豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

予審判事マリアンヌとシトロエン2CV

2023年10月24日 | テレビ&ポップス
 
 昨日(10月22日)の午後4時から11時まで、「予審判事マリアンヌ」(BS560 ch、ミステリー・チャンネル)を見た。全6話一挙放送だったが、8時から9時の1回分は所用で見られなかった。
 なお、番組の正式名は「甘党女判事」とか何とか題していたが忘れてしまった。原題は「マリアンヌ」 “Marianne” で、彼女は判事ではなく予審判事だから「予審判事マリアンヌ」でいいだろう。ただし放送では、書記官(?)が彼女のことを “juge” (ジュジュ=判事)と呼んでいたようにも聞こえた。
 フランスのミステリー番組は「メグ警視」と「ジュリー・レスコー」以外は苦手なのだが、この番組は、予審判事の活動の実態を知るうえでも参考になったし、どのエピソードも及第点以上だった。
 何といっても、彼女の愛車がシトロエン2CVというのがよかった。(冒頭の写真は各回のタイトルバックから)

 フランスには予審判事の制度がある。予審判事というのは(正確なところは分からないが)、捜査官と裁判官の間のような役職で、捜査の適法性を担保しながら捜査をする機関である。
 英米の刑事司法では、事実を追求する捜査機関(警察、検察官など)と、事実を判断する司法機関(裁判官)を峻別して、プレイヤーである検察官に対して裁判官はアンパイアに徹する。これに対して、フランスでは予審判事が捜査しつつ、判断もするのである。日本でいえば、検察官と(令状発付を行なう)簡易裁判所判事を合わせたようなものか。
 日本にも戦前は予審判事制度があったが、その糾問的な態度や本裁判において予断を生じさせることが問題視されて、戦後は廃止され、戦後は英米流の当事者主義が採用されることになった。
 
 今日の英米や日本の刑事司法は「当事者主義」という考え方を原則にしている。「プレーしつつジャッジする」予審判事に対して、「プレーする者はジャッジしない」(裁判官はアンパイアに徹する)のである。
 「当事者主義」(adversary system)というのは、「(アップル)パイを切る者には、(切ったパイのどちらを食べるかの)選択権はない」というルールだと説明される。そのようなルールがあれば、パイは可能なかぎり正確に2分の1に切り分けることができるというのだ。しかし、当事者の能力に差がある場合には、このルールは不公正なルールになってしまう。
 中学生の兄貴が6歳の弟にパイを半分に切らせれば、6歳の子は正確に2分の1に切ることなどできないから、いつでも兄貴が大きい方のパイをゲットできてしまう。同様に、税金によるカネと人員をふんだんに使って捜査できる検察と、拘留中の貧しい被告人の間に「当事者主義」をそのまま当てはめたら、常に検察の勝利に終わってしまうだろう。実質的な公平を実現するためには、非力な被告人に弁護人選任請求や証拠開示請求などの防御権を保障することが必要になる。

 「マリアンヌ」を見ると、この予審判事は警察官(警部)と一緒に捜査に当たっていた。時おり検察官(検事総長だったか)も登場するが、個別事件の捜査には関与していないようである。検察官は公判段階から登場するのだろうか。「マリアンヌ」のような予審判事と警察官のコンビによる捜査が実際のフランスの実態を反映しているのか、フィクションなのかは分からない。「メグレ警視」では、警察官のメグレが予審判事と行動を共にすることはなかったと思うが。
 とにかくこの番組で一番嬉しかったのは、彼女の愛車が水色のシトロエン2CVだったことである。シトロエンが登場する場面を楽しみにするだけでも、6時間は長く感じなかった。
 容疑者の高級車販売業のいけ好かないオヤジが、彼女の愛車に向かって「ゴミ」とか言っていたけれど、今のフランスでは2CVはそんな評価なのだろうか。今年はパリも猛暑だったみたいだから、半開きのドア窓から入ってくる風だけの2CVはきつかっただろう。
 ミステリー・チャンネルには「名探偵の食事」といった番組があるが、「名探偵とクルマ」という番組もぜひやってほしい。

 2023年10月24日 記
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