気ままに

大船での気ままな生活日誌

国宝土偶展

2009-12-21 17:31:43 | Weblog
もう十数年も前だっただろうか、長野県の茅野付近を通りかかったときに、高名な土偶、”縄文のビーナス”を観に立ち寄ったことがある。みめうるわしい土偶だった。その女王さまに再会したくて、1週間ほど前に出かけてきた。会場の東京国立博物館の化石植物、いちょうとメタセコイアがまだ、妍を競っていた頃だった。


今回の国宝土偶展は、好評をはくした大英博物館での開催を終えての、いわば凱旋記念展覧会で、全国で3点しかない国宝の土偶が一堂に会するという、めったにない機会なのだ。考古学フアンなら見逃せない展覧会だ。

まず、ぼくが一番、観たかった、前述の縄文のビーナス。ふっくらとした体、安産型の大きなお尻(セクハラで訴えられるかな;笑)。土偶作成の目的として推測されている、いくつかの理由の第一が、安産、子孫の繁栄だから、ぴったりだ。

横、後ろからみた縄文のビーナス。お尻を突き出していることから”出尻土偶”の別名もある(ほんまどす)。お腹も膨れていて妊娠状態といわれている。とにかく一度みたら、忘れられないようになる、一目ぼれ土偶だ。

二つ目の国宝土偶、”中空土偶”。函館から出土された。名前の通り、中が空洞になっている。左右の足の間も筒で繋がれていて、空洞の土偶を完全に焼きあげるために必要だといわれている。まるでズボンをはいているように、文様が両足に刻まれている。

そして、三つ目は、”合掌土偶”。青森県八戸から出土した。いったい、何を祈っているのだろうか。このほかにも青森県出身の土偶が結構、展示されていた。そのせいか青森放送の取材班がテレビカメラを向けていた。おらがスターというところだろうか。

以上が17000個も出土している土偶の、ベストスリーというわけだ。重要文化財はいくつも展示されている。その代表的なものが、この”遮光器土偶”だ。教科書に出ていたような気がする。宇宙人のような顔が印象的だ。これも青森県(つがる市)出身だ。デフォルメ化された目が、北方狩猟民がつけている遮光器に似ていることから、そうつけられた。

そのほか、今回気に入った土偶をいくつか紹介しておこう。”ハート型土偶”文字通り(笑)。群馬県出身。かかあ殿下ではなさそうな、心暖かそうな土偶。(上州女性の気持ち)

”子供を抱く土偶”。八王子市出土。残念ながらお母さんの頭部が欠けている。

立像土偶。山形県出身。スタイルもいいし、腰のくびれが気に入った(汗)。横の姿をみると、これも出尻り系かな。


こんな愛らしい姿に、いつまでみてても飽きない。で、いつもは買わない、カタログを買ってしまった。今も、ときどき、取り出してはながめている。いい展覧会だった。もう一度、行くかもしれない。
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悲しき雨音

2009-12-20 21:26:29 | Weblog
今晩のBS2の”魅惑のポップス”は、60年代の”悲しき・・”の題名がついた名曲が10曲も。

まず、”悲しき街角”。日本では飯田久彦が歌い大ヒット。そして、”悲しき片思い”、悲しき少年兵”と続いて、”悲しき16歳”。


そして、九ちゃんで大ヒット。”悲しき60歳”♪急いで彼女を訪ねたら、今じゃ悲しき60歳♪(汗)


”悲しき天使””悲しき悪魔”と続き、”悲しき雨音”。この曲は、ぼくもワイフも大好きな歌。カミナリの音から始まり、雨の音に混じりながらイントロが流れ出してくる。あのイントロがなんともいえずいいですね。♪Oh listen to the falling rain・・♪

そして、♪Foot step foot step♪の”悲しき足音”

そして”悲しき慕情”
。。。

今年は悲しい別れがいっぱいありました。母と同じ5月2日になくなった、清志朗。忘れないよ。

マイケル・ジャクソンも。

大原麗子さんも南田洋子さんも。

円楽さん、森繁さんも、ターキーも、藤間紫さんも、三木たかしさんも。そして平山郁夫さんも。日高敏隆さんも。そうだぼくの小学校の恩師N先生も。

悲しき雨音が聞こえてくるようだ。
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冬もいいどす

2009-12-20 09:39:12 | Weblog
冬もいいどす。

朝日がきれいどす。




富士山がきれいどす 今朝で3日連続どす


いるみがきれいどす 昨晩、みなとみらいに行ったどす






女性もきれいどす よくみたらマネキンだったどす


お酒もおいしいどす ミラノなんとかいうお店だったのでイタリアワイン飲みましたどす


冬はいいどすね。そのうち、京都にいきますから、伏見のお酒、用意して待ってておくれやす。ついでに舞子さんもおねがいしますどす。マネキンではだめどすえ。マネー金なら歓迎どす
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横浜での院展

2009-12-19 11:41:35 | Weblog


今朝は、雲ひとつ、かかっていない富士山を観ることができた。一区切りついた、ぼくの心の中のような富士山だった。これは大長寺の裏山から観た富士山。

富士山といえば、先日、横浜そごう美術館でも、平山画伯の絵の隣りに、下田義寛のすばらしい富士山がそびえていた。今日は、そのときの院展の印象をつづってみたいと思う。


院展は毎年九月に上野で開催されるが、そのあとも全国を巡回する。横浜でも毎年そごう美術館で開催されるが、ぼくは、上野で観ることが多いので、横浜での展覧会は今回が初めてだったかもしれない。前日、紹介した平山郁夫画伯の作品を観たいと思っていたし、今年の秋は、いろいろ忙しく、上野での院展を見逃してしまっていたのだ。

何故、横浜開催か、ということが、ちらしの説明文から分かって、なるほどと思った。横浜は日本美術院の創立者、岡倉天心の生誕地なのである。本町五丁目(現在の一丁目)に福井藩の松平春嶽の命により、生糸貿易商の”石川屋”が開業されたが、その支配人の次男が岡倉天心なのだ。ここで生まれた。その後、そこは、現在、横浜市開港記念会館になっていて、建物の横に岡倉天心生誕の地の碑が立っている。

ぼくは日本画が好きなので、今回の院展の、どの絵もみんな良かったが、もともと、富士山と共に、桜好きなこともあって、桜の絵が出てくると、つい立ち止まって、花びらのひとつひとつまで覗きこんでしまう。田沢湖の桜(松本哲夫)、花明り(梅原幸雄)、宵桜・千鳥ヶ淵(西田俊英)も、満開の、”桜さくら弥生の空を”で、春が来る前に、お花見をしてしまったようなうれしい気分になってしまう。また、湖水に浮かぶ花びらとぽつぽつ降る雨滴がつくり出した波紋を描いた、”永遠の一日(清水操)”も印象に残る作品だった。

木々も好きなので、森を描いた絵は、それだけで森林浴をしてしまったような、すがすがしい気分になるし、木の幹をクローズアップした絵なんかは、いつもは気付かない、時の流れを感じて、しみじみとした気持ちになる。今回も、手中道子の”径”とか、近藤仁の”うたたね”松村公嗣の”熊野古道”なども、木々や木漏れ日がうるわしく描かれ、気に入った。

平山郁夫の部屋には、彼の”文明の十字路を往く”のほか、どれもすばらしい作品が並んでいた。前述の下田義観(寒明)と郷倉和子(遊想山岳)の富士山の絵や、伊藤髟耳の”たたずまい”、そして田淵俊夫の”惶”など。 

全部の作品を載せたいけれど、そうもいかないので、最後にぼくが買った絵ハガキの作品だけを載せておく。

下田義観(寒明)

梅原幸雄(花明り)

松村公嗣(熊野古道)



。。。
今朝の大長寺の”言葉”。ぼくも、こうゆうふうに去りたいな。

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今日でお別れ

2009-12-18 18:14:36 | Weblog


今朝、近くの神社から観る富士山は、頂上付近に少し雲がかかっていたが、まずまずの、うつくしさだった。今日はぼくにとっては、特別の日だったので、お賽銭を少し奮発した。

実家の売却のことである。不動産の売買は、実際の入金が済んで初めて成立する。契約しても、途中でこわれるという話をよく聞くし、こうゆうご時勢だからなおさらだ。

武蔵小杉駅近くの銀行で、関係者が集まり、最終的な詰めを行い、無事終了した。ほっとした。

昨日は実家に行き、電気、水道、ガス、電話の停止の立会確認をしてきた。ガスは使用料をチェックされ、元栓が絞められ、電話も通じなくなるが、電気と水道はメーターのチェックだけだった。次の人がすぐ使えるようにとの配慮だそうだ。ガスも連絡を受ければ、2時間以内に係の人が元栓を開けてくれるとのことだ。NHKの受信料は、開始の月は途中からでも一カ月分、いただくが、停止の月はもらわないということになっているそうだ。

旧家ではなく”窮家”の小さな家なのだが(笑)、交通の便がいいということで、思いのほか、早く売れた。母が亡くなってから、もう半年以上にもなる。その間、家財等の整理や郵便物の点検、そして母が大事にしていた鉢植えの植物の管理とか、週に2,3回は行っていた。遊びに行った帰りとかだが(汗)、結構忙しかった。ボクの定年後の”仕事”だった(汗)。

ほっとしたが、明日から仕事がなくなると思うと、第二の定年を迎えたようで、ちょっぴりさみしい。今後、ますます遊びに励まねばと思う(大汗)。

鉢植えの植物に、最後の水やりをして、十分、お別れをしてきた。次の方も、可愛がってくれそうな方だったので嬉しかった。今、シャコバサボテンだけが咲いていて、”今日でおわかれ”を歌ってくれた。


。。。。。

今日でお別れ

なかにし礼 作詞
宇井あきら 作曲

今日でお別れね もう逢えない
涙を見せずに いたいけど
信じられないの そのひとこと
あの甘い言葉を ささやいたあなたが
突然さよなら 言えるなんて

今日でお別れね もう逢えない
あなたも涙を 見せてほしい
何も云わないで 気安めなど
こみあげる涙は こみあげる涙は
言葉にならない さようなら
さようなら
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平山郁夫画伯を偲んで

2009-12-17 17:29:43 | Weblog
平山郁夫画伯が亡くなられて、もう半月になる。その間、平山画伯を偲ぶテレビ番組をいくつか観た。そして、今日は、横浜そごう美術館で開催中の院展で、遺作となった、”文明の十字路を往く/アナトリア高原 カッパドキア トルコ”を観てきた。これをお描きになっていた頃は体調もすぐれなかったに違いない。岩ばかりの高原、カッパドキアを往くキャラバンのひとつひとつの駱駝に乗る人物に、自分の越し方の想いを込めてお描きになられたのであろうか。



広島で被爆し、多くの仲間を失い、ご自身も後遺症に悩んだ。将来に光明が見出せない頃、描いたのが”仏教伝来”。”不東”(東に帰らず/国には戻らない)の覚悟で、真の仏教を求めてインドへ向け、ひとりで苦難の道を歩んだ玄奘三蔵(三蔵法師)を描いたものだ。これが院展に入選し、以後、平山画伯の生涯のテーマとなる。

平山画伯の描いた壁画のある、薬師寺の玄奘三蔵院伽藍。先月、訪ねたばかりだが、よく観ると、伽藍の上部に”不東”の文字がくっきりとみえていた。


伽藍内の画伯による壁画、”大唐西域壁画”は、まさに玄奘三蔵が歩いた苦難の旅景色を描いたもので、約30年の歳月をかけている。その間、驚くべきことに、画伯自身も、数十回も当地を訪れて、大量のスケッチブックを残している。極寒のヒマラヤ、酷暑のタクラマカン砂漠等々、法師が歩いた場所を、隈なく旅しているのだ。その様子もテレビに映し出されていた。


さて、その壁画だが、ほとんど景色である。下絵では人物を入れていたようだが、最終的には、全部削り、その山や砂漠や遺跡の中に法師の真摯な心を埋め込んだ。しかし、全長約50メートルに及ぶ壁画の中に、ただ一枚だけ、幻のように玄奘三蔵の姿を入れている。ぼくが実物画を観たときは、気付かなかったほどだ。

テレビ画像から、少し紹介してみたい。堂内に、こうゆうふうに描かれている。


法師の出発点”明けゆく長安大雁塔”から始まる。








これは”ナーランダの月”だったと思う。


たしか、この場面だったと思う。玄奘三蔵法師のお姿が。


このお姿は、今になって思うと、平山画伯のお姿でもあったのだろう。ちなみに、この大作は、経費は一切頂かず、お寺に寄進されたそうである。

また、来年にでも、平山画伯の”大唐西域壁画”をじっくりと観てみたいと思っている。
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松井 エンジェルスへ

2009-12-16 09:44:16 | Weblog
昨日、東博の”国宝土偶展”に行ってきたので、それを記事にしようと思ったが、松井のことも記録しておかなければと、書き始めている。

ワールドシリーズでヤンキースが優勝し、松井がMVPになったとき、ぼくは”最後を飾った”と書いた。もうこれで思い残すことはない、ヤンキースとはおさらばだと直感したからだ。その通りになって、良かったと思う。指名打者専門では、どうしても出場機会が減るし、第一、試合中、ほとんどの時間をベンチで過ごすなんていうのは、会社でいえば、窓際族みたいなもので、面白くないだろう。

こんどのエンジェルスでは、レフトの守備を用意してくれるというので、たとえお給料が下がったとしても、やりがいのある職場の方がいい。出場機会はずっと増えるので、怪我さえしなければ、ホームランも倍増、打点も増えるし、初のタイトルだって夢じゃない。そして、もともと強力チームであるので、地区優勝はもちろんのこと、再びの世界一だって、十分可能だ。そして、うしししの、メジャー初の連続MVP。

加えて、ぼくらの楽しみも増える。エンジェルスは、イチローの所属するマリナーズと同じリーグなのだ。両チームの対決は、日本中を沸かすことだろう。

それに、エンジェルスのフランチャイズはロスのアナハイム。ディズニーランドのすぐ近くだ。HISあたりが、早速企画することだろう。”松井とイチローとディズニーを楽しもう”3試合+ディズニーランド2日、計99,000円。絶対行く(汗)。
。。。

松井の移籍を祝福して、”踊る人たち”。土偶ではなくて、東博常設展の埴輪です。本当は、小沢さんの記者会見の記事を書いて、”開いた口がふさがらない”に使おうと思ったのですが、あまり悪口を書くと、岩手県出身の人に嫌われるからやめときます(笑)。


ついでに、常設展に新版画の川瀬巴水の作品が展示されていましたので、載せておきます。広重風で、いいですね。








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コルテオと表参道イルミネーション

2009-12-15 18:21:57 | Weblog
”コルテオ”って、知ってますか?。ワイフがサーカスのようなもので、なにか、とても面白いらしい、と友人から聞いてきて、それならばと、出かけてきました。そのショーは、代々木公園の一画の、大きな仮設テントの中で開催中でした。”ダイハツ コルテオ シルク・ドゥ・ソレイユ 夢のスーパーサーカス”


たしかに、夢のサーカスでした。

こんなふうに、シャンデリアに美女が足をかけて、空中演技したり

トランポリンのように飛んだり跳ねたりして宙に舞ったり

オリンピックの鉄棒演技のようなレベルのショーがあったり


そのほか空中逆立ち綱渡りがあったり、またピエロ風な演技があったり、加えて、オペラ風、ミュージカル風な味付けもして、楽しませてくれました。それに円形舞台ですので、どこも特等席です。来年1月24日までです。サーカス好きな人はどうぞお立ち寄りください。次回は大阪公演ですので、関西の方は楽しみにお待ちください。これだけ宣伝しておけば招待券がくるでしょう(汗)。

帰りは、11年ぶりに再開した”表参道イルミネーション”。見事でしたよ。














原宿駅前では、あたしも負けないわ、と銀杏さんがイエローのイルミネーションを。


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越前水仙

2009-12-14 09:58:39 | Weblog
福井県に住んでいる友人から、越前水仙が送られてきた。亡き母の仏前に供えてくれという。ぼくが出した喪中葉書をみてのことである。現役時代、彼が学位をとるときに少しばかり、お手伝いをしてあげたのを喜んでくれて、毎年、今頃、越前ゆかりの品を送ってくれる。

2日前、宅急便で送られ、そのときは大部分がつぼみであったが、もうほとんどが花開いている。3束あったので、1束は母の仏前に、もう二束は、ワイフが退職記念に職場の方から贈られた、大きめの赤い花瓶に生け、ぼくの”書斎”の片隅においてある。母も喜んでくれているだろう。



越前水仙の横にいる、ふたつの小熊ちゃんは、ぼくが30年も前に、職場から派遣され、カリフォルニアの大学に一年ほどいて、帰国時に大学の”生協”で、ひとつは母のおみやげとして、そしてもうひとつは、ぼくの記念にと買ってきたものである。座っている小熊ちゃんが母のもので、先月、実家を整理したときに持ち帰ったものである。悲しいことがきっかけになってしまったが、ふたつの小熊ちゃんは30年ぶりの再会ということになったわけだ。



この越前水仙にも悲しい伝説があることを添付されていたパンフで知った。源平合戦時代、越前の、ある武将が長男と共に、木曽義仲の軍勢に加わり京にのぼった。留守宅を守っていた次男が海でおぼれかけていた美しい若い娘を助け、恋仲となる。その年の冬、兄が、父の戦死の報とともに帰還する。兄もその娘を恋してしまい、兄弟で海岸で決闘する。その姿をみた娘は、こんなことになったのは、自分のせいだと、海に身を投げた。そこはくしくも助けられたときと同じ刀上海岸であった。翌年の春、その海岸に美しい花が流れつき、村人はこれは、あの清楚で可憐な娘の化身に違いないと、海岸の丘に植えて、いつくしんだそうだ。それが越前水仙で、美しい娘の化身なのである。

そのうち、ぜひ一度、越前水仙の花が丘の一面を覆いつくしている頃に、刀上海岸を訪れたいものである。その伝説のうつくしい娘さんと、母を想いながら。
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山手西洋館 世界のクリスマス

2009-12-13 12:25:02 | Weblog
外交官の家はノルウエーのクリスマスだった






ブラフ18番館はイタリアのクリスマスだった

でも、玄関のクリスマス・リースだけしかみなかった(汗)


エリスマン邸はフランスのクリスマスだった






5時過ぎると、どこも閉館で外観しかみられなかった。でもどこもライトアップしてあり楽しめた。

これは建物より車に目がいった。一瞬、白洲次郎かと思った(汗)。






港の見える丘公園から景色をみて、元町に下った。関係ないけど、ちあきなおみが歌う”港の見える丘”すごくいいですよ。

元町の夜景。






本通りから、一本向こうの通りの、フレンチレストランで夕食をした。珍しく、ロゼワインがあったので2杯頂いた、とてもおいしかった。はじめて入ったお店だったが、ワイフがおいしいお料理だと合格点を出していた。ビールもおいしかった(汗)。

稲垣潤一の、"クリスマスキャロルの頃には”をハミングしながら、石川町まで歩いた。楽しい一日だった。
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