ぼくは今日、昼間、鎌倉中央図書館に居た。そして5時頃、帰宅した。そのとき、夕刊を観て驚いた。あの八幡様の大銀杏が、今日の未明、倒木したというのだ。樹齢千年ともいわれ、鎌倉八幡宮の顔とゆうだけではなく、鎌倉の顔、いや、日本一、名の知られた銘木といってよい。そのご神木が倒れたというのだから、もう大変な事件だ。さすが、朝日新聞、一面、準トップに載せてくれた。(あとで、駅のスタンドで調べたのだが、読売も準トップにしていた。情けないのは日経、東京だった、一面に載せていないのだ)。あほんだら、1000年もの間、鎌倉幕府の時代を含め、ホモサピエンスの歴史をやさしく見守ってくれていたんだぞ。こんな偉大なご神木さまの最後を軽く扱うとはとんでもない新聞だ。
それに、おれは、うちのゲゲゲの女房にも文句を言ってやった。家に帰ったら、ネットで知ってたよと、いう。それなら何故、メールでおれに知らせないのだとイカッタノダ。おれはもう、すぐ引き返した。急いで、大船駅に向かうと、おれを待っていたように逗子行きの電車がすぐ来た。5分で鎌倉駅に、そして、今日はご神木さまのお通夜だ、だから、正式に段蔓を通り、急ぎ足で、八幡宮の鳥居に向い、大銀杏に向かった。もう、6時前後というのに、舞殿の周囲には大勢の人が集まっていた。おれのように、御神木に弔意を表すために来たのか、ただの好奇心で寄ってきたやつかどうか、知らないが、何故かうれしかった。

ご神木は、こんな姿で根こそぎ、倒れていた。とても信じられる姿ではなかった。1,2週間には一度、この前を通るが、いつも、元気な姿をみせてくれて、まだ、何百年も、もしかしたら永遠に生き続けてくれるものかと思っていたのに、なんとゆうことだろう。この姿をみて手を合わせている若い人がいたが、おれも、涙があふれそうになってしまった。


舞殿から右側の石段を登って、本殿に向かった、途中で出会った巫女さんも涙ぐんでいるようだった。ぼくもここで、上から観て、合掌した。千年の命の最後。でも大往生だったね。未明、誰にも迷惑をかけず、静かに逝った。さすが、日本一の銘木、ご神木だ。ぼくの亡き母親の誕生日と同じ日に逝った。おれも、あと何年生きるか、わからないが、いつまでもおぼえてるぜ、2010年3月10日。さようなら、ありがとう、ご神木さま。


また、下の戻ると、テレビ局のインタビューが始まっていた。ひとつの歴史が終わった。

帰るころには日は落ち、代わりに段蔓の燈籠の灯が、ご神木の霊を弔っていた。

それに、おれは、うちのゲゲゲの女房にも文句を言ってやった。家に帰ったら、ネットで知ってたよと、いう。それなら何故、メールでおれに知らせないのだとイカッタノダ。おれはもう、すぐ引き返した。急いで、大船駅に向かうと、おれを待っていたように逗子行きの電車がすぐ来た。5分で鎌倉駅に、そして、今日はご神木さまのお通夜だ、だから、正式に段蔓を通り、急ぎ足で、八幡宮の鳥居に向い、大銀杏に向かった。もう、6時前後というのに、舞殿の周囲には大勢の人が集まっていた。おれのように、御神木に弔意を表すために来たのか、ただの好奇心で寄ってきたやつかどうか、知らないが、何故かうれしかった。

ご神木は、こんな姿で根こそぎ、倒れていた。とても信じられる姿ではなかった。1,2週間には一度、この前を通るが、いつも、元気な姿をみせてくれて、まだ、何百年も、もしかしたら永遠に生き続けてくれるものかと思っていたのに、なんとゆうことだろう。この姿をみて手を合わせている若い人がいたが、おれも、涙があふれそうになってしまった。


舞殿から右側の石段を登って、本殿に向かった、途中で出会った巫女さんも涙ぐんでいるようだった。ぼくもここで、上から観て、合掌した。千年の命の最後。でも大往生だったね。未明、誰にも迷惑をかけず、静かに逝った。さすが、日本一の銘木、ご神木だ。ぼくの亡き母親の誕生日と同じ日に逝った。おれも、あと何年生きるか、わからないが、いつまでもおぼえてるぜ、2010年3月10日。さようなら、ありがとう、ご神木さま。



また、下の戻ると、テレビ局のインタビューが始まっていた。ひとつの歴史が終わった。

帰るころには日は落ち、代わりに段蔓の燈籠の灯が、ご神木の霊を弔っていた。
