豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

堀辰雄『美しい村』(角川文庫)

2021年10月22日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 堀辰雄『風立ちぬ・美しい村・麦藁帽子』(角川文庫、2021年改版50版)から「美しい村」を読んだ。

 「美しい村」と「風立ちぬ」は手元にある新潮文庫に収録されているのだが、新字体(新漢字)、新かな遣いであることと、柴田翔、矢内原伊作、堀多恵子らの解説がついていたので、角川文庫を買ってしまった。断捨離しなければならないのに。

 「美しい村」(昭和9年、1934年)と「風立ちぬ」(同12年)は、「新潮文庫の100冊」(1988年)によれば、「著者中期の傑作2編」ということになる。
 処女作「ルウベンスの偽画」(昭和2年、1927年)から、「聖家族」(同5年)、「恢復期」「燃ゆる頬」(同6年)、「麦藁帽子」(同7年)、「旅の絵」(同8年)あたりまでが前期の作品、「晩夏」、「菜穂子」(昭和16年)、「花を持てる女」「幼年時代」(同17年)、「ふるさとびと」(同18年)などが後期の作品にあたる。「かげろうの日記」(同14年)も後期か。
 河上徹太郎の解説によれば、堀自身が「美しい村」によって「ルウベンスの偽画」以来の自分の青春文学には区切りをつけ、これから自分の本当の文学が始まると宣言しているそうだ(269頁)。
 ※ 下の写真は、人影もほとんどない梅雨時の軽井沢旧道(本通り。2017年7月)。あまり「美しい村」にふさわしい軽井沢の写真がなかったので・・・。
    

 もともとは、軽井沢ないし追分の「ある秋の出来事」を求めて、この9月末から堀辰雄を読み始めたのだが、最後のつもりの「美しい村」は、舞台は軽井沢だが、6月から梅雨を経て夏の始まり頃で終わってしまている。
 軽井沢の秋を訪ねるだけなら「菜穂子」でやめておけばよかったかもしれないが、堀自身とその周辺の人物に興味が湧いてしまったので、もうしばらく付き合うことにした。 

 丸岡明の解説によれば、「ルウベンスの偽画」「聖家族」のモデルは片山広子母娘であり、「聖家族」によって堀は文壇に確固たる地位を得たが、同時に現実社会では娘片山総子との間に軋轢を生むことになてしまったという(259~60頁)。堀は芥川の遺品を整理する作業の中で、片山から芥川にあてた手紙を発見したのではないかと丸岡は推測している。
 「美しい村」で、主人公がその近辺を徘徊しながら近づくことを避ける別荘の主、細木夫人は、庭に羊歯を植えさせたりしているから、「聖家族」の細木夫人で(「ルウベンスの偽画」でグリーン・ホテルにドライブした母娘には名前があったか?)、「恢復期」の「叔母」もその別荘を「羊歯山荘」と称していたことから、「美しい村」の細木夫人すなわち片山広子なのだろう。
 そして、つるや旅館に滞在しながら、毎日大きなキャンバスを抱えて写生に出かける少女は「風立ちぬ」のモデル矢野綾子である。こうして、「美しい村」の堀作品全体のなかでの位置が明らかになる。

 しかし、ぼくはそれらの人物よりも、細木夫人の別荘の庭に羊歯を植える宿屋(つるや)の爺や、スイス風のバンガロウに昨夏まで住んでいた2人の外国人の老婆、水車の道に面して2軒並んだ花屋の主人同士の兄弟げんか、サナトリウム院長の不機嫌なスイス人老医師レイノルズ博士、足の不自由な花売り、力餅を出す峠の茶屋の子どもたちのほうに興味が湧いた。
 ちなみに、水車の道を「本通りの南側」と書いているが(56頁。新潮文庫『美しい村・風立ちぬ』59頁でも「南側」)、堀の手書きの軽井沢地図をみても明らかなように、水車の道(聖パウロ教会前の道)は本通りの「北側」である(丸岡明解説262頁、下の写真)。
 この地図によって「軽井沢ホテル」の位置も知ることができる。郵便局(現在は観光会館)から本通りを挟んだ北西方向斜め向かい、聖パウロ教会の水車の道を挟んだ北東方向斜め向かいにあったらしい。現在は何になっていただろう。
 誰にあてたのか分からないが、この葉書には「神宮寺の枝垂桜がいま満開です」と書き添えてある。神宮寺には今でも枝垂桜があるのだろうか。あるとしたら、何時ごろ満開になるのだろうか。

   

 ぼくが若い頃に読んだ「美しい村」は昭和39年11月発行の新潮文庫40刷である(定価は90円!)。ぼくが中学3年、東京オリンピックの終了直後の出版である。受験を控えたこの時期にこんな本を読んでいたとは思えないから、高校に入ってから読んだと思う。
 あんな面倒くさい主人公の心の動きを当時の(今でも)ぼくが理解できたとは思えない。戦前の旧軽井沢を舞台とした風俗小説くらいに読んだのだろう。
 今回は、小川和佑『“美しい村”を求めて』や丸岡明の解説などを読んで、堀にまつわるあれこれの知識を得ているので、モデル小説として読んだ。 
 主人公は、まだ主人が来軽しない別荘の敷地内に勝手に入りこんでベランダで煙草をふかしたりしている。今だったら警備会社が飛んでくるだろう。のどかな時代だったのだ。

 「美しい村」で、秋の軽井沢を訪ねる心の旅は終わりにしようと思っていた。
 ところが、ぼくは、「菜穂子」に出てくる追分の老舗旅館牡丹屋の「おようさん」の曰くありげな書かれ方が気になっていたところ、「花を持てる女」ではもう一人の「おようさん」が向島に実在したことを知った。この二人の「おようさん」について、もう少し知りたくて「幼年時代」も読んでみることにした。
 堀が目ざした「ロマン」(=虚構)ではなく、現実の「おようさん」を知りたいのだが、「おようさん」は結局は「お杳さん」で終わるかもしれない・・・。                                                                                                                                                                                                                                     

 2021年10月22日 記


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