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気ままに

大船での気ままな生活日誌

挫折と復活 増田明美さんの場合

2008-07-23 10:56:27 | Weblog

円覚寺の夏期講座に今年も参加しました。足立大進老大師の講話のあと、2名の講師の方たちのお話があります。それが4日間続きます。全部出席したかったのですが、用事等もあり、はじめの2日間だけ受講しました。心に残る話ばかりでしたので、これからときどき紹介していきたいと思います。

今日は、オリンピックに女子マラソンが初めて採用されたロス大会に出場された増田明美さんのお話です。ボクは女子マラソンが大好きでテレビ実況放送は必ず観ていますが、解説者ではやっぱり増田明美さんがピカイチだとかねがね思っています。声がいいですね、顔もですが(笑)。名解説者は名講演者でもありました。

オリンピック出場が決定してから、増田さんは極度の不振に陥ります。暑さ対策として沖縄での練習が裏目に出て、体調をくづしてしまい、地元の高校生にも負けてしまうほどの状態でした。それなのに、大会は近づいてくる、周囲の期待は高まる一方です。身も心も細る一方で、もうこの世の中から消えてしまいたいという気持ちにまでなってしまいました。そんなとき、成田の出身高校での壮行会が計画され、その当日、こんな行動をとってしまったのです。

ここで、はじめにお話した、鎌倉との縁が出てくるんですよ、と増田さん。壮行会に出るつもりが、ふらふらと成田の駅へ。ちょうど来た電車が久里浜行き、それに飛び乗ってしまいました。駅構内で鎌倉のポスターをみたばかりでしたので、そうだ鎌倉に行こう、と。そして鎌倉に着いて、カツドンと親子丼を食べて(当時食事制限もしてたそうですがそれも破り)、そして江ノ電にのって海辺に出て、長い間、ぼおっとしていました。

それでも、家族や関係者の励ましでオリンピックには出場します。メダルはいい、完走すればいい、と思ってスタート。しかし、いつもの先行逃げ切りのくせが出て、いきなり、トップギアーで走り、4キロまでトップ独走になってしまいました。しかしその後、第一集団に追いつかれ、離されてゆく、あとから来た佐々木七恵さんにも抜かれてしまう、そしてとうとう走れなくなり16キロで脱落してしまいます。目標の完走さえ出来なかったのです。

この日から4年間、増田さんは走れなくなってしまったのです。挫折です。”マラソンは長い、人生はもっと長い、頑張ってください”等の励ましの手紙にずいぶん慰められたそうです。でも、このままではダメになる、増田さんは1988年の大阪マラソンに出場する決心をして、練習を再開しました。

完走して、新たな人生の第一歩を踏み出したい、これが大阪マラソン出場のテーマでした。でも、これはオリンピック出場選考会でもありましたから、周囲はそうゆう目でみていました。第三集団で走っているとき”何やってんや、あほ”の声が聞こえたり、27キロ地点では”増田、もうおまえの時代は終ったんや”のきつい言葉。その瞬間、足が止り、歩いてしまいました。もう止めよう、と地下鉄の駅を探していました。

そのとき、うしろから来たランナーに”一緒に走りましょうよ”と肩をたたかれました。そうだ、私は完走を目指していたのだ、ここで脱落してしまったら、変われない、弱い自分のままでおわる、気を取り直し、増田さんはまた走り始めたのでした。そしてゴールが近づいてくる、2キロ手前からもう、涙が止りませんでした。そして、完走。これで自分が変われる、新しい自分に生まれ変わられる、もううれしくて、うれしくて、ほんとに涙が止りませんでした。とうとう復活できたのだ。

翌日の新聞。”増田、くやし涙にくれる”大見出し。以前の自分なら、キッとなるところですが、新しく変わった自分は、笑ってすませるようになっていたそうです。

その後の彼女の活躍振りは目を見張るばかりです。講師のプロフィルをみると、大阪の芸大教授とか文科省の審議会委員などもされているようです。飛躍には大きな挫折が必要なんですね。挫折している方、心配いりませんよ、すぐそこに大きな飛躍が待っています。

。。。。。

最近、スイスで合宿している野口みずきさんに会ってきたそうです。絶好調らしいです。北京五輪が楽しみですね。増田さんは、テレビ実況の解説ではなく、ラジオの方だそうです。テレビ画面をみながら、ラジオの解説を聞こうかな。

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祇園祭 山鉾巡行(1)

2008-07-22 16:21:35 | Weblog
17日は、いよいよ祇園祭のハイライト、山鉾巡行が始まります。去年はツアーで行きましたので、巡行コースの終盤となる、御池通りに設置された有料観覧席で、山鉾の来るのを今か今かと、日影もない猛暑の中じっと待っていました(汗)。今回は、巡行の出発点である、四条通りと烏丸通りの交差点付近に早々と到着。出発前の風景から楽しみました。そして、しばらくしてから、ゴール近くの御池通りに回り、グリコのアーモンドチョコのように一粒で2回楽しみました。今回の個人旅行の方が良かったかな、日影でみられて(笑)。でも、前回の経験があったからこそ、このように効率的に動けたのだと思います。来年はあそこに陣取ろうという場所もみつけました(ひみつ)。何事も3年つづけないと分りませんね。

いくつかの山や鉾を紹介しましょう。

。。長刀鉾。。

古来、くじ取らずで一番の巡行が許されている有名鉾。鉾先に大長刀をつけています。そして、生稚児(いきちご)が乗っているのはここだけです。あとの鉾は人形が乗っています。ここの生稚児は巡行のはじめに、神の領域に入ることを許される
注連縄を真剣で切り落とすなどの重要な役割を担います。前懸はペルシャ花模様絨毯、胴懸中国玉取獅子絨毯等華やかです。

先導 

堂々巡行

生稚児 横にもう一人、影武者か(笑)

鉦や太鼓そして笛 コンチキチンと祇園囃子 胴懸もすばらしい


。。月鉾。。

鉾頭は新月型(三日月ですが)。真木の中程の天王座には月読尊(つきよみのみこと)を祀る。屋根裏の金地彩色草木図は円山応挙の筆。破風蟇股(はふかえるまた)は左甚五郎作。山鉾屈指の”動く美術館”。総重量も11.8トンで第一位。お月さま好きのボクも、去年からのフアン。

さあさあお月さまのお通りだい 上に上に


上をみると 天井に円山応挙作の図が

さらに上には人が働いていた

もっと上には 月鉾マークが輝いていた

下もみておくれやす よくみて車輪の下にも いろいろな人が月鉾を支えているのどすえ


今回はこの両横綱を紹介しましたどす。次回は稀勢の里、安馬クラスの粋の良い、山鉾を紹介しますどす。ほんまどす。まってておくれやす。むかでやのおばんざいおいしかったどす。おみやげのあじゃりもちもうまいどす。いまたべたとこどす。どすこいどすこい稀勢の里きばっておくれやす。ではまたあした。



コンチキチン トンチンカン コンチクショ コンチンチン どれが本当の祇園囃子でしょうか。当った方には去年のちまきを差し上げます。効き目はもうありませんが。  



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さあこれからだ 稀勢の里

2008-07-22 08:29:10 | Weblog
大相撲夏場所8日目、稀勢の里は難敵琴将菊を破り、反攻ののろしをあげました。前半戦、思いもよらぬ黒星続きで、すでに6敗、大関の足がかりとなる、二桁勝利の夢は消えてしまいました。でもここで気をゆるめて、万が一、負け越しでもしてしまったら、元も子もなくなってしまいます。

残りの対戦相手は、格下ばかりで、十分、全勝は可能です。9勝6敗なら、来場所13勝で、3場所33勝の大関昇進ラインに到達します。去年の名古屋場所は11勝して、小結復帰を決めていますので、あのときのわき上がる力を思い起こしてもらいたいと思います。

残りを全勝できなくても、8勝7敗なら、まあいいでしょう。そのときは関脇、琴将菊には負け越してもらい、西の小結豊ノ島も8勝止まりになってもらいます。そうすると、稀勢の里の新関脇昇進になります。本当は今場所、関脇昇進で良かったのです。協会のあほんだら番付会議で小結据え置きにされ、稀勢の里のモチベーションが下がったのです。これが前半戦不調の原因です。こういう例はいくつもあります。

ボクは今日の若の里戦を携帯ラジオで聴こうと思っています。というのは、稀勢の里の3勝すべてが、外出先で携帯ラジオで聴いているのです。昨日の琴将菊戦も家族との夕食会に向かう東海道線上りの電車の中で聴いていました。一方、テレビで観戦しているときは、すべて負けなのです。で、今日から、ボクもゲンをかついで、千秋楽まで携帯ラジオにしたいと思います。・・約束できるかな・・ムムム・・テレビ観戦していても、携帯ラジオを併用することでもいいことにして下さい(汗)。

さあこれからだ、稀勢の里。

。。。。。

ラジオでしたので、対琴将菊戦の写真がありません。で、昨日、蓮見物の大船フラワーセンターの築山に咲いていた、やまゆりとその変異系べにすじやまゆりの写真を載せます。

最低あと5つの白星。五つの白いユリが白星。


できれば、さらに1勝。常総の赤鬼が大笑い。



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八雲神社の大神輿についていく

2008-07-21 16:32:52 | Weblog
日曜日、北鎌倉の山内八雲神社の御神輿の町内渡御を宮入まで最後までみてきました(大汗)。この汗は本当の汗で、梅雨明けし、真夏の暑さでした。追っかけだけでも、こんなに暑いのに、担いでいる人の暑さはもう想像を絶するものだったでしょう。おまけに、御神輿は鎌倉でも一、二を争う重量だと聞いています。子供神輿も2基ついていきましたが、子供たちも元気にかついでいました。

御神輿は、昼零時にお仮屋を出発して、鎌倉街道を進み、円覚寺方面へ渡御するとのことでしたので、ボクは円覚寺夏期講座が終わった零時30分頃、すばやく外に出て、今、神輿はどこか、シャーロックホームズのように聞き耳をたてました。すると、微かな祭囃子が明月院方面から聞こえてきました。もう、明月院か、ボクは脱兎のごとく、そちらに向かったのでした。いたいた、明月院の拝礼を終えて、明月川沿いの通りを帰ってくるところでした。ここから、ボクの、午後5時の宮入までの、追っかけが始まったのです(滝汗)。

明月院通りを帰ってくる御神輿


御神輿のあとにはお囃子の車も


御神輿をみつけて安心したボクはお昼を食べていなかったのに気づきました。それで、先回りして建長寺の前の、お蕎麦屋さんで待つことにしました。時間も十分、余裕があるつもりでしたが、蕎麦ができるのが遅く(いらいら)、そのうち、御神輿が建長寺まで来てしまいました(不機嫌な顔)。そのあとすぐきた蕎麦をほとんど呑み込むように、2,3分で食べ終え、建長寺に。滑り込みセーフでした。このお祭りの見所のひとつ、”神仏混淆”の儀式をつぶさにみることができました(にっこり)。建長寺の住職さんが御神輿に向い拝礼。般若心経を読経されていました。神社の神輿をお寺の住職が読経する、明治以前には普通のことでしたが、明治政府のあほんだら法(神仏分離令)(また言っちゃった)により、壊滅状態になってしまったのです。



そして、御神輿は建長寺を離れ、いったん巨福呂坂を登り、円応寺の拝礼を受け、また鎌倉街道を下ってきます。そして、横須賀線の踏切を越えて、浄智寺の参道に入り、そこでご住職の拝礼をうけます。そして、隣りの東慶寺でも拝礼を。

浄智寺へ


東慶寺で拝礼


そして北鎌倉駅前。ここで御神輿が大暴れします。差し、揉みが入り、御神輿は大きく左右に上下と揺れ、動き回り、駅舎に突っ込むような荒々しい感じで、御神輿見物の醍醐味が味わえます。ここと、最後の宮入のときの揉みが最高です。




そして、鎌倉街道を下り、山崎の八雲神社の女神輿に会いにいきます。そうそう、二基の子供神輿も元気につてゆきましたよ。


。。。。。

そして、第二幕。行合祭の始まりです。男神輿が、とある広場に到着すると、となり町の山崎八雲神社の女神輿が待っていて、二基、仲良く並びます。そして、結婚の儀が(笑)。両神社の神主さんにより、祝詞が述べられ、本格的な結婚式がとり行われます。みんな神妙な顔をしています。ボクも、御神輿の結婚式、生まれてはじめてみました。


結婚式がおわり、二基が仲良く、別の広場に移動します。その間、急に女神輿が走り出し、男神輿を抜かしてゆきました。はやくも主導権争いでしょうか(笑)。むかしは両神輿がもみあったりしたそうです(あとの儀式からみて、たぶん、ここで妊娠したことになるのではと想像します;笑)。


そして、このお祭りのハイライト。ご懐妊の式が行われます。その前に、女神輿に晒しがまかれます。腹帯です(爆)。


腹帯を巻いた女神輿と男神輿が並び、ここで懐妊の儀式が行われます。祝詞が読み上げられます。粛々と、儀式がすすんでゆきます。この式が終わると、行合祭が終わります。

そのあと、赤ちゃんを抱いたお母さんが3組、腹帯をつけた神輿の下をくぐってゆきました。子供が元気に育つようにとの儀式だと思います。

そこを出発して、男神輿と女神輿は分かれ道で別れます。キスをして別れると聞いていたのですが、今回はそれはなかったです。でも、担ぎ手の人たちが、また来年、元気な姿で会いましょうと手を振っていました。毎年、結婚式なんて、新鮮でいいですね(汗)。

そして、八雲神社に戻ってきます。ここでは町の人が大勢、待っていました。北鎌倉駅以上に揉み、荒々しい、でも、うつくしい御神輿のおどりがしばらく続きました。




そして、宮入の式が終わります。また、来年、(かつぎ手のみなさんは)元気にかついだり、(ボクは)みたりしたいですね。とても楽しい1日でした。汗汗汗でした。帰ってからのビールのうまかったこと(汗)。






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早朝の蓮の花はすばらしい

2008-07-21 11:32:18 | Weblog
この時期、毎年、大船フラワーセンターでは、蓮の花見物のため、3日間ほど早朝開園しています。蓮の花は4日間ほどしかもたず、開花1日目のは午前5時頃から咲き始め、8時頃には閉じてしまうそうです。そして一番、花のうつくしいとされる開花2日目のはお椀型に開き、昼頃には閉じてしまいます。3日目のは早朝におわん型から皿型まで開き、午後には少し閉じ、半開きの状態で終わります。そして4日めのは早朝、完全開花した後、散り始め、午後は花托だけが残ります(センターの案内より)。従って、早朝観察がもっとも適しているというわけです。

6時10分に到着。おどろきもものきはすのはな。な、ななんと、もう見物客がわんさと来ているのです。6時開園ですよ。おそるべしはす人気。


大部分の人がカメラを向けている。

うっとりするうつくしさ。色もかたちも。旬の開花2日目でしょうか。



開花1日目かな。美少女の風情。

開花4日目のかな。去りゆく姿もうつくしい。咲くもよし散るもよし。

花心もうつくしい

ぼくの緑だってうつくしい、と蓮の葉

ぼくの緑の眼だってうつくしい、と青眼あぶ。


やっぱり私が一番よ。お日様の光りをもらって、さらにうつくしく。



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八坂神社界隈 祇園祭

2008-07-21 05:18:44 | Weblog
16日宵山の夕方、祇園祭の”家元”、八坂神社を訪ねてみた。境内の舞台で岩見神楽が奉納されていた。スサノオノミコト(神社のかみさま、明治以前は牛頭天王だった)の大蛇退治の舞だそうだ。




本殿の前には三基の大神輿が。浅草の三社祭りの三基の大神輿を思い出す。つまらない理由で今年の浅草の神輿は表に出られなかった、かわいそうに。八坂の神輿は大暴れしてくれただろう、翌日17日の神幸祭で。5時の新幹線で帰ってきてしまったので、ボクらは観られなかった。来年は必ず、雄姿を観に来るからね。


八坂神社に来る前の四条河原町付近も、あちこちでお祭り。南座の前では大杉太鼓の乱れ打ち。

樹齢400年の北山杉でつくった大太鼓も脇に。

別のところでは、舞妓さんの踊りも。

先斗町でいっぱい、といきたかったが、ワイフの反対で、松葉屋本店のニシン蕎麦と生ビールに(汗)。


四条通りは宵山の人出がすごい。四条烏丸まで歩いて、クジ免除で、いつも山鉾巡行のトップを飾る有名鉾、”長刀鉾”の駒形提灯をみて帰る。翌朝の巡行が楽しみだ。


。。。

これから、早朝の蓮の花見に出掛けます。フラワーセンターが、この3連休だけ早朝開園(6時)しているのです。帰ったらすぐ、記事にしますね。
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祇園祭 宵山の日

2008-07-20 06:36:08 | Weblog
翌16日は”宵山”の日です。山鉾町は宵に賑わいますが、昼間も十分楽しめました。全部で32の山や鉾が、四条通り、新町通り、室町通りなどに、32台飾ってありますが、ほぼ全部、みました(汗)。屏風展も。

まず屏風展から。老舗の松坂屋さん。小袖にいいものがあるそうだ。東京(サントリー美術館)で展覧会もあるらしい。





こんな墨絵の現代アートも。考えてみれば、むかしはその時代の現代アートの屏風を飾っていたはず。屏風の前の壺は古い値打ちものだそうだ。



織田信長の御用商人だったころからの老舗、永楽屋の手ぬぐいの意匠。

270匹の鯉の布登り。帯の老舗の270周年記念だそうだ。京都の老舗はすごいどす。

人気の蟷螂山(とうろうやま)のシンボル、カマキリどす。からくりで動くどす。去年からフアンどす。ここのチマキ(お守り)を買いましたどす。


牛頭(ごず)天王。明治のあほんだら法、神仏分離令により隠されてしまったが、以前は八坂神社(祇園社の名前まで変えてしまったのだ)のかみさまだったのだ。北鎌倉の八雲神社も同じなのだ。牛頭天王は自分を助けてくれた蘇民将来の子孫には疫病を免れさせると約束してくれたのだ。で、ちまきには、”蘇民将来の子孫也”の文字が必ず入っているのだ。ちまきを食べた人がいるそうだが、そうゆう人は大厄がくるのだ。茅の輪くぐりも、ここからきているのだ。


お昼はおばんざいを食べたのだ。新町通りの南観音山の前の百足屋どす。うまかったどす。日本酒にぴったりのお料理だったどす。宵山で酔いましたどす。


午後もたくさんの山鉾をみたどす。

役行者(えんのぎょうじゃ)山の行事。

うつくしき傘や胴掛け




。。。

今日もこれから円覚寺夏期講座へ。今日の講師は元ヤクルトの古田さん。それから八雲神社のお祭りも(汗)。
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祇園祭 宵々山

2008-07-19 07:21:54 | Weblog
去年に引き続き、京都の祇園祭に行ってきました。このお祭りは七月一日から、ひとつきの間続くのですが、ハイライトは16日の宵山と17日の山鉾巡行で、観光客もこの両日に集中します。ボクらは今回、15日の宵々山から参加しました。14日もあって、その日は宵々々山と言うのです(笑)。

ホテルは二条城近くでしたので、山鉾町には歩いて10分、とても便利でした。写真をたくさん撮ってきましたので、数回に分けて紹介したいと思います。今日はヨイヨイ山の風景を中心に。

新町通りの屋台と人出


北観音山の駒形提灯。この日も夕立があり、うつくしい垂れ幕もビニール越し。

南観音山に登ってみた。山鉾巡行のしんがりを勤める山。上からみた人出。

祇園囃子を奏でる人。二階囃子と呼ばれる。鉦や太鼓に笛、コンチキチン。

本番では天水引として使用される四神の図のうちの、白虎、塩川文鱗作。下水引には加山又造作。動く美術館。


屏風祭も始まっていた。宵山の期間中、屏風や鎧、小袖など秘蔵の品々をみせてくれる町屋がある。ワイフはこれが楽しみ。町衆の財力を垣間見る。







紫織庵にも入ってみた。京のじゅばん&町屋の美術館。写真は撮らせてくれない。襦袢の文様が面白かった。舞妓骸骨の文様まであった。室内でうつくしい舞妓さん数人おられた。20000円で舞妓さん同伴の夕食会ができるらしい。10万円ぐらいかかると思った。ぜひ来年は(汗)。これは別の町屋の夕食風景。


。。。

これから円覚寺の夏期講座へ。増田明美さんと五代路子さんが講師。ああ毎日忙しい(汗)。
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大船の空はボクを待ちわびていた

2008-07-18 09:25:37 | Weblog
ボクがたった3日間、留守にしていただけなのに
大船の空は寂しかったらしく

ボクが京都の祇園祭から帰ってきた夜
大船の空はうれしそうに
ボクを最大級のもてなしで出迎えてくれた

満月のお月さまと、寄り添うような明るい木星ちゃん
二大スターがそろい踏みで迎えてくれていた

お月さまなんか、京都まで出迎えにきてくれていて
まだ明るい東の空に、白い顔をみせていた

そして、新幹線を追いかけるように
米原、名古屋、静岡、熱海、新横浜とついてきてくれて
大船の帰り道には愛人の木星ちゃんまで連れて、出迎えてくれた

よっぽど、ボクの帰りを待ちわびていたにちがいない
大船の空は

そう確信したのは、今朝のことだった
こんどはお日様が最大級のもてなしでボクを出迎えてくれた

本当に久し振りだ こんなきれいな朝焼けは

夜明けと同時に鳴きはじめた小鳥の声と
初鳴きのセミの声を聞きながら
刻々変わるうつくしい朝焼けにボクだけ声もなかった

ボクは大船の空がますます好きになってしまう
ボクは大船の空をますますソンケイしてしまう

。。。。。

車窓からみた、熱海辺りのお月さま


大船の帰り道でみたお月さま。木星ちゃんは写っていない。


祇園祭のお月さま(笑)。月鉾のマーク。


大船の朝の空。刻々変わる。
















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いいお話

2008-07-15 09:41:15 | Weblog
日曜日の朝、八雲神社のお祭りを観に行ったときに、隣りの円覚寺にも寄ってみました。方丈(写真)のそばまで来ると、まだ9時前なのに大勢の人が集まってきていました。日曜説法という月2回の行事だったのです。子供の頃、近くの教会で日曜学校というのがあって、時々行きましたが、その大人版、仏教版というところでしょうか。自由に聴講して良いということでしたので、入ってみました。般若心経などを全員で読経した後、足立大進管長さんのお話がありました。いいお話でしたので、一部、ご紹介したいと思います。



”親孝行したいときには親はなし” ”親孝行と火の用心は灰にならぬ前”(笑)ということわざがあります。
今、ちょうど7月盆の時期です。遠方にお墓があったりで、めったにお墓参りできないことを気にされている方もおられるかと思います。でも、故人は灰になってから、かたちだけ大事にされても、少しも嬉しくありません。生身のときに親孝行されていた人は、何も新幹線に乗って、毎年、墓参りに行く必要はありません。いつも、すぐそばに、父や母がいるからです。ノウゼンカズラやヤマユリの花が咲き始めたら、その花がお父さんであり、お母さんであるのです。私(管長)も母の墓参りは一度も行っていません。それなりの孝行はしてきましたので、母がいつも身近にいるように思うのです。そのあと、良寛さんの辞世の歌を紹介されました。

形見とて何か残さん 春は花 山ほととぎす 秋はもみじ葉

境内に咲いていたヤマユリ。このお話を聞いたあとでしたので、亡き父の顔を思い浮かべました。


そして、この朱色の花も目立ちました。モントブレチア、姫檜扇水仙(ひめひおうぎずいせん)。



。。。

これから、数日間、京都に行っています。祇園祭です。



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