一昨日(2月26日)のNHK「ラジオ深夜便」午前4時からのコーナーに星加ルミ子が出ていた。
星加ルミ子は日本人で初めてビートルズとの単独インタビューに成功した音楽ジャーナリストとして有名だが、ぼくは1960年代の終わり頃に、どこかの民放テレビ局で毎週土曜日の午後にやっていた「スパーク・ショー」の司会というかDJとして覚えている。
「スパーク・ショー」は森永製菓の提供で、星加と木崎義二ともう一人(大橋巨泉だったかも・・・)の3人で進行した音楽番組である。3人の進行役は、スタジオから少し高い「アップダウン・クイズ」の解答者席のようなところに座っていたように思う。フロアでは一般の来場者が曲に合わせてツイストなんかを踊っていた。
「スパーク」というのはその頃森永から出ていた炭酸飲料「森永スパーク」から取ったのだろう。
その星加が、ビートルズとの3回のインタビューの思い出を語っていた。
彼女自身は、デビュー当初のビートルズをそれほど買っていなくて、アルバムが3枚くらい出た頃から評価するようになったという。その頃に所属雑誌社から派遣されてイギリスだかアメリカで最初に出会い、その後ビートルズ来日の折に同じホテル(赤坂東急だったか?)に宿泊するように指示されてインタビューし、最後に「フール・オン・ザ・ヒル」のレコーディング中の彼らにインタビューしたという。半睡状態で聞いていたので、正確かどうかは怪しい。
彼女はジョン・レノンと同じ1940年生れで、ビートルズの200何曲かのうちでは「ヘイ・ジュード」が一番好きだと言っていた。これはぼくも同感。ただし、ぼくの場合は「ヘイ・ジュード」の曲の魅力だけではなかった。
当時ぼくは信濃町にある出版社でサラリーマンをしていたのだが、時おり昼食を食べに行ったスナックにジューク・ボックスが置いてあった。100円でドーナツ盤を1曲か2曲聞くことができたのだが、「ヘイ・ジュード」は最後のリフレインが終わるまで8分以上かかる曲できわめてコスパ(?)がよかったので、しょっちゅうかけたのである。あの頃のヒット曲の中には2分30秒足らずで終わってしまう曲もあった。
でも本当は、同世代だったそのスナックの女の子に「ぼくはヘイジュードが好きだ!」と訴えていたのかもしれない。
デビュー当初のビートルズを好きでなかったという点でも、ぼくは彼女と同じである。
ぼくが中学3年の時に「抱きしめたい」が日本でヒットした。クラスの中にエレキギターを学校に持ってきて弾いているのがいたけれど、その頃のぼくは、ジリオラ・チンクェッティ「夢見る想い」、ボビー・ソロ「頬にかかる涙」、シルビー・ヴァルタン「アイドルを探せ」や、キングストン・トリオ「花はどこへ行った」、PPM「500マイルも離れて」、ブラザーズ・フォア「七つの水仙」などなどが好きで、ビートルズは騒がしくて苦手だった。
ただし、「抱きしめたい」は、これを聞くと中学3年の中学校のあれこれの光景や同級生のことが蘇ってくるので、今ではぼくの好きな曲の1つになっている、
ぼくがビートルズを好きになったのは、いつ頃からだったのかはっきりとは記憶にないが、「イエスタデ―」や「ミッシェル」など落ち着いた曲がはやるようになった頃だったと思う。
今でもぼくの「ビートルズ・ベスト5」は、「ヘイ・ジュード」「ヒア ゼア アンド エブリウエア」「アンド アイ ラブ ハー」「ロング アンド ワインディング ロード」「フール オン ザ ヒル」あたりである。
唯一ぼくが持っているレコードも、「ラヴ・ソングス--ザ・ビートルズ31」(東芝EMI、1977年)というアルバムだけである(上の写真)。2枚組3600円で、英語の歌詞パンフレットと、解説の冊子がついている(下の写真)。
“Love Songs -- The Beatles 31” という「このアルバムで、ザ・ビートルズはロック・バラードの美しさ、優しさをも鮮やかに証明している」とうプロデューサー(ジョージ・マーティン)の言葉が帯(?)に書いてある。
このような変化が、ぼくをビートルズ好きにさせたのだろう。残念ながら、「ヘイ・ジュード」と「フール オン ザ ヒル」はこのアルバムには入っていなかった。
このレコードについた解説の中には、星加ルミ子の解説もあって、ラジオ深夜便で語っていた彼女とビートルズとの交流も書いてある。彼女は「ミュージック・ライフ」という雑誌の編集者で、最初の出会いは1965年のロンドン、アビーロードのEMIスタジオで、最後は1970年のアメリカでの解散コンサートに同行した時だったという。出会いの場面など深夜便を聞いたぼくの記憶と少し違う所もあるが、彼女が日本で一番ビートルズと直接交流できた一人であったことはまちがいないだろう。
2024年2月28日 記