本間長世他編『日本とアメリカ・比較文化論(3) 生活のスタイルと価値観』(南雲堂、1973年)を読んだ。
断捨離(要するに廃棄する)前のお別れの読書。この巻はまったく読んでなかった。
本間長世「序論」、明石紀雄「生きがいのあり方」、荻昌弘「スクリーンにみる大衆文化」、神田順治「スポーツと国民性」、油井正一「音楽と生活文化」、三神正人「マス・メディアと大衆」を読んだ。
面白いものもあったが、やはり1973年の発行という限界が感じられるものもあった。
明石「生きがい・・・」は読まずに済まそうかとも思ったが、アメリカはその独立宣言の中で、「幸福追求権」を天賦の人権であると宣言していることを契機にして、「幸福」について言及していたので思い直して読んだ。
アメリカ独立の父祖たちは、ジョン・ロック『統治論』が「property への権利」と書いたものを、あえて「幸福追求の権利」と言い換えたのである。これを継承した日本国憲法13条も同じ「幸福追求権」を保障しているが、ここでいう「幸福」とは何なのか、人はどのような状態にあれば「幸福」なのか。わが憲法13条の解釈からは人格権、自己決定権から環境権まで様々な新しい権利が導き出されるようになったが、そもそも「幸福」とは何なのかは置き去りにされている。「自己実現」と答える人もいるだろうが、今度は「自己」とは何か、どうすればそれが「実現」できるのか、という問いが残る。
荻「スクリーン・・・」は、アメリカ映画が日本映画さらには生活に与えた影響を論じる。
日本はアメリカから映画を輸入した。多くの日本人がアメリカ映画を見ただけでなく、日本の映画業界は、アメリカ映画を規範として、製作技術(撮影所から撮影・録音・映写機器、フィルム、メイク用品などまで)から、ストーリー、主題、文体、スターシステム、宣伝方法までを模倣した。しかし、「シェーン」や「ゴッド・ファーザー」ではそのその宗教性が、「真昼の決闘」ではその政治性(たった一人になってもマッカ―シズム=赤狩りと闘うというジンネマン監督の意図)がすっぽりと抜け落ちて受容されたという。
カーク・ダグラス主演の「ガン・ヒルの決闘」を「浪曲調西部劇の標準作」と評した映画評を読んだことがあるが、まさにそのような受容の典型だろう。「ゴッド・ファーザー」がその題名からしてカトリシズム批判であったなど(130頁)、まったく気づかなかった。ぼくが影響をうけた「エデンの東」では、映画自体が原作のもっていた宗教性(キリスト教原理主義)を欠落させていたが。
戦前の「駅馬車」をはじめとするアメリカ映画への親しみがあったから、敗戦後の日本はアメリカ軍による占領を受け入れることができたと筆者はいう(148頁)。ぼくの伯父は、戦争中に政府系の研究所で敵国アメリカの分析に従事していたが、そこで同僚たちと秘かに「風と共に去りぬ」(1939年制作)を見る機会があって、こんな超大作をカラー映画で作るほど物量に勝る国にはとても勝てないと確信したと語っていた。
占領軍は、「民主主義の教科書」として意図的に占領下の日本で公開する映画を検閲のうえで配給した。「わが谷は緑なりき」や「我等の生涯の最良の年」などがその代表例だが、他方で「怒りの葡萄」「市民ケーン」「二十日鼠と人間」などアメリカの暗部を描いた作品は上映を許されなかったという(152頁~)。
荻の論稿は「卒業」(1967年)などのニューシネマ、「ある愛の詩」などの娯楽作品のあたりで終わっている。数日前にNHK-BS プレミアムで「ある愛の詩」をやっていたが(下の写真)、甘ったるくて最後まで見ることはできなかった。上映当時はけっこう気に入っていたのだが。歳をとって父親の視線で見るようになったからだろうか。
実は荻さんは、ぼくの大学1年の時に一般教養の「映画学」という科目を担当されていた。映画に興味があったので最初の1、2回出席してみた。映画のアメリカ起源とドイツ起源の話などをされていたが、難しそうだったので受講登録はしなかった。当時のぼくは「雨に濡れた舗道」とか「渚の果てにこの愛を」といった東宝東和提供のメロドラマのような映画ばかり見ていたから、荻さんにとっては縁なき衆生だった。
神田「スポーツ・・・」は、東大教授で東大野球部監督でもあった著者による日米(英)比較スポーツ論である。
サッカー、ラグビー、クリケットなど勝敗をつけないイギリス貴族階級の間で生まれたスポーツのアマチュア性が、商業主義に敗北するまさに直前に書かれた論考である。アマチュアリズムを死守しようとしたブランデージIOC会長が、アマチュア違反の金メダル候補を札幌オリンピックから追放した事件など、まったく忘れていたかそもそも記憶にもなかった(171頁~)。最近の東京オリンピック(2021年)をめぐる金まみれの汚職事件など、本書以後の50年間でオリンピックは完全に商業主義に席捲されてしまった。
ベースボールにはアメリカ起源説とイギリス起源説があるという(176頁)。たしかに「バーナビー警部」に出てくるクリケットは野球と似ている。わが国にはじめて野球を紹介したのが福沢諭吉だったというのも知らなかった(184頁)。「野球」という訳語は正岡子規が本名の「のぼる」→「の=野」「ボール=球」をもじって命名したと信じていたが、神田によれば別の一高生(中馬庚)の命名だったという。ネットで調べると、中馬は徳島県の脇町中学の教師になって野球部を指導したという。ぼくのゼミ生に脇町高校のラグビー部員で花園に出場した学生がいた。
執筆当時は野球全盛だったようで、野球と日本人の国民性について、木村毅からはじまって安部磯雄、中野好夫、多田道太郎、加藤秀俊、サイデンステッカーなどそうそうたる論客が野球を論じている(184頁~)。昭和37年に来日した西ドイツ・サッカーチームの団長が、野球などどこが面白いのだ?サッカーの団結精神こそ素晴らしい、西ドイツチームにプロ選手など一人もいない、技が落ちればお払い箱のプロ選手になることなど好まれないと発言しているが、隔世の感がある(181頁)。
油井「音楽・・・」は、南北戦争で敗れた南軍が捨てていった軍楽隊用の古楽器を手に入れたニュー・オルリーンズの旧奴隷たちが、楽譜の読める仲間から教えられてブラスバンドを組み、バイトをして低賃金を補ったというジャズの起源を語る(204頁)。ぼくには、このジャズの起源が、わが国の戦後の中学校で展開されたブラスバンド部員どうしによる音楽教育と似ているように思われる。
三神「マス・メディア・・・」は、元テレビ局員による論稿で、戦後マスメディア(ラジオ、テレビが中心)の変遷を論ずる。本書が発行された1973年当時、すでにテレビの衰退、VR(ビデオのことらしい)、CATV(有線テレビ)への移行が始まっていたらしい。
わが家では、VHSのビデォ・レコーダーはわりと早めに購入したが(当時ダビングした大量のVHSテープの処分に迫られているが、可燃ごみに出せるのでせっせと断捨離している)、CATV(?)はずっと遅れて、21世紀に入ってからJ-COMには加入したが、コンテンツの有料配信には入っていない。友人は、テレビのCMが煩わしいので hulu だか amazon prime だかに加入したという。ストレスがなくて気持ちがいいらしい。
1970年代から、テレビ視聴者の中にはニュースとスポーツ番組しか見ない層がすでに出てきていたこともこの論稿で知った。テレビの終わりの時代はけっこう早くから始まっていたのだ。
2023年1月27日 記