気ままに

大船での気ままな生活日誌

海を渡った鎌倉のユリ

2020-09-28 20:57:55 | Weblog

こんばんわ。

玉縄図書館で海を渡った鎌倉のユリ展が開催されているというので、先日、大船フラワーセンターの帰りに寄ってきた。

なんと、玉縄(鎌倉市)はかつてユリ球根の産地だったそうだ。岡本在住の入江麻理子さんらが調査を進めて、今回の資料展示会となった。図書館の一画に、玉縄でのユリ栽培の歴史資料、図書、大正時代のユリカタログなどが展示されている。

日本のユリは江戸時代に欧米に紹介され、明治に入るとユリ球根の貿易がはじまった。玉縄村でテッポウユリの栽培が始まったのは1890(明治23)年頃とみられ、大正時代には玉縄村はユリ球根の主産地として知れ渡たるようになったとのこと。その中心を担ったのがこの地区の豪農だった角田助太郎さん。一時はユリ畑でいっぱいだった玉縄も第一次世界大戦や関東大震災により衰退してゆく。今はその面影はない。

大船フラワーセンターに向かう道の周辺が、ユリ畑だったとは、想像するだけでも楽しい。道端によく咲いている高砂百合は、テッポウユリの仲間だから、当然交雑可能で、もしかしたら、あの頃の子孫かもしれない。

入江さんたちは、”玉縄を再びユリの里にすること”を目指しておられるようだから、楽しみに待ちたい。テッポウユリだけではなく、山百合と紅筋山百合もお願いしまぁす。

欧米では、ユリは聖母マリアの象徴とされ、キリスト教の宗教行事等でよく使われ、明治・大正期の横浜港では、ユリ球根はシルク、茶に次ぐ輸出品として最盛期には4千万箱が輸出されていたそうだ。球根1個が1ポンド程度(現在の価値で約8万円)で取引されていた記録も残っているとのこと。ニシン御殿ならぬユリ御殿も出来たそうな。

展示風景

玉縄のユリの衰退後は、大船フラワーセンターが引き継ぐ。

我が家の近くの高砂百合(今は種をつけている)

。。。。。

10月1日の中秋の名月へ向けて膨らむお月さま。

では、おやすみなさい。

いい夢を。


今日は常泉寺の彼岸花を見てきました。

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英勝寺の彼岸花、咲き始め

2020-09-28 10:25:08 | Weblog

おはようございます。

鎌倉で一番の彼岸花といえば英勝寺でしょうか。数日前、英勝寺の前を通ったとき”彼岸花、芽が出はじめました”の貼り紙があったので、まだ早いと思いつつ、昨日(27日)、様子を見に行った。

英勝寺の通用門から入り、すぐの彼岸花の群生地。残念ながら、大部分は蕾、咲き始めといったところ。

こんな感じ。

でも、鐘楼近くの区域ではよく咲いている。

この群生地は一週間後の楽しみだが、現在でも楽しめる彼岸花が境内であちこち咲いている。

山門(重文)周辺の彼岸花はちょうど見頃。

洞窟前。洞窟内に入ることででき、洞窟中には石仏が安置されている。

崖の上には太子堂と聖観菩薩が安置されている。

祠堂の裏のやぐらの仏像。

英勝寺は鎌倉唯一の尼寺。室町時代後期の武将、太田道灌から数えて4代目の康資の娘で、徳川家康の側室、お勝の方(英勝院)が創建したお寺。

仏殿と山門の間には白彼岸花がいくつも咲いている。ちょうど見頃。

睡蓮も咲いている。

ここには竹林もある。竹林の中で咲く彼岸花も風情がある。

竹林横の藤棚の前で一休み。

青空が広がってきた。芙蓉が咲いている。

最後はいつも、この階段脇の萩見物。見頃になっていましたよ。

一週間後、群生地をもう一度。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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