豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

笹沢左保「死と挑戦」(春陽文庫)ほか

2024年11月01日 | あれこれ
 
 今回は「本」というよりは「断捨離」ないし「本の捨て方」がテーマなので、ジャンルはあえて<あれこれ>としておく。

 段ボールに2、3箱分の文庫本が物置にしまったままになっているが、この10年いや20年以上、ほとんど手にすることもないままに放置してある。「コンマリ」?流「断捨離」のルール、その本に「感動があるか?」(だったか・・・)に従って捨てることにした。

       
       
         
     
 断捨離の候補となった本は、いちいち書き写すのも面倒なので写真で済ませる(上の写真)。主なものをあげると、城山三郎の経済小説。城山の経済小説は出版社の社員だった頃にけっこうたくさん読んだ。城山のデビュー作「総会屋錦城」(新潮文庫)から(当時の)最新作まで、他の小説家の経済小説に比べれば「人間」が描けていたような記憶があるが、しかし凡作もあった。
 山口瞳の「サラリーマン諸君!」(角川文庫。ちょうどぼくが大学4年だった1973年の出版だった)は社会人になったばかりの頃のぼくのバイブルだった。家族にいわゆるサラリーマンが全然いなかったので、「サラリーマン」の生き方は山口のこの本から学んだといってもいい。しかし「人殺し(上・下)」(文春文庫)の最終ページには「つまらない」と書いてあった。
 その他の本はあえてコメントをするまでもなく、捨てることにした。
 
       
       
     
 後藤明生「挟み撃ち」(河出文庫)は買った当初は気になる本だったような記憶がある。しかし今回捨てる前にパラパラと最初の数ページを読んでみたが、まったく「感動」はなかった。御茶ノ水駅前(西口)の改札口前の広場に傾斜があって落ち着きが悪い云々とはじまるのだが、まどろっこしい。5、6ページでやめた。
 吉行理恵「記憶のなかに」(講談社文庫)は、母親が美容院を経営していた九段坂が舞台だというので、まず奥野健男の解説を読んでみた。しかし吉行淳之介が麻布中学で奥野の2年先輩の秀才だったというエピソードで始まるが、淳之介、吉行和子のことばかり書いてあって、なかなか理恵のことにならない。本文を読みはじめると、ウンコのついたパンツのことなどが「ですます」調で書いてあって、こっちは2ページでやめた。ただしこの本は家内の買った本だったかも知れないので、断捨離は一応保留する。民法762条2項によれば帰属不明の夫婦財産は夫婦の共有と推定されるので、夫婦の合意がないと処分できない。
 
 捨てようとして思いとどまったのは、沢木耕太郎「テロルの決算」(文春文庫)。今さら沢木耕太郎でもないだろうと思ったが、パラパラめくっているうちに、浅沼稲次郎というか日本社会党のことが気になりだした。ぼくは選挙権を得て以来ほとんどの選挙で神近市子から始まって社会党の候補に投票してきた。再軍備化方向への改憲を阻止できる議席数を確保すればそれでよいというのがほとんど唯一の理由であった。「社会新報」も定期購読していたが、配達していた党員の方が転居することになって、それ以降は配達する人がいなくなってしまった。
 ところが最近の総選挙では、社会党の後継らしい社民党は沖縄地方区の1議席しか獲得できなかった。少数与党に転落した自民党は国民民主党にすり寄ろうとしているが、立憲民主党も秋波を送っているという。野党第一党がなぜこんな体たらくになってしまったのか、浅沼時代にさかのぼって考えることにも意味があるかもしれないと思い、捨てないでおくことにした。
 志賀直哉「暗夜行路」(新潮文庫)も、小津との関係(というより與那覇さんの関係)で残すことにした。この本も父子間の葛藤というテーマにつられて読み始めたが、時代背景がよく理解できないうえに、知らない言葉が頻繁に出てくるし、なかなか本題に入らないので、最初の10ページくらいでやめてしまった。
 笹沢左保「死と挑戦」(春陽文庫)は読んだのかどうかも記憶にないが、あの永井荷風の春陽堂から出ていた文庫本ということで残しておくことにした。春陽文庫は今でもあるのだろうか。「江戸川乱歩名作集(4) D坂の殺人事件」(春陽文庫)も同じ理由で残しておく。ぼくが持っている春陽堂の本はおそらくこの2冊だけである。※気になってネットで調べると、なんと2022年に春陽文庫が復刊したという。坂口安吾「明治開化 安吾捕物帳」など、ちょっと読んでみたい。
 以前「新青年傑作選」全4巻(立風書房)や「夢野久作全集」(だったか)などを断捨離してしまったが、今になってちょっと惜しい気持になっている。

 残しておくのは簡単だが、残したまま死んだのでは息子たちが迷惑だろう。捨ててしまったとしても、読みたくなれば図書館に行く手間ひまさえかければ読むことはできる。捨てるのに躊躇、葛藤があるのは捨てた結果ではなく、本をゴミに出すというその行為のハードルが高いのである。かといって、「鶴見俊輔著作集全5巻」(函、帯つき、美本)を査定額ゼロ円などといういかがわしい「宅配買取サービス」詐欺まがいの古本屋にはもう引っかかりたくない。
 資源ゴミに出すのではなく、悪徳古本買取業者に買い取らせるのでもない、古本の正しくて心穏やかな「捨て方」は何かないものだろうか。

 2024年11月1日 記
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