豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

高見順「故旧忘れ得べき」

2024年11月27日 | 本と雑誌
 
 高見順「故旧忘れ得べき」(小学館、2022年)を読んだ。
 小学館の “P+D BOOOKS” というシリーズの1冊。このシリーズは、入手困難な名作をペーパーバックとデジタルで同時に同一価格で発行するもの。図書館で借りてきたペーパーバック版で読んだが、いかにもペーパーバックといった体裁の軽装版で、かえってお洒落な感じがする。
 本作は昭和10年の第 1 回芥川賞候補作で、単行本の初版は、人民社、昭和11年(1936年)の発行。第 1 回芥川賞では太宰治も候補に入っていたが、受賞したのは石川達三の「蒼氓」だった。
 「昭和文学盛衰史」の高見順がどのような小説を書いた人なのかを知りたくて読んでみた。
 高見はいわゆる「転向」作家なのだが、プロレタリア文学から方向転換せざるをえなかったが、かと言って国粋文学だの皇道文学だの戦意高揚文学など真っ平御免であるという立ち位置にあった高見はどんなものを書いたのだろうか。
 読んでみて驚いた。こういうのが「転向文学」「転向小説」なのか!

 登場する人物はみんな左翼崩れなのだが、いずれも旧制高校(それもどうやら旧制一高)から帝国大学(こちらも東京帝大)の卒業生で、時代が時代なら皆なエリートである。主人公の小関健児は帝大の英文科を卒業したものの就職難のため、親戚の中学教師の紹介で出版社の臨時雇いで辞書の編集を手伝っているうだつの上がらない男である。見合いで結婚した妻は器量のよくない女で、その母親は経済的に不安定な夫(小関)の先行きを不安に思ったが「帝国大学」卒業の肩書を見込んで娘を結婚させた。
 「昭和文学盛衰史」によると、高見は一時期研究社で市河(三喜)の和英大辞典の編集を手伝ったとあったから、小関は高見自身なのだろう。当時の就職難は小津安二郎の「大学は出たけれど」などを思い浮かべればよい。
 もう一人の準主役の篠原辰也も同じく左翼崩れだが、実家が金持ちの上に転向後は流行雑誌「ヴォーグ」を発行する出版社を経営していて羽振りがよく、カフェだか酒場だかの女給と同棲生活を送っている。マルクス・ボーイからモダン・ボーイへの転身である。他にも左翼崩れでマネキン嬢と同棲する男なども登場する。

 彼らの男女関係の濃密な描写や、篠原らに誘われて小関が銀座などで放蕩する生活の描写は昭和初期の風俗を描いた風俗小説である。性描写というほどではないが、男女関係の描写も意外と自由である。永井荷風もそうだが、この当時の権力者は性風俗の描写には甘かったようである。
 カフェ、待合、女給、マネキン、エレベーター・ガール、就職難、安アパート、男女の同棲などといった風俗は昭和初期だが(主人公が女と一緒に待合に入るが風呂だけ浴びて帰る場面があったが、待合を銭湯のかわりに使うこともあったのか!)、登場人物や背景を描く筆致は軽やかで、現代小説のような雰囲気すら感じられる(といってもぼくは「現代小説」をほとんど読んでいない)。文章も古臭さがなく、話の展開のテンポも悪くない。
 「筆者」が平然と登場したりもする。「第1節で紹介すみの篠原は・・・」とか、「篠原が往日の俤をとどめないとしたらそれは筆者の観察違いというよりは・・・」とか、登場人物の一人の旧制高校時代について、「その頃の彼は左傾していたというと、・・・読者は小説的作為と疑うかもしれぬが、当時の青年層を誰彼の区別なく熱病のように襲ったその左傾現象は、それを事実のまま書いたら却って小説にならぬ・・・から、小説的作為の点から事実を枉げて書く」などという記述もある。極めつけは、「読者よ。二人の会話をここで中断する不躾を筆者にゆるされ度い。筆者はなんとも胸糞がわるくなって、筆者はこんな忌まわしい会話を忠実に書きとめる苦痛に堪えられなくなったのである」などという言い訳もある。
 著者が読者と対話しているというか、読者に語りかけている印象である。

 鈴木茂三郎、大山郁夫など実在の人物も登場するが、S県の特高課長M(や軍人)などは仮名になっている。同時代の作家や左翼活動家たちには誰のことかは自明だったのだろう。
 そう言えば、一高、帝大の話題も結構出てきた。当時の帝大(東大)では「法科」が一番難しく、「法科」には2、3年かけなければ合格できないような成績でも「経済」なら(旧制高校さえ出ていれば)簡単に入ることができたので「やむなく」経済に入る学生もいた。その「法科的」学生がやがて「官吏こそ人間の仕事のうちで最も高い選ばれたものである」というような「官僚的」人間に名前を変えるのであると著者は書いている。今春の東大入試では「文科三類」(教養学部、文学部)の合格最低点のほうが「文科一類」(法学部)の合格最低点を上回ったという。戦後80年にしてようやく官僚の権威、人気も衰退したのだろう。
 この小説は、自死した同志沢村の追悼会の場面で結ばれる。妻子を残して自死した沢村は(モデルは誰?)帝大の経済を出たものの左翼活動で逮捕、刑務所歴があり、もともと丸の内のサラリーマン生活などは望まなかったので、喫茶店のコック、競馬場や行政裁判所の臨時雇いをしながら生活の糧を得る日々を送っていた。
 最後にスピーチに立った仲間が、「戦闘的革命家」沢村の死は「反動期における行き詰ったインテリゲンチャの苦悶の象徴である」という弔辞を述べる。そして酒宴となるが、小関が「故旧忘れ得べき」を歌おうじゃないかと提案する。“Should Auld Acquaintance Be Forgot” 、どうして古い友達を忘れることができようか。小関が歌い出すと、なんだ「蛍の光」じゃないか、と言いながら皆なもつづく。沢村と離別する侘しい歌声であった(223頁)。
 「故旧忘れ得べき」とは、「蛍の光」別名「別れのワルツ」だったのだ。

 裏表紙の解説には、本書は「転向」した筆者たちが抱えた「虚無感」を描いているとの紹介がある。主人公らの自堕落な生活ぶりの背後にそのような「虚無感」はあったのだろうが、その割には意外に明るく強かに生きているな、というのがぼくの感想であった。
 「転向」以前の高見はどんな「プロレタリア」小説を書いていたのだろうか。「蒲田の労働者はこのように描かなければならない」などと上層部(?)から指示されていたこと(政治主義)が「昭和文学盛衰史」に書いてあったが、彼らにとってはその頃のほうが表現の自由は制限されていたのではなかったのだろうか。

 2024年11月27日 記
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