気ままに

大船での気ままな生活日誌

”小林秀雄のモーツアルトを聴く”を聞く

2010-03-09 18:35:37 | Weblog
昨日の長谷川等伯展の松林図屏風のところで”小林秀雄ではないけれど、「疾走するかなしみ」が松林の中からきこえてくるようだ”という文章を書いているとき、そうだ、鎌倉での新保祐司さんの”小林秀雄のモーツアルトを聴く”の講演会の記事をまだ書いていなかったことを思い出した。それで今、書いている。

その「疾走するかなしみ」は、まさにその”モーツアルト”に出てくる有名な一節なのである。”確かに、モーツアルトのかなしさは疾走する。涙はおいつけない。涙の裡(うち)に玩弄するには美しすぎる。空の青さや海の匂いの様に、万葉の歌人が、その使用法をよく知っていた「かなしい」という言葉の様にかなしい。こんなアレグロを書いた音楽家はモーツアルトの後にも先にもいない”

新保さんは講演の中で、小林さんの文章は”論”でなく、散文詩だとゆうようなことを言われた。ぼくも全く同様な感想をもっていて、たとえば、上の文章なんか、まさにそうだ。ぼくは小林秀雄さんの作品で、一番好きなのが、このモーツアルトで、あと、西行と徒然草を入れて、ベストスリーにしている(笑)。いずれも、このような散文詩的な文章が多い作品だ。

”僕の乱脈な放浪時代のある冬の夜、大阪の道頓堀をうろついていたとき、突然、このト短調シンフォニーの有名なテーマが頭の中に鳴ったのである。僕がこの時、何を考えていたか忘れた。いずれ人生だとか文学だとか絶望だとか孤独だとかそういう自分でもよく意味のわからぬやくざな言葉で頭をいっぱいにして、犬のようにうろついていたのだろう。とにもかく、それは、自分で想像してみたとはどうしても思えなかった・・・”

新保さんは、こうも言った。小林さんの文章は批評ではなく、”独白”ともいえる。人のことを論じているうちに、知らず知らず、自分自身のことを述べている。上の文章なんか、まさにそうだ。小林さんの”批評”には批判めいたことは、一切出てこない。それは、自分を語るに相応しい人物を対象にしているに外ならないのではないだろうか。”独白”したい人物を選んでいるのだ。

この講演のユニークなことは、”モーツアルト”に出てくる曲をCDで聞かせくれたことである。面白い事実もあった。新保さんが言うには、この楽譜(楽譜がところどころに文中に出てくる)は実際とは違うのもあるんですよね、とか、”かなしみは疾走する”の曲を聴かせたあと、実際はこの曲の方がイメージが会いますね、と別の曲を聞かせてくれた。実はぼくもその曲だと今まで思っていた(汗)。でもそんなことは小林さんにとってはどうでもいいことだ、と言う。道頓堀の場面だって、実際その場所であったのかどうかあやしい、あの雑然とした騒々しい雰囲気の街でこのト短調シンフォニーが聞こえてくるから、いいのであって、静かな夜の鎌倉で聞こえてきても、読む人の心には響かないのだ。”事実”と”真実”は違う、”精神”は後者に宿ると、新保さんは考察する。

この”モーツアルト”は昭和21年7月10日に脱稿し、12月に発刊された。この本に、”母親の霊に捧ぐ”との言葉が入っていると、その初版本をみせてくれた(戦後すぐのことなので、うすっぺらな、安っぽい紙を使ったような本だった)。その年の5月27日に母親を亡くしていたのだ。悲しみの中でこの本が書かれていたことを知った。この”モーツアルト”でも、彼が最後の作曲を途中までして死ぬ、そして残りを弟子によって完成させたところで終わっている。この曲もCDで聞かせてもらえた。以下の文章で終わっている。

”彼は、作曲の完成まで生きていられなかった。作曲は弟子のジェクスマイアーが完成した。だが、確実に彼の手になる最初の部分を聞いた人には、音楽が音楽と決別する異様な辛い音を聞き分けるであろう。そして、それが壊滅して行くモーツアルトの肉体を模倣している様をまざまざと見るであろう。”



”僕は、その頃、モーツアルトの未完成の肖像画の写真を一枚持っていて、大事にしていた。それは巧みな絵ではないが、美しい女の様な顔で、何か恐ろしく不幸な感情が表れている奇妙な絵であった。モーツアルトは、大きな眼を一杯に見開いて、少しうつむきになっていた。人間は、人前で、こんな顔が出来るものではない。彼は、画家が眼の前にいる事など、全く忘れてしまっているに違いない。二重まぶたの大きな眼は何にも見てはいない。世界はとうに消えている・・・ト短調シンフォニーは、時々こんな顔をしなければならない人物から生まれたものに間違いない、僕はそう信じた。何という沢山の悩みが、何という単純極まる形式を発見しているか。内容と形式との見事な一致という様な尋常な言葉では言い現わし難いものがある。”
コメント
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