気ままに

大船での気ままな生活日誌

東博で”再会” 

2010-03-05 22:11:54 | Weblog
今日は、湯河原の梅園にしようか、東博にしようか迷ったが、結局、上野に行った。もちろん長谷川等伯展だ。すばらしかった。これについては次回以降に紹介しよう(そう言って、まだ書いていないのが、三つほどある、宿題が溜まっていくようだ;汗)。常設展で、暫くぶりの再会した作品があった。実は、行くたんびに、そいつを探していたのだが、ここ数年間、展示されていなかった(あるいは展示があってもすれ違いだったかもしれない)。そいつの名前は”秋草文壺”とゆう。平安時代、12世紀のもので渥美窯のものだ。国宝である。

”そいつ”なんて気安く呼ぶのは、実はぼくの川崎の実家(母が他界してから売却してしまったが)のすぐ近くの古墳跡地から出土したものだから、まあクラスメイトみたいなものなのだ。そいつのことは、中学生のときから知っていて、川崎でただひとつの(汗)国宝壺で自慢のものだったのだ。そいつは、一応、近くの慶応大学(日吉)所蔵なのだが、実質は東博に所蔵され、ときどき展示されているのだ。今日、長谷川等伯展をみて、またいつものように、常設の考古学展示室に入ったとたん、そいつの顔が見えて、おいらはもう飛び上がるほど、うれしくなってしまった。来週、中学校のクラス会があるのだが、久しぶりに旧友にあったような、うれしさだったよ。

ほら、なかなか、いいやつだろう。秋草模様なんかつけちゃてさ。本当に久しぶりだ。またいつ会えるかも分からないし、もしかしたら、これが、もう、今生の別れかもしれないしと思って(汗)、じっくり話をしてきたぜ。写真もいっぱいとったぜ。でも、おまえはいいな、こんなに大事にされ、もう、1000年近くも、生き続けているんだから。おいらなんか、せいぜい生きて、あと10年だろう。でも、まあ、こんな晴れやかな舞台に出ているより、おいらの実家のそばの、土の中で眠っていた方が幸せだったかもしれねえな。





今日はついてる、ひょとしたら、鈴木春信が描いた、笠森おせんちゃんも展示されているかもしれねえと、おいらは本館の浮世絵の展示室にとんで行ったんだんど、残念ながら、おせんちゃんには会えなかった。でも、春信センセイの絵はあった。どこかで見たなと考えてみたが、たしか高橋コレクション展ではないかと思った(勘違いかもしれない)。燈籠の灯を袂で隠し、少年に梅の枝を折ってもらっている女は、おせんちゃんにそっくりだった。いずれにしても、これも”再会”だ。関係ないけど、松尾和子さんの”再会”は良かったね。吉田正さんも、自作の歌では一番好きだったようだ。



”再会”とは関係ないけど、ついでに。黒田清輝特別展示もしていて、”鎌倉にて”三部作があった。一応、鎌倉に住んでいるとゆうことで関心をもっただけでやんす。

これは、”再会”とも”鎌倉”とも関係ないが、お雛様展もあった。これはあまり関心もないけど時期的に入れておこうとおもって、それだけのことでやんす。


では眠くなってきたので、おやすみなさい。
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大磯”道祖神街道”をゆく

2010-03-05 09:59:21 | Weblog
大磯図書館には結構、いい古本がある。骨董品を見物するように本を観るのも面白い。そこに行くつもりだったが、めったにない、月曜以外の休館日だった。ではと、大磯散歩に切り替えた。海岸に沿って、昔からの裏道の道祖神がいくつもある”道祖神街道(ぼくが名付けた)がある。そこを散策した。昔ながらの庶民的な家もいい。いくつか、小さな祠や石像の道祖神を撮った。

(道祖神街道)

(道祖神)




現代道祖神(笑)



道祖神街道が途切れた先に西行法師ゆかりの鴫立庵がある。この沢から鴫が飛び立ったのであろうか。”こころなき 身にもあわれは しられけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ” 白州正子さんの祖父にあたる方がこの辺りの別荘に隠居していて、正子さんは子供の頃、夏休みはここですごしたそうだ。この沢から鴫が飛び立つのを一度もみたことがないそうだ(笑)。

鴫立庵


東海道を戻り、途中でこの蔵の喫茶店でコーヒーを。地元の人が三人ばかりいて、あそこの蕎麦はおいしいけど、蕎麦がきは駄目だとか、いろんな話を聞いて、面白かった。ちょっと、心に染みる話もあったけど、ながくなるので止める。



島崎藤村夫妻のお墓の前の河津桜が満開だった。

隣りで石仏さん達も花見をしていた。

延台寺にも寄ってみた。虎御前の供養塔。

虎池弁財天御神石と、左側は、大磯宿の遊女のお墓。


古本をみるつもりが道祖神や石仏、墓石を観る散歩になってしまった。でもどちらも古いことには変わりはない。

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”おせん” 最終回

2010-03-05 08:41:57 | Weblog

春信の住まいで、菊之丞の急病を聞いたおせんは、無我夢中でおのが家の敷居を跨いでいた。母の手を振り払うようにして、そのまま畳ざわりも荒く、おのが居間へ駆け込んでいった。”どうしたんだよ、おせん” ”お母っさん、あたしゃどうしよう、吉ちゃんが、あの菊之丞さんが急病の事でござんす。これからすぐに市村座の楽屋へお見舞いに行ってきとうござんす。お母さん、そのお七の衣装を脱がせておくんなさいまし” ”吉ちゃんが、去年の芝居が済んだ時、黙って届けておくんなすった。お七の衣装、あたしに着ろとの謎でござんしょう”

衣装を脱がせて、襦袢を脱がせて、屏風のかげへ這いいったおせんは、すばやくおのが着物と着替えた。と、このとき男の声が大きく聞こえた。”おせんさん、傳吉でござんす。浜村屋の太夫さんが急病と聞いて、何よりも先にと駕籠を飛ばしてめえりました。”親方、その駕籠を待たせておくんなさい”おせんの声は、いつになく甲高かった。


人目を避けるために、わざとござ巻を深く垂れた医者駕籠にのせて、男衆と弟子のふたりだけが付き添ったまま、菊之丞の不随の体は、その日の午近くに、石町の住まいへ運ばれて行った。駕籠のあとを追っていた役者衆のひとり羽左衛門、”不吉なことを言うようだが、浜村屋さんは、あのままいけなくなるかもしれない”そういってさびしそうに眉をひそめた。


診察を終えた玄庵は、奥方のおむらや役者衆を次の間にうつし、”御内儀、お気の毒でござるが、太夫はもはや一時の命じゃ”そのとき、”お客さまでございます” ”どなたが” ”谷中のおせん様”。”太夫は御病気のゆえ、お目にかかれぬとお断りしておくれ”するとその刹那、ぱっと眼を開いた菊之丞の、細い声が鋭く聞こえた。”いいよ。いいから、ここへお通し”


七年目で会った、たった二人の世界。ほとんど一夜のうちに生気を失ってしまった菊之丞の、なかば開かれた眼からは、糸のような涙が一筋頬を伝わって、枕を濡らしていた。”おせんちゃん”菊之丞の声は、わずかに聞かれるくらい低かった。”あい” ”よく来てくれた” ”太夫さん” ”太夫さんなんぞと呼ばずに、やっぱり昔の通り、吉ちゃんと読んでおくれな” ”そんなら、吉ちゃん、あたしゃ、会いとうござんした” ”あたしも会いたかった。 こうゆうとお前はさだめし心にもないことをいうと、お想いだろうが、決して嘘でもなければ、御世辞でもない。十年前と同じこと。義理でもらった女房より、浮気でかこった女より、心から思うのはお前の身の上。暑いにつけ、寒いにつけ、切ない思いは、いつも谷中の空に通っていたが、今ではお前も人気娘、うっかりあたしが訪ねたら、あらぬ浮名をたてられて、迷惑だろうと、辛抱してきたのさ。”・・おせんちゃん、所詮は会えないものと、あきらめていた矢先、本当によく来てくれた。あたしゃ、このまま死んでも、思い残すことはない。””吉ちゃん、しっかりしておくんなさい、恥ずかしながら、お前がいなくてはこの世の中に誰を思って生きようやら。・・のう吉ちゃん、たとえ一夜の枕は交わさずとも、あたしゃおまえの女房だぞえ”菊之丞の眼は仏像のように座っていった。”吉ちゃん、太夫さん” ”お、せ、ん” ”ああもし” おせんは、次第に唇の褪せて行く菊之丞の顔の上に、涙と共にうち伏してしまった。隣座敷から、にわかに人々の立つ気配がした。


菊之丞の冷たいむくろを安置した八畳の間には、妻女のおむらさえ入れない、おせんがただひとり、首を垂れたまま、黙然と膝の上を見つめていた。ふと、おせんの固く結んだ唇から、低い、かすかな声がもれた。”吉ちゃん、おかみさんやほかの人達にお願いして、あたしがたった一人、お前の枕もとへ残してもらったのは、十年前の、ままごと遊びが忘れられないからでござんす。みんなして、近所の飛鳥山へ、お花見に出かけたあのとき、いつもの通り、あたしとお前は夫婦でござんした。どこぞの御大家の中に迷い込んだ時、この子たち、もう小十年もたったならば、きっと惚れ惚れするように美しくなるであろうと御世辞にほめていただいた。あの夢のような日のことが、いまだにはっきり眼に残って、吉ちゃん。あたしゃ今こそお前に、精根をつくしたお化粧をしてあげとうござんす。紅白粉は、家をでるとき、袱紗に包んでもってきました。私の使いふるしでござんすが、この紅筆は、お前が王子を越すときに、あたしにおくんなすった、今では形見。役者衆の、お前のお気に入るようには出来ますまいけれど、辛抱しておくんなさい。せめてもの、あたしの心づくしでござんす”

眼、口、耳。真っ白に塗りつぶされたそれらの形が、間もなく濡れ手ぬぐいでおもむろに拭き清められ、やがて唇に真紅のべにがさされて、菊之丞の顔は今にも物を言うかと怪しまれるまでに、生き生きと蘇った。”あたしゃ、これから先も、きっとお前へと一諸に生きて行くでござんしょう。おまえもどうぞ、魂だけはいつまでも、あたしのそばにいておくなさい。あたしゃ千人、万人の人からいい寄られても、死ぬまで動きはいたしませぬ。もし吉ちゃん” ぼたりと落ちたおせんの涙は、菊之丞の頬をぬらした。(完)
。。。

”おせん” 小村雪岱挿絵 邦枝完二作  昭和9年1月20日印刷/1月25日発行 新小説社 定価1円80銭。

。。。

春信の描いた、菊之丞を描いた絵をさがしていたら、やっと見つかった。”柳屋見立て三美人”。真ん中が菊之丞。はじめ左の美人がおせんちゃんかと思って、右端の美人を軽んじて撮った(笑)よく説明文をみたら、左は、楊枝屋、柳屋の看板娘の柳屋お藤だった。右が笠森おせんだった(汗)たしかに菊之丞の顔はおせんちゃんの方を向いている。


で、お藤ちゃんを切って、菊之丞とおせんちゃんの、ふたりだけにしてあげた(笑)


。。。
今日のつぶやき

湯河原幕山の梅を観に行こうか、長谷川等伯展に行くかまだ決められない(汗)。
コメント (2)
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