気ままに

大船での気ままな生活日誌

源氏山から海蔵寺へ

2010-05-30 18:39:50 | Weblog


今日は鎌倉芸術館で小津安二郎の映画会があった。麦秋と秋日和の名品二本立てで、是非みたいと2週間ほど前、券を買いに行ったが、すでに完売とのことで、残念であった。で、麦秋の候、源氏山に登った。通常は小津安二郎の住んでいた、北鎌倉の浄智寺脇の山路から入ってゆくが、今日は、映画を観られなかったので、へそを曲げて(笑)、梶原口から登った。緩やかな坂でこちらの方が年寄り向きだ。

大分濃くなった緑の中、静かな山路を登るのはいいもんだ。漱石なら、山路を登りながら哲学的なことを考えるだろうし、芭蕉なら、句のひとつやふたつ頭に浮かぶだろうが、ぼくは、ただただ、山路に咲く、山紫陽花や卯の花やユキノシタの小花をみて、それだけで十分満足だ。なんと頂上にたどり着くまで、誰一人逢わなかった。こんな天国がどこにあろうか、と思う。

源氏山の頂上近くの”天国”には源頼朝がいた。アベックがなかなかイケメンね、それに若いし、と言っていた。たしかにそうだ。中井貴一が頼朝役をしたことがあるが、そんな感じだ。その像の横に、タイムカプセルが埋められているそうだ。1999年、頼朝没後800年に”21世紀・鎌倉への想い”の小中学生や市民の入選作文で、2050年に開けられるそうだ。

そして、すべりそうな化粧坂(けわいざか)を、ゆくっりと降りてた。伏流水がどこからともなく流れてきて、下の方の坂はいつも水びたしだ。この写真は上の方で、そうでもないが、800年以上も前と、ほとんど変わらぬ形状の切り通しで、頼朝も登り降りした坂だ。


化粧坂を降りると、海蔵寺はすぐ近くだ。花の寺らしく、さつきやカラーは見頃になり、苔石に生えているイワタバコが蕾を膨らませていた。そして、いつかサライの表紙を飾った、白花菖蒲と松葉牡丹のコンビも、蕾を膨らませ、はや花を開かせている松葉牡丹もあった。






海蔵寺は、”初夏日和”であった。

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又兵衛絵巻と北斎・広重風景版画の名作

2010-05-30 11:28:33 | Weblog


熱海のMOA美術館で”又兵衛絵巻と北斎・広重風景版画の名作”展が開催されている。MOAは岩佐又兵衛コレクションが充実していて、今回も華やかな”浄瑠璃絵巻”が展示されているというので、楽しみにしていた。加えて、ぼくの好きな、北斎の”冨嶽三十六景”、広重の”東海道五十三次(保永堂版)”まで公開というのだからこたえられない。遠くまで(とは言っても、東海道線で1時間で来てしまうのだ。それに駅から美術館までバスがしょっちゅう出ている)来たかいがあった。

北斎、広重はいつでも見られるが、江戸時代、浮世絵又兵衛と評価の高かった、又兵衛の作品はめったにみられない。最近では東博で”洛中洛外図屏風(舟木本)”を観たが(でも東博では作者不詳としている、美術史家のあるボスが浮世絵又兵衛を認めないのに基因しているのだろう)、すばらしい作品だった。

さて、今回は絵巻ものである。それも12巻すべての展示で、もちろん全部開くことができないから(1巻が11メートルもある)、それぞれの巻の名場面が開かれ、ガラス越しに観ることになるのだ。”浄瑠璃物語”というのは、義経と浄瑠璃姫の恋物語で、金売吉次の刀持ちとなって、陸奥へ下る途中の牛若丸が、長者の家の浄瑠璃姫を見染め、その夜契りを交わす。その後、旅の途中、牛若は殺されるが、追いかけて来た浄瑠璃姫の落とす涙で生き帰り、牛若は彼女を大天狗の背負わせ、家に戻らせる。ところが母親が彼女の行動に激怒し、彼女を殺す。それを知った牛若が、彼女を成仏させ寺を建て、母親を殺す。そして平家をほろぼす、大筋はこんなところである。この物語は人形芝居になり、その後、発展した”浄瑠璃”は、この物語の題名からきているとのことだ。

絵巻物は、達筆な物語文のよこに、又兵衛工房の絵が描かれているいう構図である。とにかく色彩の鮮やかさには驚かせる。まるで、1,2年前に描いたような新鮮さだ。余程、保存状態がいいのだろう。そして、舟木本のときも感じたが、とにかく、人物(こんどは女人が多いが)一人ひとりの顔の微妙な表情、衣装の模様も細かい模様にまで手を抜かず描かれている。それぞれの人々のひそひそ話、笑い声、悲痛なうめきまできこえるようだ。

圧巻は、第4巻、四季の段、姿見の段、枕問答の段、そして第5巻、大和言葉の段、精進問答の段、御座うつりの段、だろうか。牛若は浄瑠璃姫の館に招き入れられ、対面し、夜契りを交わす場面のあたりである。姫の部屋の東西南北に四季折々の草花が描かれた障子、枕屏風や襖の絵模様、姫の麗しい衣装、それぞれ単独に、拡大して展示して貰いたいようなうつくしさであった。ここでは、その一部の、牛若と姫の対面の場を紹介する。



大変、満足し、次の部屋に移った。驚いた、又兵衛の作品がまだまだあったのだ。展示は絵巻物だけだと思っていたので、とても得した気分だった。竹の椅子に座り竹の杖をもつ晩年の”又兵衛自画像”その横に”岩佐家系譜”、そして、官女図、楊貴妃図、伊勢物語図、寂光院図、柿本人麻呂・紀貫之図である。それらのほとんどが重要文化財である。電車の中で、新潮日本美術文庫”岩佐又兵衛”(藤浦正行著)を読んでいたが、それらの作品のほとんどが載っていたので、以下に紹介する。今度は、ぜひ”山中常盤物語絵巻”も展示してほしいな。これもMOA所蔵なのだ。

又兵衛自画像と官女図

寂光院図(建礼門院が読書している)と柿本人麻呂・紀貫之図

楊貴妃図


そして、次の展示室は、北斎の”冨嶽三十六景”、広重の”東海道五十三次(保永堂版)”。数えたら(汗)、三十六景中25作品が、そして53次中29作品が展示されていた。赤富士、神奈川沖、山下白雨そして、蒲原の雪景色、庄野の雨、名作はみんな入っていた。


午後1時半頃、見おわって、美術館のレストランに行ったら、長蛇の列。すぐ山を下りて、熱海駅前の蕎麦屋に。ひさしぶりに、ソ連(ソバ連)の杉浦日向子さんみたいに、ソバ屋で昼酒してしまった。熱海の芸者さんがソバにいてくれればもっと良かったんですが
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