もう十数年も前だっただろうか、長野県の茅野付近を通りかかったときに、高名な土偶、”縄文のビーナス”を観に立ち寄ったことがある。みめうるわしい土偶だった。その女王さまに再会したくて、1週間ほど前に出かけてきた。会場の東京国立博物館の化石植物、いちょうとメタセコイアがまだ、妍を競っていた頃だった。
今回の国宝土偶展は、好評をはくした大英博物館での開催を終えての、いわば凱旋記念展覧会で、全国で3点しかない国宝の土偶が一堂に会するという、めったにない機会なのだ。考古学フアンなら見逃せない展覧会だ。
まず、ぼくが一番、観たかった、前述の縄文のビーナス。ふっくらとした体、安産型の大きなお尻(セクハラで訴えられるかな;笑)。土偶作成の目的として推測されている、いくつかの理由の第一が、安産、子孫の繁栄だから、ぴったりだ。
横、後ろからみた縄文のビーナス。お尻を突き出していることから”出尻土偶”の別名もある(ほんまどす)。お腹も膨れていて妊娠状態といわれている。とにかく一度みたら、忘れられないようになる、一目ぼれ土偶だ。
二つ目の国宝土偶、”中空土偶”。函館から出土された。名前の通り、中が空洞になっている。左右の足の間も筒で繋がれていて、空洞の土偶を完全に焼きあげるために必要だといわれている。まるでズボンをはいているように、文様が両足に刻まれている。
そして、三つ目は、”合掌土偶”。青森県八戸から出土した。いったい、何を祈っているのだろうか。このほかにも青森県出身の土偶が結構、展示されていた。そのせいか青森放送の取材班がテレビカメラを向けていた。おらがスターというところだろうか。
以上が17000個も出土している土偶の、ベストスリーというわけだ。重要文化財はいくつも展示されている。その代表的なものが、この”遮光器土偶”だ。教科書に出ていたような気がする。宇宙人のような顔が印象的だ。これも青森県(つがる市)出身だ。デフォルメ化された目が、北方狩猟民がつけている遮光器に似ていることから、そうつけられた。
そのほか、今回気に入った土偶をいくつか紹介しておこう。”ハート型土偶”文字通り(笑)。群馬県出身。かかあ殿下ではなさそうな、心暖かそうな土偶。(上州女性の気持ち)
”子供を抱く土偶”。八王子市出土。残念ながらお母さんの頭部が欠けている。
立像土偶。山形県出身。スタイルもいいし、腰のくびれが気に入った(汗)。横の姿をみると、これも出尻り系かな。
こんな愛らしい姿に、いつまでみてても飽きない。で、いつもは買わない、カタログを買ってしまった。今も、ときどき、取り出してはながめている。いい展覧会だった。もう一度、行くかもしれない。
今回の国宝土偶展は、好評をはくした大英博物館での開催を終えての、いわば凱旋記念展覧会で、全国で3点しかない国宝の土偶が一堂に会するという、めったにない機会なのだ。考古学フアンなら見逃せない展覧会だ。
まず、ぼくが一番、観たかった、前述の縄文のビーナス。ふっくらとした体、安産型の大きなお尻(セクハラで訴えられるかな;笑)。土偶作成の目的として推測されている、いくつかの理由の第一が、安産、子孫の繁栄だから、ぴったりだ。
横、後ろからみた縄文のビーナス。お尻を突き出していることから”出尻土偶”の別名もある(ほんまどす)。お腹も膨れていて妊娠状態といわれている。とにかく一度みたら、忘れられないようになる、一目ぼれ土偶だ。
二つ目の国宝土偶、”中空土偶”。函館から出土された。名前の通り、中が空洞になっている。左右の足の間も筒で繋がれていて、空洞の土偶を完全に焼きあげるために必要だといわれている。まるでズボンをはいているように、文様が両足に刻まれている。
そして、三つ目は、”合掌土偶”。青森県八戸から出土した。いったい、何を祈っているのだろうか。このほかにも青森県出身の土偶が結構、展示されていた。そのせいか青森放送の取材班がテレビカメラを向けていた。おらがスターというところだろうか。
以上が17000個も出土している土偶の、ベストスリーというわけだ。重要文化財はいくつも展示されている。その代表的なものが、この”遮光器土偶”だ。教科書に出ていたような気がする。宇宙人のような顔が印象的だ。これも青森県(つがる市)出身だ。デフォルメ化された目が、北方狩猟民がつけている遮光器に似ていることから、そうつけられた。
そのほか、今回気に入った土偶をいくつか紹介しておこう。”ハート型土偶”文字通り(笑)。群馬県出身。かかあ殿下ではなさそうな、心暖かそうな土偶。(上州女性の気持ち)
”子供を抱く土偶”。八王子市出土。残念ながらお母さんの頭部が欠けている。
立像土偶。山形県出身。スタイルもいいし、腰のくびれが気に入った(汗)。横の姿をみると、これも出尻り系かな。
こんな愛らしい姿に、いつまでみてても飽きない。で、いつもは買わない、カタログを買ってしまった。今も、ときどき、取り出してはながめている。いい展覧会だった。もう一度、行くかもしれない。