晴、12度、84%
ひと月足らず、軽い骨折で入院していた義母が退院しました。痛みがなくなり、車椅子に乗れるようになることが退院の目安でした。施設に戻るためには車椅子に座れることが第一条件となっていました。暖かな晴天の朝空を眩しそうに見上げていました。
このひと月の間、義母の施設の部屋を幾度か訪れました。コロナで3年間入ったことがなかった義母の部屋です。身の回りの物を取りに行くだけのはずだったのですが、部屋の中のあまりの乱雑さに片付けに行くことにしました。
以前は花を置いたりと部屋らしかったのが、まるで物置のような有様です。大きなバックを開けると、義父の遺影と一緒に靴が片方、使ったマスクと新品のマスク、使いかけの蓋のない歯磨き粉、アクセサリーなどが詰まっています。どこもかしこも同じ状態でした。申し訳ないと思いつつ、不要なものは捨てました。
昨日の朝一番気がかりだったのは、義母が私の覚えているかということでした。施設に通ううちに、ある職員の方から義母が人を認識しなくなったと聞きました。有り体にものを言う方は「お元気にしてますよ」としかおっしゃいませんが、この職員の方ははっきりと義母のことを話してくれました。持ち物を自分でバックに詰め、人に触らせなかったことも聞きました。迎えに来てくれた施設長が義母に話しかけました。義母、「あんた誰?」「マスクをしたままの私をわかるかしら?」入院時は、検査がいくつもありバタバタと入院しました。私と話す時間もほとんどありませんでした。車椅子の前にかがんで「退院できてよかったね。」と声をかけると、義母は目を見開いて、か細くなった声で「真奈さん」と言いました。覚えていてくれました。忘れられていてもいいのですが、やはり嬉しかった。娘でなく私は嫁ですから、なおさらです。
施設のへ部屋に連れて行き、二人だけで話そうとすると職員の方が次々にやって来ます。今後の施設側の対応を話すためです。他の人がいなくなると、母の細くなった手を握って目を見ました。聞き取れないほどの声で「ありがとう」と幾度も言ってくれました。
施設の部屋を片付けている時、あることに気付きました。アドレス帳を5冊ほど部屋の持ち込んでいましたが、そのどれもが開いたままです。開かれたページは「真奈さん」と書かれ香港の電話番号がのっていました。中の一つが私が帰国後に書いたものでしょう、新しい日本の携帯ナンバーが書かれていました。義母はもう携帯を使いません。それでも何かの時には私に連絡と思ってページを開けたままにしていたのだと思います。
疲れさせたくないので昼前に施設を出ました。今後、徐々に面会が許されるそうです。義母の「ありがとう」の言葉にたくさんの幸せをもらった昨日でした。