おはようございます。
鎌倉市川喜多映画記念館で、”生誕100年/原節子と山口淑子激動の時代を生きた二人の女優展”が開催されている。お二人とも1920年生まれで没年もそれぞれ、2015年と2014年と長生きされた。特別展関連映画として、第一弾が”映画史に残る名コンビ、小津安二郎と原節子”で15日初日に午前は東京物語、午後に麦秋が上映された。
このことを知らず、この日は八幡さまの神幸祭を見に来たついでに、ここに寄ると、まだ当日券が残っているということで(コロナ以前ではめったに買えなかった)、迷いなく入った。
この映画は、原節子の紀子三部作(晩春、麦秋、東京物語のいずれも紀子と言う役名で出演)の一つで、原節子の全盛期時代の作品。1951年制作なので、原節子は31歳(役では28歳)、ぼくは6歳で、もちろん封切りは見ていない。スクリーンで見たのは定年後、こちらに来てから、鎌倉芸術館で見ている。感想文も書いている。そのときの文章も取り入れてながら以下に。
北鎌倉駅を降り、路地を抜けて5分ほど歩いたところにある、古い家が舞台です。そこに、婚期の遅れた28才の、丸の内の会社に秘書として勤める原節子が住んでいます。兄(笠智衆 )、兄嫁(三宅邦子)、父(菅井一郎 )、母(東山千栄子 )そして兄夫婦の2人の小学校低学年の二人の子供と一緒に暮らしています。近所の妻を亡くした子持ちの貧乏医学者(二本柳寛 )、彼の母(杉村春子)、そして、友人(淡島千景)、上司(佐野周二)もこの物語に関わります。
ストーリーは、シンプルです。適齢期を過ぎた原節子に縁談が舞い込みます。相手は40才を過ぎた旧家のお金持ちです。しかし、あるきっかけから、自分は、近々秋田に転勤する、近所の子持ちの貧乏医学者にひかれていることに気づき、結婚を決意します。
そのきっかけとは、杉村春子が、息子の転勤のための引っ越し準備をしているときに、原節子が訪ねてきます。杉村が口を開きます。・・怒らないでね、笑っちゃだめよ、私ね、いつも思っていたことがあるのよ、あなたがもし、息子のお嫁さんにきてくれたら、どんなに嬉しいかと、・・怒った?こんなこと言ってごめんね、ゆるしてね。・・少しの沈黙のあと、・・いいわよ、私・・思いがけない返事に目を白黒させる杉村。
ラストシーンは、実りの時期を迎えた麦畑(麦秋)が背景です。娘の結婚を機に、父と母は、鎌倉の家族を離れ、父が住む故郷大和(奈良)に移っています。麦畑の向こうを花嫁さんの行列が通り過ぎて行きます。そして、ふたりの会話。
・・どんなところに嫁ぐんでしょうね・・ウーム・・紀子、どうしてるでしょうね・・ウーム、みんな、離ればなれになっちゃたけど、しかし、まだあたし達、いい方だよ・・いろんなことがあって、長い間・・ウーム、欲をいえばきりがない・・ええ、でもほんとうに幸せでした・・ウーム・・・・・・・・麦の穂をゆっくり、ゆらして風が通りすぎます。
東京物語と同様、何気ない日常を描きながら、しみじみと味わい深い映画でした。
はじめの出演者紹介で井川邦子が高子役であることを知り、注意して見ていた。本覚寺近くの、小さな喫茶店”井川”を経営していて、存命中にそこに入ったことがあるのだ。原節子の女学校の同級生役で出てきた。はじめて、名前と顔が一致した。お年を召されてからも、さすが元女優といった感じの方でしたよ。


川喜多映画記念館

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!