豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

小津安二郎“学生ロマンス 若き日”

2011年01月08日 | 映画
 
 松竹ホームビデオ“小津安二郎大全集”(VHS)“学生ロマンス 若き日”(1929年)を見た。

 小津が監督になって2年目、作品としては8作目にあたるが、フィルムが残っているものとしては小津作品の中で最も古いらしい。
 画質はかなり悪いが、フィルムが残っているだけでも良しとしなければなるまい。

 早稲田と思しき大学の学生たちが期末試験を終えて赤倉にスキーに出掛け、ゲレンデで恋のさや当てを演じるが結局お目当ての女性はスキー部のキャプテンと婚約してしまい、失意のうちに東京の下宿に帰ると、期末試験落第という追い打ちが待っていたというストーリー。

 早稲田(?)大学での試験風景や、早稲田界隈(何度か安部球場らしき野球場が俯瞰で!写っている)の下宿でのいつもながらのドタバタはぼくには面白くない。当時の映画館(活動?)ではあんな場面でも結構笑いをとったのだろうか。
 昭和4年にスキーなどというのはずいぶんモダン(ハイカラ?)な遊びだったと思うが、役者たちのスキー技術は大したことはない。学生の一人として出演した笠智衆の回想録『小津安二郎先生の思い出』(朝日文庫)によると、よちよち歩き程度でロケに出かけたが、1週間の撮影が終わって帰る頃にはスキーの腕前(?)も上達し、駅まで滑って帰ったと書いてある(30頁)。

 失恋したうえに落第までしてしまう主人公の大学生が斎藤達雄、相方の恋敵が結城一郎(ものの本には「一朗」とあるがタイトルでは「一郎」となっていた)、スキー部主将が日守新一、彼女が松井潤子、その母親が飯田蝶子、大学教授が坂本武という、この当時のいつもの小津組の面々が登場する。
 笠智衆もスキー部員の一人として時おり画面に出てくる。前述の笠智衆の回想録には「出番はほとんどなかった」と書いてあるが、意識してみていると彼は結構よく登場する。
 ぼくは結城一郎という役者を知らなかったので、彼を日守新一だと思って見ていた。よく似た風貌である。スキー場の場面の後の方で松井潤子とお見合いするシーンで日守新一の顔がアップになると、これは間違えようもなくあの“一人息子”の日守新一であった。
 
            

 赤倉のスキー場に場面が変わってからは、昭和初期のスキー事情を再現するものとして興味深い。
 まず、赤倉までの交通手段は信越線。軽井沢で斎藤と結城が駅弁を買って食べる。「峠の釜めし」ではないただの幕の内弁当だが二段重ねになっている。
 やがて「田口」駅に降り立つ。現在の「妙高高原駅」である。駅前にもゲレンデがあるようだが、二人はこの駅から電信柱300本分だったかの距離をスキーで移動する。そしてようやく赤倉温泉に到着する。
 板はよく分からないが、ストックは竹製、みんな軽装である。ふだんのセーターを着て、その裾をズボンの中に入れただけ、手袋をつけていない者もいた。当時の学生たちはよほど寒さに強かったのか。

            

 ぼくは斎藤隆雄という俳優があまり好きではなかったが、10本近く見ているうちに何だか味のある役者に見えてきた。あの不思議な表情が印象的である。他のどの俳優とも違う独特の表情をしばしば見せる。戦後の作品になると笠智衆ばかりが気になってしまうのだが、戦前の作品ではまだそこまでの存在感はない。ただの好青年にすぎない。 
 笠智衆『小津安二郎先生の思い出』には、昭和5年の“落第はしたけれど”で初めてタイトルに名前が出たと書いてあるが(31頁)、昭和4年の“若き日”のタイトルにもしっかり「笠智衆」の名前は出ている。笠の思い違いだろう。

 蛇足ながら、笠智衆の本をつまみ読みしていたら、彼は大正13年に松竹キネマ・俳優研究所に採用になったとある。大正13年といえば、先日亡くなった高峰秀子が生まれた年である。彼女の没年が86歳だったから、笠は今から86年前に役者の卵になったわけである。そして高峰の“カルメン 故郷に帰る”の撮影がぼくの生まれた昭和25年、今から60年前だから、彼女は当時26歳だったことになる。
 今ごろになって小津の映画を見たり、木下恵介の映画を見たりしているので(木下は多少見ていたが)、出演している役者さんたちは、ぼくにとってはみんな画面の上の年頃のままである。

 2011/1/8 記