豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

ラジオ放送開始100周年・その4

2025年01月06日 | あれこれ
 
 今年の3月で日本のラジオ放送が開始から100年を迎えるというので、2023年からNHKラジオで、「放送開始100周年記念 100人へのインタビュー」という連続番組をやっている(正式な番組名は少し違うようだ)。
 ラジオ放送に関わった100人に、自身のラジオ放送の思い出やラジオの役割、今後のラジオのあり方などを語ってもらうオムニバス形式の番組である。不定期のようだが、ぼくが不定期で聞いているだけかもしれない。一昨年(2023年)の年末に大沢悠里(TBS)、亀淵昭信(ニッポン放送)、斉藤安弘(同)が喋っているのを偶然聞いた(2023年12月29日)。民放のアナウンサーも起用するとは寛大な人選であると思った。“オールナイト・ニッポン” はよく聞いた深夜放送だったが、どちらかと言えばカメ&アンコーよりは今仁哲夫 のキャラとお喋りが好きだった。
 その後、みのもんた(御法川英文、文化放送)、吉田照美(TBS?)、荒川強啓(文化放送?)なども出ていた。みのもんたの「セイ・ヤング」は聞いていた。荒川は夕方のラジオ番組を覚えているが、吉田の思い出はあまりない。一昨年の年末には中村メイコが出ていたし(その放送当日に亡くなったのではなかったか)、最近では湯川れい子も出ていた。

 そして昨日1月5日、日曜の朝、この番組で吉永小百合がラジオの思い出を語っていた。
 4歳の時に親戚が応募してNHKのラジオに初出演し、「からす」(なぜ鳴くの ♫)を合唱したのだが、吉永だけソロを歌ったと言っていた。その後7歳の時に再び応募して、2万人の応募者の中から選ばれたという。選ばれたのは男女各2人で、吉永の他に選ばれたもう一人の女子が藤田弓子だったという! 番組では初見の詩に自分でメロディーをつけて即興で歌う番組で、審査員の高木東六に褒められたという。
 その後「赤胴鈴之助」(これは当時の東京放送ではなかったか)に主演したという。吉永が赤胴鈴之助だったことは有名な話だが、ぼくにはまったく記憶がない。子供のころからチャンバラは嫌いだった。今でも池波正太郎、忠臣蔵、大岡越前守、NHK大河ドラマなど時代劇は一切見ない。
 子役時代の吉永で覚えているのは、テレビの「まぼろし探偵」が最初で最後、その次は「キューポラのある街」だった。昭和時代を回顧する年末のテレビ番組でも吉永の映像が流れていたが、隣りにすわっていた川端康成にはキャプションが入ったのに、共演の浜田光夫の名前はなぜか入らなかった。
 この日は吉永に続いて小林克也も登場したが、ぼくは彼のラジオ番組にはまったく記憶がない。テレビに出るようになってから何度か見ただけである。

 ぼくの思い出に一番強く残っているラジオ番組は(前にも書いたが)昭和30年代の前半ごろ、夕方の民放(東京放送か?)でやっていた竹脇昌作がDJを務める番組である。日本信販の提供で、番組の合間に「ニッポン しんぱんの クーポン ♬」というCMソングがかかった。「クーポン」というものの意味が分からず、謎めいていて美味しそうだった。竹脇の番組の中でかかった曲では美空ひばり「花笠道中」(「鼻が作動中」と出た!)、三橋美智也「夕焼けトンビ」(?)、ベルト・ケンプフェルト「真夜中のブルース」が懐かしい。世田谷の玉電山下商店街のスピーカーから流れていたのを聞いていたので、これらの曲を聴くと昭和30年頃の世田谷にワープすることができる。広瀬正」によると、昭和30年ごろの梅が丘にはタイムマシンがあった!
 NHKの「放送開始100周年」では、ラジオ放送にまつわるエピソードや資料の提供を呼びかけているが、だれか竹脇昌作のあの番組を録音していた人はいないだろうか。音源が残っているなら聞いてみたいものである。
 なお、この「放送開始100年」では、番組開始前と終了後に入る女性アナウンサーの声と語り方の調子がノスタルジックで好い。そのナレーションのバックに流れるスタンダードの曲も好い。何という曲なのか。

 2025年1月6日 記