野「昭和文学私論」、尾崎一雄「あの日この日」、そして高見の「昭和文学盛衰史」と、どうして昭和の文学史はこんなに面白いのだろう。登場する小説の大部分は読んでもいないし、知らない作家の名前も出てくるのに、同人誌や文壇を背景に演じられる彼らの「人間喜劇」は、彼らの作品を読んだこともないのに面白いのである。尾崎や高見の経験と人間を観察する眼と彼らの筆力によるのだろう。

 2024年11月22日 記

 ※ ちなみに高見「昭和文学盛衰史」には永井荷風は一切登場しない。高見の昭和文学史にとって荷風はまったく無縁の存在だったのだろう。


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