豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

マリリン・モンロー“百万長者と結婚する方法”--8月12日の軽井沢

2009年08月12日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 8月12日(水) 

 明日(今晩)から始まる関越自動車道の渋滞を避けるために、道路情報で渋滞が「嵐山を先頭に2km」だけになった時点で家を出発、軽井沢に向かった。
 期待していた通り、「嵐山を先頭に2km」の渋滞もすでに解消しており、大泉ICから約45分で上里SAに到着。上信自動車道もすいており、藤岡から40分足らずで軽井沢ICを降り、南軽井沢交差点を左折して“ツルヤ”に向かう。

 ところが、意外にも、ここからの軽井沢バイパスがなぜか大渋滞。南軽井沢交差点から“ツルヤ”に辿りつくまでに40分以上かかってしまった。
 富岡から軽井沢ICまでと同じ所要時間である!
 
 “ツルヤ”の駐車スペースも大混雑だったが、ようやく北側のはずれに2、3台空きを見つける。
 さすがにトップ・シーズンだけあって、店内もかなりの人だかりである。お盆休みに入る明日からはさらに混むだろう。クルマで出かけるのは億劫なので、数日分の食料を買い込んで家に向かう。

 千ヶ滝の家に到着後、すでに宵闇が迫っていたが、室内の空気を入れ替えるために、すべての雨戸、窓を開放する。

 まずは、生前は親父が使っていた勉強机に座って、読みかけだった真野俊樹『医療経済学で読み解く医療のモンダイ』(医学書院、2008年)を読み終える。
 著者は、もともと医学部出身のお医者さんだが、後に経済学、経営学を学んで医療経済学者になったらしい。
 経済学の基礎知識の説明がこなれていないのと、著者自身が現在の日本の医療問題をどのように診断し、それに対してどのような処方箋を用意しているのかが不明確なために、不全感が残った。

 風呂を出てから、マリリン・モンローの“百万長者と結婚する方法”(1953年)を観た。
 マリリン・モンローの声がかわいらしかった以外は何の収穫もなし。期待もしていなかった。
 水野晴郎さんの解説も、「まずは、モンローの魅力を十分満喫できる傑作をお楽しみあれ」としか書いてない。

 * 写真は、“百万長者と結婚する方法”(Keep、“水野晴郎のDVDで観る世界名作映画”)のケース。

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“地上より永遠に”

2009年08月08日 | 映画

 “地上より永遠に”(“ここよりとわに”と読ませるらしいが、“ちじょうよりえいえんに”と打たなければ変換できない。

 ぼくが中学生の頃、西荻窪駅北口の通称“映画通り”にあった3軒の映画館のどれかでやっていた。
 ポスターのタイトルに“ここよりとわに”と小さくルビが振ってあったので、そういう風に読むのだと思った。
 
 “水野晴郎のDVDで見る世界名作映画”によると、1953年の製作である。
 ぼくが中学生だったのは1962年から1964年頃のことだから、再公開(の2番館)だろう。
 あのころは、“エデンの東”が再上映されたり、戦後初期の映画の再上映のじきだったのかもしれない。
 “エデンの東”は1964年がジェームス・ディーンの没後10年のメモリアルだったが。

 さて、“地上より永遠に”のほうは、真珠湾攻撃前夜のハワイのアメリカ軍基地における「いじめ」がテーマである。

 他の部隊から転属してきたモンゴメリー・クリフトはボクシングの強者だったが、友人を失明させてしまったことから二度とボクシングはやらないと決めていた。
 ところが、部隊対抗のボクシングで優勝して出世したいと思っている上官は、ボクシングをやらないモンゴメリーに理不尽なしごきを加える。

 同じ部隊のフランク・シナトラもイタリア系だということで差別にあっている。
 ある時、営倉でリンチを受けてシナトラが殺されてしまう。怒ったモンゴメリーはシナトラを殺した上官をナイフで刺し殺して、脱走する。
 クラブでホステスをしながら金を稼いで本土に帰ることを夢見ている恋人のドナ・リードに匿われるが、日本軍の真珠湾攻撃を知って基地に戻ろうとする。しかし、不審者と疑われて衛兵に射殺されてしまう。

 モンゴメリーに好意的だった下士官バート・ランカスターと、将校の妻デボラ・カーとの不倫のエピソードもある。
 最後には、デボラ・カーとドナ・リードがカリフォルニアに向かう客船の船べりに並んで立ち、レイを海に投げる。
 レイが岸辺に向かえば再びハワイに帰ってくることができるが、沖に向かえば二度と戻ることはできないという言い伝えがあるという。
 レイは沖に向かって流されていく。

 それが“地上より永遠に”の意味らしい。

 ぼくらの世代には“家のママは世界一”で知ったドナ・リードも、デボラ・カーも美しい。
 こういう女優はいつからいなくなってしまったのか。そっちのほうが、ぼくにとっては“地上より永遠に”である。
 
 * 写真は、“地上より永遠に”(原題は“From Here to Eternity”、フレッド・ジンネマン監督、1953年。“水野晴郎のDVDで見る世界名作映画”キープ)のケースより。

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メルシャン美術館 “ヨーロッパ美術史の変遷”

2009年08月04日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 8月1日から、きょう8月4日まで、軽井沢に行ってきた。

 1日、2日は雨もよいのはっきりしない天気だったが、3日、4日の両日は晴れた。

 きのう、8月3日は御代田のメルシャン軽井沢美術館に行った。
 いつものように、浅間サンラインを通って普賢山荘を左折。天気は良かったが、残念ながら浅間山は西側の裾野がのぞくだけで、雲に覆われていた。
 夏は3日の晴れに1日でも浅間山の全景を眺めることができれば上出来だろう。

 メルシャンの展示は“ヨーロッパ美術史の変遷”。“宮廷絵画からバルビゾン、そしてアール・ヌーヴォへ”というサブタイトルがついている。

 ミレー、コロー、クールベ、イギリスではターナーなど、中学校か高校の教科書でお馴染みの画家の作品が並んでいるが、“晩鐘”や“落穂拾い”、それに名前は知らないが、クールベの石工(?)や満員列車の車内風景(だったか・・・)、ターナーの難破船(?)など、教科書で見慣れた絵は展示されていなかった。
 ホッペマ(“並木道”)もこの時代ではないか・・・。

 近代のはじめに、かつてはたんなる背景に過ぎなかった自然を描き始める息吹きが伝わってきた。
 国王・貴族たちや、革命家たちのことは活字によっても伝わってくるが、当時の農民や庶民の生活はこれらの絵画によって、しっかりと伝わっていくだろう。

 * 写真は、メルシャン軽井沢美術館“ヨーロッパ美術史の変遷”のパンフレット。2009年11月29日(日)まで開催。

 2009/8/4

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“追憶”

2009年08月04日 | 映画

 軽井沢ではテレビが映らないので、もっぱらDVDを見て過ごした。

 今回持って行ったのは、“地上より永遠に”、“緑色の髪の少年”、“追憶”の3本。
 前の2本は、“水野晴郎のDVDで観る世界名作映画”(キープ)のシリーズ、“追憶”は吉祥寺のヨドバシカメラで買った“Columbia Premium”(ソニー・ピクチャーズ正規品)。2990円が1980円だった。 

 “地上より永遠に”、“追憶”、“緑色の髪の少年”の順番で観たのだが、この3本の中では“地上より永遠に”が一番よかった。
 “追憶”(1973年製作)は、ロードショウで見たときはすごくいいと思ったのだが、35年以上経ってみると、かなりの凡作で、何でこの程度の映画がいままで印象に強く残っていたのかが不思議なくらいである。

 第二次大戦前夜のバーブラ・ストライザンドの反戦運動も、戦後のハリウッドの赤狩りも、たんなるエピソードとしか描かれていないし、バーブラ、レッドフォードの性格も平板である。
 主人公役のロバート・レッドフォードは、学生時代から小説を執筆し、戦争中は海軍の将校になり、戦後はハリウッドで映画の脚本家になる。
 “華麗なるギャツビー”のフィッツジェラルドが、第一次大戦後を生き延びて俗物になっていたら、こんな人生を歩んだか、といったストーリーである。

 1973年頃当時のぼくは、こんなラブコメディで満足していたのか。背景に流れる1930年代のスイング・ジャズの曲に幻惑されていたのかもしれない。

 * 写真は、“追憶”のDVDのパッケージ(“Columbia Premium”、ソニー・ピクチャーズ)。

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