チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

義母の退院

2023年03月11日 | 義母とのこと

晴、12度、84%

 ひと月足らず、軽い骨折で入院していた義母が退院しました。痛みがなくなり、車椅子に乗れるようになることが退院の目安でした。施設に戻るためには車椅子に座れることが第一条件となっていました。暖かな晴天の朝空を眩しそうに見上げていました。

 このひと月の間、義母の施設の部屋を幾度か訪れました。コロナで3年間入ったことがなかった義母の部屋です。身の回りの物を取りに行くだけのはずだったのですが、部屋の中のあまりの乱雑さに片付けに行くことにしました。

 以前は花を置いたりと部屋らしかったのが、まるで物置のような有様です。大きなバックを開けると、義父の遺影と一緒に靴が片方、使ったマスクと新品のマスク、使いかけの蓋のない歯磨き粉、アクセサリーなどが詰まっています。どこもかしこも同じ状態でした。申し訳ないと思いつつ、不要なものは捨てました。

 昨日の朝一番気がかりだったのは、義母が私の覚えているかということでした。施設に通ううちに、ある職員の方から義母が人を認識しなくなったと聞きました。有り体にものを言う方は「お元気にしてますよ」としかおっしゃいませんが、この職員の方ははっきりと義母のことを話してくれました。持ち物を自分でバックに詰め、人に触らせなかったことも聞きました。迎えに来てくれた施設長が義母に話しかけました。義母、「あんた誰?」「マスクをしたままの私をわかるかしら?」入院時は、検査がいくつもありバタバタと入院しました。私と話す時間もほとんどありませんでした。車椅子の前にかがんで「退院できてよかったね。」と声をかけると、義母は目を見開いて、か細くなった声で「真奈さん」と言いました。覚えていてくれました。忘れられていてもいいのですが、やはり嬉しかった。娘でなく私は嫁ですから、なおさらです。

 施設のへ部屋に連れて行き、二人だけで話そうとすると職員の方が次々にやって来ます。今後の施設側の対応を話すためです。他の人がいなくなると、母の細くなった手を握って目を見ました。聞き取れないほどの声で「ありがとう」と幾度も言ってくれました。

 施設の部屋を片付けている時、あることに気付きました。アドレス帳を5冊ほど部屋の持ち込んでいましたが、そのどれもが開いたままです。開かれたページは「真奈さん」と書かれ香港の電話番号がのっていました。中の一つが私が帰国後に書いたものでしょう、新しい日本の携帯ナンバーが書かれていました。義母はもう携帯を使いません。それでも何かの時には私に連絡と思ってページを開けたままにしていたのだと思います。

 疲れさせたくないので昼前に施設を出ました。今後、徐々に面会が許されるそうです。義母の「ありがとう」の言葉にたくさんの幸せをもらった昨日でした。

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義母の再入院

2023年02月13日 | 義母とのこと

雨、10度、90%

 昨日は3月中旬並みの気温、晴天に恵まれると予報でした。主人の実家の整理を始めています。寒い日や雨の日は気が進みません。こんな天気の日に少しでも片付けなくてはと思っている時でした。義母の施設から電話を受けました。「前夜8時ごろベットから落ちて、打った部分が腫れているのでどうしましょうか?」痛みはさほど強くないそうです。施設で診てもらっている通いの医師は内科医です。整形外科の受診を希望しました。日曜日なので当直医が外科医のところを探してもらうと、義母が再三入院をした病院が引き受けてくれることになりました。私は急ぎ車を走らせました。

 病院の前には救急車が停まったままです。聞けば中で義母のPCR 検査をしているとのこと。院内で待っていると緊急入り口からストレッチャーの音がしますが、立ち入り禁止です。まっすぐレントゲン室に運ばれてようです。許可を得て、レントゲン室へ。医師と簡単な今までの骨折経緯を話して義母のそばに行きました。不安だったのでしょう私を見ると義母の頬に涙が流れました。レントゲンでは大きな骨折は見られませんが、股関節を人工骨に置換したあたりが腫れているので、MRI に入りました。かすかですがヒビが見られます。

 骨折やこうしたヒビは動かなければ治りますが、義母の認知症の具合から「じっと寝ている」ことを理解させるのが難しいと私が言うと医師は入院を勧めました。少しでも安全な環境が望ましいのですぐに入院手続きです。この病院なら義母は顔見知りの看護師や医師がいるので、不安がないはずです。一度入院病棟に行けば面会は退院時までできません。義母の手を握り幾度も「じっと寝てるのよ」と繰り返しました。

 慣れた病院ですが入院手続き、入院の支度という仕事が待っています。新しいタオルや下着を買い揃え、一つ一つに名前を書かなくてはいけません。 ストロー付きのこのカップ、新しいものです。母の時からこのコップに何度名前を書いたでしょうか。下着の数はオムツに変わったので少なくなりましたが、それでもひと荷物できました。入院書類もすべて記入して、午後には再び病院に戻りました。

 病室付きの看護師に荷物を渡す折り様子を尋ねると落ち着いているとのことです。私も朝から張り詰めていた胸の内が解けました。家に着くと、すでに5時前でした。空を見上げると今にも雨が降り出しそうです。少なくとも1ヶ月は入院予定です。来週は義父の命日、墓参の帰りに義母に面会しようと思っていました。95歳、それなりに認知症も進んでいますが、我が家の最後の父母です。香港にいる主人も心配のはずです。私の次の身元保証人、緊急連絡先は全て東京の息子に今回変更しました。家族みんなの思いが義母に伝わりますように。

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主人、3年ぶりの母との面会でした。

2023年01月24日 | 義母とのこと

雨、7度、68%

 主人が3年ぶりに帰国した先月、一番に義母との面会を申し込みました。ところが施設入居者のコロナ感染で面会は見合わされました。感染者がその後も増えて、年が明けても面会再開とはなりませんでした。主人は半ば、義母と会うことを断念していました。再開すればすぐに連絡をくださると約束していたので、私も連絡を待ちました。一昨日、思い切って施設に電話を入れました。主人の香港への戻る日が迫っています。

 面会は再開されており、どうやら連絡をお忘れになったようです。早速申し込みました。昨日、主人は母と3年ぶりに会うことが叶いました。主人には姉がいます。ところが姉はほとんで義母を見舞うことすらしません。義母はどんなに息子である主人に会いたがっていたか、言葉にはしませんが一番接することの多い私にはそのことがわかります。

 コロナの検査なく健康チェックだけで入館できました。ロビーにはすでに義母が待機していました。施設の方のご配慮です。年末からの義歯の不具合で柔らかいものしか食べれません。お土産はおみかんとバナナだけ。

 どれほど義母と主人が喜んだかはご想像通りです。職員の方たちもみなさん集まって来て「チヤ子さん、よかったね。」と写真を撮ってくださいました。行く前からこの面会は二人だけにするつもりで行きました。主人を送り届けるのが私の役目です。義母の自室で二人だけで短い時間ですが過ごすことができました。義母も心から喜んでくれたと思います。主人も心残りなく、香港に戻ることができます。

 ロビーでの写真です。 3人とも涙顔。

 私も10年前、私の母を施設に訪ね、別れて香港に戻る時、いつも思いました。「これが最後かもしれない。」きっと主人も同じ思いを残して施設を出て来たと思います。義母、まだまだ元気です。昨日、歯科医と話をして新しい義歯を作ることにしました。長生きしてほしいと思います。「元気でいてくれて、ありがとう。お母さん。」

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義母に布団を届ける

2022年12月12日 | 義母とのこと

曇、9度、70%

 義母の介護施設から電話がありました。「しもの粗相が多くて布団やカバーを汚して遣り繰りに困っています。」老人介護で一番大変なのは「しもの世話」だと思います。年齢高くなると、食べる量は減るとはいえ、一日数回の排泄物はあります。トイレにいけなくなれば「オムツ」を当てられます。母、義父の時は「オムツ」は施設が用意してくれました。義母の施設では家族の者が用意します。ネットで大量に買い送ってもらっています。注文時に「オムツ」について初めて知ったことがありました。一度の排泄で取り替えずに数回使って取り替えるように出来ています。度々取り替える手間、人手がないからでしょう。4、5回の尿を取る「尿取りパッド」と言うものを「オムツ」の中につけます。「尿取りパッド」だけを取り替え、「オムツ」の節約です。「オムツ」や「尿取りパッド」もいい値段します。

 「オムツ」替えの作業だけでも職員の人は大変な仕事、その上、敷布団や掛け布団まで汚すようになると幾重にも手がかかります。シーツを替えても、布団にまでしみ込んだ匂いや汚れは消えるものではありません。施設側が私に言って来るぐらいですから、かなり困っていると察しました。

 主人の実家の客用布団を運びました。一昨日は掛け布団、昨日は敷布団。それに合わせてカバー類もあるだけ持って行きました。「シミや匂いの強くなったものは、捨ててください。」とお願いしました。

 義母の必要なものを届ける時、いつも後になって「あれも持っていけばよかった。」などと思い出します。どこに何があるかわからぬ主人の実家で探し物をするからでしょう。とりあえず、寒さが来る前に布団の準備は出来ました。職員の方たちが少しでも楽になればと思います。義母も気持ちよく休めるでしょう。

 3年近くぶりに主人が香港から戻ってきます。帰国翌日に義母との面会を申し込みました。義母の個室で面会です。私が義母の個室に入るのも3年ぶりです。久しぶりの対面、いい時間が過ごせますように。

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抗原検査 3年ぶりに老人施設内に入りました。

2022年11月02日 | 義母とのこと

晴、14度、78%

 初めて、抗原検査を受けました。鼻腔内粘膜をとって15分で結果が出ます。義母の施設内に3年ぶりに入れてもらうためです。 義母の日々の健康管理を新しい訪問介護の医師に頼むため、医師との初面談、初診療に立ち会いました。

 訪問看護の医師の数が増えています。まだ福岡で数えるほどしか訪問看護医師がいなかった頃、母には毎日来てくださる医師がありました。つまりこの家に訪問してくださっていました。入所するまで、多大なご迷惑をその医師におかけしました。感謝しかありません。義母の医師はまだお若く恰幅のいい方、老人専門らしく穏やかな口調です。ふた方選択肢がありましたが、家に訪問と違い看護師もいる施設への訪問看護なのでつべこべ思わず、お願いすることにしました。

 義母に会ったのは先月の10日過ぎ、3週間たっただけなのにますます口数少なく、表情が乏しくなりました。医師との面談中も言葉はありません。あらかじめ今までの病院での病歴を新しい医師には渡してありました。内臓疾患はないようです。

 面談後、急いで香港の主人にテレビ電話を入れました。会議中にも関わらず、電話を取ってくれた主人を見て義母が一瞬、孫つまり東京にいる息子と勘違いしました。ほんの一瞬でしたが私の目を見て「誰?」と尋ねたように感じました。 電話の向こうで涙ぐむ主人を見ても無表情です。ひと言ふた言、か細い声で話しただけでした。

 先月の外部の病院への通院時、施設への帰り道非常に疲れた義母を見て訪問介護医を頼むことにしました。でも本当にそれが良かったのか?昨日の義母の様子から心を痛めています。外社会との接触機会を奪った形になりました。もちろん簡単に老人施設から外出許可はおりません。それでも外に連れ出してあげるほうがいいに決まっています。そんな思いがぐるぐる回って何もしないのに疲れた一日でした。

 義父母に私は嫁として大事にしてもらいました。今、義母にその恩を返したいと思っても何が本当に嬉しいのかすらわかりません。好きな鰻も食べれなくなりました。和菓子も一口食べれば満足です。帰り際小さなお羊羹を数個、手渡しながら痩せた手指を見て寂しく思いました。

 抗原検査結果はもちろん陰性でした。

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義母の通院、施設の送迎車を使用しました。

2022年10月12日 | 義母とのこと

曇、15度、74%

 インフルエンザの予防接種が始まりました。義母は一年ぶりの通院です。お薬をいただいいている内科、整形外科の診察も受けます。予約が決まり施設に11日朝迎えに行くと連絡しました。施設の職員の方が「真奈さん一人で車の乗り降りの介助は大丈夫ですか?」と気遣ってくださいます。病院前の車道に車を停め、義母を車椅子に乗せるのは年々大変になって来ました。手の力、足腰の力の減少です。バスも通る道で通院の際一番私が神経を使うのがこの乗り降りでした。「送迎タクシーを紹介してください。」というと施設の送迎車を利用できますとのお返事です。「なんで早く言ってくれないの。」と内心思います。僅かな料金で使用できる車椅子のまま移動できる車です。 室内は広く、義母も乗り降りの煩わしさを免れました。もちろん私が一番ホッとしました。

 休日明けの病院、受付けは早くに済ませていました。レントゲン、心電図、血液検査と肝心の診察前に時間がかかります。

 義母は足腰の衰えが私が想像していたより進んでいました。それ以上に認知症が進行中だと実感しました。私はわかります。待ち時間に香港の主人、東京の息子とテレビ電話で話しました。この二人も認識出来ます。ところが二人が言っていることが飲み込めない様子で、私に助けの目を向けます。明日の自分の誕生日も記憶にありません。急に何の話かわからぬことを話します。

 検査だけで随分疲れた義母です。診察の先生の質問、問いかけには無反応です。心肺ともに綺麗なレントゲンでした。「長生きなさいますよ。」と仰る先生にも返事をしません。整形外科では前回のレントゲン後、2回ほど圧迫骨折をしているだろうとの見解です。骨密度が非常に低いと診断されました。今までの薬を持続することで診察終了。支払いまでに時間がかかりました。病院を出たのは12時前、3時間も義母はよく車椅子で堪えました。送迎車に乗れば5分足らずで施設です。送り届けて施設の駐車場に停めて置いた私の車で帰宅しました。

 この施設は病院附属ではありません。訪問介護の医師がいて、他の入居者はその方にインフルエンザ予防接種や健康観察をしてもらっています。義母は退院後、直接入居したので、通院を余儀なくさせられていました。月々の支払いが派生しますが、この訪問介護の医師を頼もうかと検討中です。外に出るのは気晴らしになるでしょうが、義母の体への負担も大きいと感じます。

 義母の状態で今後の介護の仕方も変わります。まだ身内の顔がわかるのが何よりです。主人も息子も私も幾度も声をかけました、「長生きしてね。」子供のような表情を浮かべて私の目を見ます。義母の目がこの40数年のうちで一番美しいと思えた昨日でした。

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義母のボヘミアカットガラス

2022年07月30日 | 義母とのこと

曇、29度、74%

 住む人がいなくなった主人の実家に月数回、足を運びます。郵便物の点検、家の状態の確認。玄関のドアを開けると、この家に初めて訪れた40数年前と変わらぬ匂いがします。この家の匂いです。40数年前と違うのは、私を迎えてくれた義父母の笑顔がないことです。

 お仏壇に挨拶して、家を一回りします。主人が帰る度に家財道具の片付けをしていました。ガラガラになった食器棚に「ボヘミアのカットガラス」があるのに気付いたのは、数日前のことでした。義母がよく食卓に置いては使うともなく眺めていたバスケット型のカットガラスです。 ちょうど、施設に日用品を届けに行く途中でしたので、義母の元に持って行こうと袋に入れました。

 コロナ感染拡大で施設の玄関での荷物のやり取りも厳しくなりました。「義母にこれを渡してください。」と出てきた職員の方にカットガラスを手渡し、車に向かいました。車を出そうとしていると「下川さん」と声がします。職員を取りまとめる女性がカットガラス片手に走ってみえました。「高価なものは職員が掃除の時に壊したりすると困るので、持ち帰ってください。」とおっしゃいます。「壊れても構いません。」と私。「いえ、壊れてご本人が立腹されたり、がっかりされますので。」私は無理にとは言いたくないので持ち帰りました。施設で使う食器は全員同じプラスチック製です。味気ないものだと常々思います。せめて身の回りに何か自分の使い慣れたものをと持って行ったのに残念です。持ち帰ったカットガラス、どこに置こうかと迷います。

 玄関を入って目に付くところに置きました。出かけるときは「義母さん行ってきます。」帰宅すれば「ただいま義母さん」忙しさにかまけると時折施設にいる義母のことを思い出さない日があります。玄関でこうして声にすればその時だけでも「今日は元気かな」と思い出します。本当は義母のそばに置いて欲しかった「ボヘミアのカットガラス」です。

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義母に鰻を届けました。

2022年07月24日 | 義母とのこと

晴、26度、82%

 義母が嫁いだ先は、水郷の里柳川でした。鰻でも有名なこの街は「川下り」の船着き場の一帯には「鰻屋」が店を並べています。義父は長男で嫁入り前には「嫁入り道具のお披露目」もしたと聞きます。大家族との折り合い悪く、義父母は福岡に居を移しました。

 下川の家の柳川の贔屓の鰻屋は「本吉屋」です。その「本吉屋」が福岡のデパートに入っています。昨日は土用の丑の日、予約しておいた「せいろ蒸し」を取りに朝一番にデパートに向かいました。開店数分前、駐車場に続く入り口には列が出来ています。「何の列だろう?」開店すると、走るように店に入る人たち、ますますわかりません。ところが皆さん向かうのは私が行く「鰻屋」の方角です。「鰻屋」の前にもすでに行列が出来ていました。厚かましい私は「予約している者です。」と列越しに声をかけました。予約は毎年別カウンターで受け取ります。毎年予約するのですが、こんな列を見たのは初めてです。今年は特別出店で地元の有名店や九州の有名店も「鰻」を売っていました。しかもこの暑さです。みなさん「鰻」に力を貰うおつもりでしょうか。行列には驚きました。

 11時前、義母の施設にまだ温かな「せいろ蒸し」ひと折りを届けました。鰻一匹の「せいろ蒸し」さほど大きなサイズではないのですが、義母は一度に食べれなくなっています。お昼ご飯、夕飯と2度に分けて食べてもらおうと朝一番に予約を入れました。しかもまだ温もりのある「せいろ蒸し」を届けることが出来ました。

 朝から「鰻」の行列で私もすっかり「鰻」モードです。帰宅するなり、買っておいた「鰻」を蒸しました。蒸し初めて「あっ、本吉屋のせいろ蒸しの写真を撮り忘れた。」と気付きました。それほど行列に気を取られていました。

 私の「鰻」は中国産の特大、タレは前夜から拭い取り酒蒸ししていただきます。「山椒」ではなくわさびをつけて食べます。見出し写真は私の「鰻」です。がぶりと口に入れると鰻の汁と脂がいい具合です。あっという間に一匹完食しました。

 施設のご飯は見るからに貧弱で美味しくなさそうです。義母は好物の「本吉屋」の鰻を喜んでくれたかしら。スマホに変えて以来電話で話が出来ません。義母は使えないのだそうです。この暑い夏、「鰻」が義母を元気にしてくれると思います。

 ココさんも「鰻」のおすそ分け、おいしさは元気の源です。

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義母の薬が増えました。

2022年02月08日 | 義母とのこと

曇、5度、74%

 電話のベルと共にスマホを見て義母の入所先の施設名が出ると一瞬身構えます。同じような境遇にいらっしゃる方は皆さん同じでしょう。「何かあったかしら?」義母が病気であれ怪我であれ万が一でもすぐ動かないといけないのは私です。病院の手配、諸手続き、その時に備えてどう行動するかを常々考えて来ました。先日の電話は寒くなり肌が乾燥している、やや便秘気味だという報告でひと安心しました。

 すぐに体や頭を洗う石鹸類を刺激の少ないものに変え届けました。薬の処方も施設側が望んでいます。昨日はふた月に一度の薬をもらいに行きました。義母は施設からの外出は「オミクロン」で許されません。私一人です。内科と整形外科で処方していただきます。時折ベットから滑り落ちたり大きな痛みや骨折はありませんが、予防、気休めの痛み止め、骨を強化の薬を整形外科よりもらいます。内科では数十年飲み続けている高血圧の薬が処方されます。加えて「便秘」の薬をいただきたいと医師に話しました。

 以前から薬の量の多さが気になっています。本人が飲みたくないとか言っているわけではありませんが私には多く思われます。内科医にそのことを告げました。血圧の薬は同じものの服用を勧められました。「便秘」とばかり侮れませんが、「便秘」にはできたら「漢方」のような薬がいいと言いました。「漢方」だって薬です。でも幾分でも穏やかではないかと思います。医師も同意してくれて「漢方」を処方してもらいました。痛み止めの塗り薬、乾燥肌の塗り薬も含めて、見出し写真の量が義母の薬です。

 ふた月分とはいえ、一日の服用量はかなりです。大きな疾患ではなくてもこの量、いずれ見直さなくてはと思います。外の寒さ、コロナの蔓延など気にもせず、温かな施設内で暮らせることはありがたいことです。職員の方に薬を手渡しながら、年末年始もなく働いてくださることに心から感謝します。

 月曜日いつもは大勢の患者さんですが、この寒さとオミクロンの勢いとで珍しく空いていた病院でした。 義母、この冬も乗り切ってくれそうです。

 

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義母のインフルエンザ予防接種

2021年12月04日 | 義母とのこと

晴、9度、56%

 今年はインフルエンザのワクチンの生産量が少なかったそうです。高齢者の接種までふた月待ちました。毎月初め問い合わせました。行きつけの病院以外も尋ねました。かかりつけの病院以外は断られます。施設は集団生活ですので少しでも早く接種させたいと思っていました。今月に入ってやっと余剰分が出たので接種できることになりました。当初来週の月曜日に受けるつもりでしたが、病院側から手持ちの数が少ないので少しでも早く来院くださいと連絡がありました。予約も受け付けてはくれません。そんなわけで、雨が朝から降る中、昨日義母と病院に行きました。

 病院に行くために、朝早くから職員の人の手を煩わせます。寒くなっていますから、着るものも多くなります。迎えに行くと、玄関に車椅子に座って待っていました。私を見ても微笑みません。「あれ?具合が悪いのかしら。」と心配になります。私の車へは職員の方が手慣れた様子で乗せてくれました。小降りになった雨の中、病院前で義母を車椅子に移すのは私の仕事です。会うたびに足腰の力が弱くなっています。車椅子へあと一歩が大変です。すると通りがかりの女性が手を貸してくださいました。「私、病院の職員です。」おかげでやっと車椅子に座らせることができました。

 予防接種と整形外科の簡単な診察でお薬を出してもらいました。別条はないのですが、どこが痛いここが痛いと言うのだと施設の職員から聞いています。

 会った時から様子がいつもと違うと思っていました。表情がなくなっています。私の言葉や医師の言葉への反応がなくなっています。かと思うと急に取り留めのないことを話し始めます。私の携帯から主人に電話、代わるといつもは表情が和らぐのですが、主人が話しているのを聞いている様子がありません。

 認知症が進んでいることもあるのでしょうが、高齢者特有の表情、感情の表れが少なくなることがこのたった2ヶ月で急に進んだと感じます。薬局での待ち時間が長くなりました。私が話しかけてもほとんど頷くだけです。一人暮らしよりは施設にいると他人との接触があり刺激があるのではと思います。その一方、他人任せになることで主体性がなくなります。94歳の義母、訪ねてくるのは私だけの現状です。抱きかかえ乗り降りをさせる時、義母の暖かな体の匂いがします。昔と変わらぬ匂いです。「老いること」の難しさを感じます。小さくなった体を車に乗せるとホッとしたものの涙が出て来ました。

 家に帰って義母との時間を思い返しました。何かすっきりとしない重いものが私の中に残っています。冷たい雨、年の瀬に向かうこの季節、理由なく済まない気持ちで今朝も目覚めました。「生きて行く」ことの大変さを思う一日でした。

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