豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

“三人の妻への手紙”

2011年01月09日 | 映画
 
 年末から近所の書店の特設売り場で、KEEP社のDVD“水野晴郎のDVDで観る世界名作映画”を期間限定特価1枚280円で売っている。
 きょう散歩に出かけて、ついつい“三人の妻への手紙”その他3枚買ってしまった。他の2枚はマレーネ・デートリッヒの“砂塵”、ヒチコックの“断崖”である。何を見たいという気分でもない衝動買いだったので、それぞれ恋愛もの、西部劇(仕立ての恋愛もの)、それにサスペンスもの、という見立てである。

 帰宅して、どれということもなく“三人の妻への手紙”を見始めた。
 これが良かった。ぼくの一番好きなタイプの映画だった。ぼくが好きになるアメリカ映画の条件はそう多くない。グレゴリー・ペックが出ているか、いわゆる「ソフィスティケイト」ものかのどちらかである。
 ただし、ぼくは“sophisticated”の本当の意味を知らない。英和辞典に載っている語義では「(都会的な)洗練された」というのがいちばん近いが、要するにカポーティの「ティファニーで朝食を」のようなやつがそれだと思っている。
 そして、今回の“三人の妻への手紙”がまさにそれだった。

 アメリカの平均的な郊外都市の高級住宅街に住む3人の高校時代の同級生とその妻たちの物語である。
 一組目は海軍を退役して地元に戻った名門出の息子(ジェフリー・リン)と、海軍時代に結婚した農家出身の妻、二組目は貧しい学校教師(カーク・ダグラス)とラジオ番組の脚本書きで一家を支える才媛の妻、三組目は地元で7軒の百貨店を経営する成金の夫(ポール・ダグラス)と、手練手管で妻の座を射止めた店の元売り子。
 百貨店の売り子の貧しい家でさえ大きな冷蔵庫が置いてあり、給料が悪いという学校教師の家には当時の日本の家庭とは比べ物にならないくらい広々とした居間があって家族がソファーに腰掛けてラジオを聴いている。
 ただ一人クルマをもっていない教師の妻を、名門妻がクルマで拾ってパーティーに出かける。家の前には数メートルはある前庭が広がっていて、クルマは道路わきに止めてある。名門出に嫁いだ妻の乗るクルマはいまでいうミニバン風。成金の妻の乗るクルマはいかにもアメリカ車といったオープンカー(下の写真)。

        

        

 3人の夫たちは、いずれも過去に、この町一番の心やさしい美人アディーと成さぬ仲だった時期があったことを伺わせる場面がある。
 そして、ある朝、3人の妻が慈善キャンプに出かけようと船に乗り込んだ矢先に、3人のうちの誰かの夫がアディーと駆け落ちしたという知らせが届く。3人の妻たちはそれぞれ自分の夫が駆け落ちしたと思いこみ、これまでの夫婦生活を回想し、反省しながらキャンプから帰宅する。
 その日の夜のパーティーの席に、お定まりのハッピー・エンドが待っている。
 それだけの筋書きなのだが、よかった。ぼくはアディーという女は夫たちが妻の気持ちを試すために作り上げた空想の女性で、実在しない女性だったという“落ち”を予想して見ていたが、外れた。

        

 モノクロの画面から豊かなアメリカの郊外都市の広い街並みを吹き抜ける風のそよぎが伝わって来た。
 ぼくたちがまだ“長屋紳士録”からそれほど違わない世界で暮らしていた1949年の作品である。ぼくたちがあこがれたアメリカの生活がそこにある。
 主人公の3人の夫たちの交流には、小津の晩年の作品の雰囲気も漂う。成金(ポール・ダグラス)は中村伸郎(風貌は北竜二だが性格は中村か)、学校教師(カーク・ダグラス)は笠智衆、そして資産家(ジェフリー・リン)は北竜二、彼らの妻たちはひとまず月丘夢路、木暮実千代、淡島千景とでもしておこうか、といった感じである。

 見た後で『アメリカ映画作品全集』(キネマ旬報社)で調べると、「コスモポリタン誌に掲載された小説を映画化した知的な人間喜劇」と紹介してある(原作者はジョン・クレンブナー)。「ティファニーで朝食を」の原作もコスモポリタンかニューヨーカーに掲載されたはずだから、ぼくの見立ても外れていなかった。

 ジョゼフ・マンキヴィッツ監督はこの映画でアカデミー監督賞と脚本賞を受賞した。1949年製作、日本公開は1950年。原題は“A Letter to Three Wives”。

 2011/1/9 記

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