トマス・ホッブズ『市民論』(本田裕志訳、京都大学学術出版会、2008年)の一部を読んだ。
表紙や扉には「市民論」という表題に並べて、“De Cive” というラテン語の副題がついている。というより『ホッブズ市民論 “De Cive”』というのが正式な書名なのかもしれない。訳者はラテン語の原典から訳出したという。碩学の人がいるものだと感心する。
ホッブズ『法の原理』の第1部を読み終えたところで、小休止をかねて、「父権」の部分だけつまみ読みをしたまま放置してあった本書をめくってみた。しかし今回も、「父権」の部分(第9章)だけ読んで、『法の原理』に戻ることにした。
以前には、まさに親権(ホッブズでは「父権」)についてホッブズがどのように説明しているかに関心があって読んだのだが、今回はホッブズが結婚を夫婦間の契約としていることを発見したのが収穫だった。婚姻は最終的には(そして本来的には)当事者間の完全な自由契約に任せるべきであるというぼくの立場から共感できるものであった。
※以下の引用は、ほぼ訳者の訳文の通りだが、一部省略したところがある。
ホッブズは、まず子に対する父の権利は出生(産ませたこと)によって当然には発生しないという。子を支配する親の権利は、子を産むことによってではなく養育することによって子の母に帰属するという(183-5頁)。
そして母が夫に身をゆだねて命令権が夫にあるという条件下で生活共同体を形成した場合には、両者間に生まれた子は、母親に対する父親の命令権のゆえに父親に属することになる(186頁)。しかし、自然状態において男女が契約して、一方が他方に従属しない共同関係を作る場合には、両者から生まれた子は母親に属する(187頁)。
ただし、国家の中において男女間で同居のための契約がなされた場合には、生まれた子は父親に属する、なぜならあらゆる国家において家族は父系によって決まっており、家庭内の命令権は男に属しているからである。このような契約は市民法(国法)に従って行われる場合には「婚姻」と呼ばれ、これに対して男女が内縁関係のみを契約する場合は、子は父親に属する場合も母親に属する場合もあるという(同頁)。
男女間の(共同生活に関する)契約のうち、国法に従って締結されたものだけを「婚姻」と呼ぶ用語法は、日常社会における「結婚」と民法が規定する「婚姻」を峻別する方向を志向する点で現代にも通用する。
(親権、父権から)独立した子も、「両親を敬え」という聖書の教えは、自然法であり、たんなる謝恩というだけでなく約定という名のもとにある(189頁)。ナポレオン民法にも、子は生涯その両親を敬うべしという規定があった。
自分が子どもだった時には耳の痛い規定だったが、老親となった今では自然法!と言ってみたくなる。ただし、民法に規定するような事柄ではないだろう。
きょうは「父の日」らしいが、独立した息子からメールが届いただけでも良しとしなければなるまい。
2021年6月20日 記