こんばんわ。
去年の暮に、えど博の”大浮世絵展”を見たが、これは、保存状態の良いとされるボストン美術館等海外の美術館所蔵のものだったが、今回は、日本三大浮世絵コレクションと讃えられる、太田記念美術館、日本浮世絵博物館、平木浮世絵財団のもの。こちらも海外に負けない保存状態を誇る。また、えど博では、歌麿、写楽、北斎、広重、国芳と五大浮世絵師に絞っていたが、今回は、この五人はもちろん入るが、浮世絵史に欠かせない絵師を幅広く、取り上げている。この二つのグレートな浮世絵展を年をまたいで見られる幸せ。
前回同様、ちらし等の写真を載せながら、備忘録として本ブログに残しておこうと思う。今回は、第3章と第4章。僕も好きな歌麿と写楽の登場となりまする。
第1章 初期の浮世絵
第2章 錦絵の誕生
第3章 美人画・役者絵の展開
第4章 多様化する表現
第5章 自然描写と物語の世界
第3章 美人画・役者絵の展開
美人画では、天明期(1781~89)に入り、鳥居清長が長身の美人画様式を生み、群像図を多く制作した。寛政期(1789~1801)に入ると、浮世絵界の大スター喜多川歌麿が現れ、大首絵様式でさまざまな階層の女性を描き、とくに表情の描写が卓越している。武家出身の鳥文斎栄之は清楚で上品な美人像を描き、栄里、栄昌、栄水などの門人たちも活躍する。
一方、役者絵では、寛政6年(1794)5月に東洲斎写楽が突如現れ、1年ほどで忽然と消えたが、黒雲母摺の背景に浮かぶ役者の大首絵は印象的で、国際的にも高く評価されている。また、歌川豊国も「役者舞台之姿絵」の連作で好評を博し、歌川派の役者絵の基礎を築いた。(公式サイトを参照)
鳥居清長「六郷渡船」 重要美術品
喜多川歌麿 「青楼仁和嘉女芸者部 たま村屋おひで 富本豊志名
歌麿 「高名三美人」
歌麿 「冨本豊ひな」
歌麿 「山姥と金時」
東洲斎写楽 「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」
写楽 二代目嵐龍蔵の金貸石部金吉
勝川春好「江戸三幅対」
歌川国政 「市川鰕蔵の暫」 重要美術品
歌川豊国 「豊広豊国 両画十二候 正月 三枚続」 重要美術品
第4章 多様化する表現
寛政期(1789~1801)を過ぎ、文化・文政期(1804~30)に入ると、錦絵は、より細密な描写となり、画面に表される情報量も増えていく。構図の上でもデザイン的な工夫が凝らされるようになる。また、洋風の風景描写への関心も高まり、遠近法ばかりではなく、水平線を低くとり、広い空と雲を描写するなど、大気を表現するような特徴が見られる。
美人画では、文化3年(1806)の歌麿の没後、菊川英山が人形顔とも称される美人像を生み出し、門人の渓斎英泉は妖艶な描写で人気を博する。歌川豊国の門人、国貞は若い頃から才能を発揮して、美人画、役者絵に活躍し、師の没後は、「豊国」の名を襲名して元治元年(1864)に没するまで、長い間、、活躍した。(公式サイトを参照)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/bb/2702c9563c317533d39c1475def3fb92.jpg)
菊川英山 「青楼美人春手枕 鶴屋内橘」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/5b/a3d1dce552dd76f58cdffa5ab5561b06.jpg)
歌川国貞 「今風化粧鏡 牡丹刷毛」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/fb/39f1cd2eb879edbc2e5a1c35b09af3ca.jpg)
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いい夢を。
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