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気ままに

大船での気ままな生活日誌

3・11 大震災から一年

2012-03-11 13:07:10 | Weblog
3・11がやってきた。あの未曾有の東日本大震災から、早くも1年がたった。激震が襲った東日本、激震に誘導された大津波が襲った東北三県、そして大津波が原因の原発事故が襲った福島県。死者・行方不明者は2万人近くにのぼり、避難者は今も34万人超えているという。もう帰れない故郷も広大な面積に上る。

科学誌の両雄、英国ネイチャー誌と米国サイエンス誌が、今週、そろって東日本大震災関連の写真を表紙に載せた。ネイチャー誌は”奇跡の一本松”で、”がれきからの復興”の見出しを添えた。そしてサイエンス誌は、原発の燃料用の冷却プールの写真を載せ、Editorialとして、”3月11日から世界が学んだ教訓”の記事を載せている。これほど、今回の大震災とそれに伴う原発事故は、科学が自然に屈した世界史的な大災害であり、大事件であった。今後、原発のような科学技術の暴走は、決して許すことはできない。両誌も自戒を込めての記事であろう。今後、倫理的観点での論文審査基準を強めていってほしい。


3.11の朝散歩はまずお寺さんに向かった。いつもより長く、3.11の追悼のお祈りをした。境内の梅は、名古屋に行っている間に、すかっりほころんでいた。


今日はこれから、友人がメンバーに入っている楽団による、3.11追悼音楽会をききに行く。



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名古屋城と満月

2012-03-10 19:15:37 | Weblog
二泊三日の”ぶらり名古屋”の旅、帰ってきました。名古屋は仕事では何度も訪ねていますが、純粋の遊びでは初めてかもしれません。”尾張名古屋は城でもつ”の言葉があるように、名古屋といえばお城くらいしか見どころがないように思っていましたが、とんでもはっぷんでした。徳川美術館をはじめとするさまざまな文化施設や、味噌カツをはじめとする食文化など、ずいぶん楽しめました。

まず、はじめに紹介したいのは、やっぱり名古屋城。ホテルの窓からお城がばっちりでしたので、朝、起きるとお城、夜、帰ると、ライトアップしたお城。お城が目にやきついてしまいました。それに、ほとんど奇跡に近いことが。3月8日、曇天の隙間から、一瞬、満月が顔を出したのです。ライトアップされたお城とツーショットで撮影することができました。そのあとすぐ隠れてしまいました。

今晩は、その写真だけ載せます。

。。。。。

名古屋城と満月



窓の外は城

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ぶらり日本橋

2012-03-08 06:20:19 | Weblog
”ぶらり町田”の翌日は”ぶらり日本橋”(汗)。これも、期限が迫った”ぐるっとパス”のため。目指すは、三井記念美術館の”茶会への招待”。だが、それだけでは済まなくなり、いろいろな催し物も見学することになった、これも”ぐるっとパス”さまのおかげといえるだろう。

丸善で、第3回世界の万年筆展をやっていた。わりと最近、神奈川近代文学館で”作家と万年筆展”をみているから、関心があった。まだまだ万年筆愛用家が多いとみえて、お客さんも結構いた。ルビー色、サファイア色、緑色、蒔絵風などうつくしいボディーの万年筆がずらり。一本、100万円を超すのもある。それに、手造り万年筆も。実演もあった。仙台の大橋堂。たしか池波正太郎、角田光代も”手造り万年筆”の愛好家だったはず。加えて、三階では”古山浩一、万年筆絵画の世界展”が開催されていた。風景画や動物、裸婦など。ユーモアを交えた、楽しい作品展。





向かいの高島屋の正面ホールには、なんと、大きな桜の生け花が。おおっ。池坊なんとかさんの作品。



そして、八階では、”美食の京都展”。いろいろ試食をしながら見物。入場料代わりに、お酒のつまみにもなりそうな、橘屋の”無味”というあられを買った。名前が気に入った。



”法隆寺展”。そういえば高島屋でやっていたっけ。もちろん入場。聖徳太子像などの法隆寺の寺宝が。詳細はのちほど。


隣りの日本橋三越の正面ホールには、桜ではなく、こんな花が。ワーグマンという方の作品。


そして、本命の三井記念美術館へ。なじみの茶碗たちにお会いでき、うれしかったどす。詳細はのちほど。


帰りは、路地などを通ったりして、八重洲口へ。扇子のひな壇も面白かったな。




。。。。。

楽しかった”ぶらり日本橋”の翌日は、”ぶらり名古屋”です(汗)。二泊三日になりますので、ブログも休みます。では、行ってきます。

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澤田政廣記念美術館

2012-03-07 08:55:28 | Weblog
平櫛田中彫刻美術館の庭園内にある、巨大な彫刻用のクスノキの原木をみて、熱海梅園に隣接している澤田政廣記念美術館のことを思い出した。ここにも、クスノキの原木が見学者を迎えてくれるのだ。先日、熱海梅園に行ったときに、その美術館に寄った。いつも、時間に余裕がなくパスしていたのだ。澤田政廣は、平櫛田中らの後、4人目の彫刻家の文化勲章者であるが、そのときの同時受賞者がすごい。今西錦司、中村歌右衛門、堀口大学そして澤田なのだ。

美術館の導入部にも、女性の裸体像の彫刻がいくつも置かれていて、澤田のモチーフが女性美にあることを伺わせる。展示室内でもさまざまな女性美を鑑賞できる。なんといっても、木彫の”人魚”だろうか。妖艶なうつくしさが目をひく。谷崎純一郎の”人魚の嘆き”に感銘を受け、捕らわれた人魚のなまめかしい美しさを表したいと思い、制作した。”白日夢”は裸体の女の踊るような仕草の木彫のレリーフ。舞妓さんや古事記から取材した”稲田姫”なども。そして、仏教界からは、釈迦、三尊仏、蓮華などの作品もあるが、いずれも”女性美”がベースにあるような感じを受けた。変わったところでは、若き日の”長嶋茂雄”のブロンズ像。平櫛田中のような写実ではないが、全盛期の勢いのある長嶋の感じがよく出ていた。

さらに、彫刻だけではなく、木版画、リトグラフ、墨彩画なども展示されていて、いろいろなジャンルに挑戦していたことがわかる。何気なくに寄った美術館だったが、女性美の彫刻を十分、楽しませてもらった。澤田政廣の言葉が紹介されている。古今東西あらゆる時代を呼吸しなければ、作家は育たない、だから私は東洋、西洋の巨匠の作品や本に触れてきた、といった意味の言葉だった。そして、こうも言っている。”次から次へいろんなものに触れて発奮する、その刺激が自然に力になっているのでしょう”芸術家だけではなく、ぼくらにも通じる言葉ではないだろうか。

。。。。。

人魚



白日夢



釈迦



蓮華



長嶋茂雄



クスノキの原木



美術館前の熱海桜の下の彫刻



美術館前の人魚の彫刻



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ぶらり町田 

2012-03-06 21:44:20 | Weblog
今日はぶらり町田。えっ? 町田って、大船からは結構遠いのではないのですか? それがね、意外と近いのです。藤沢から小田急の特急に乗れば、あっと言う間の町田でやんす。

昨晩は夜更かして、なでしこジャパンが強敵米国を破ったのを確認した。安心し、ぐっすり寝て、朝、ぱっちりと目がさめた。ところが窓の外は、春日八郎だった。♪あんときゃ土砂降り雨ん中♪、加えて、大きな春雷がふたつも落ち、らららららららーーー♪悲しき雨音♪に。とほほのほ。でも、天気予報通り、9時には雨上る。ぶらりと町田へ。

まずは、町田の”国際版画美術館”。”ぐるっとパス”の該当美術館で無料入場(汗)。特別展”浮世絵/国芳から芳年へ”。面白かったよーーん。詳しくはのちほど。常設展でもシリーズ”現代の作家;田中陽子展”。木版画、これも良かった。画面いっぱいに”踊る人、はねる人、走る人・・うねるような形のつながり”。ぼくより後に生まれて、ぼくより先に逝ったひと。もっと、生かしてあげたかった。(ぼくのような)憎まれっ子ガ世にはばかるノダ(汗)。

美術館のレストランでカレーライスセットを頂き(ビールは扱っていなかったよーーん)、外に出る。ここは、芹ヶ谷公園の一画。多摩丘陵のひとつだろうか。ぼくの、三鷹に次ぐ第二の故郷、川崎の、多摩丘陵のひとつ夢見が崎公園みたいな感じ。雑木林があり池がある。駅前は大船みたいに(ぼくの大好きな)雑然とした街並みだったけれど、ここまでくると、ぐーんと静かな雰囲気。騒がしいようだけど、一方、静かな雰囲気もある多様性な街だった。

公園の端まで歩くと、小田急の線路沿い。線路を越えて、向こう側の町へ。狙いは古本屋さん。ちょっとまごついたけど、みつかった。4,5階だての、大きな大きな古本屋さん。鎌倉にはありません、こんな大規模の古本屋さんは。美術本から歴史本から、文学から、科学から、映画、漫画、なんでもこざれの古本のデパートだった。本好きなぼくにはこたえられない。つい、手がでそうになった美術本やなつかしい漫画本、でも、我が家の本棚のことを考えると・・とほほ、あきらめずをえなかった。若い時に読んだ、”科学の終焉”という本を探した。ぼくが蔵書を整理してしまった本のひとつで、もう一度読んでみたいと思っていた本。残念ながら、みつからなかった。湯川秀樹や白洲正子の初版にもぐらっときたが、ぐっとこらえた(笑)。一時間くらい楽しんで、何も買わずでは悪いと思ったので、先日、訪ねた神楽坂を特集した、数年前の雑誌”東京人”を買った。帰りの電車の中で読んだら、また、神楽坂に行きたくなってしまった。そういえば、泉鏡花も神楽坂に住んで、神楽坂芸者を奥さんにしたのだ、うらやましい(爆)。嵐山光三郎も赤坂に住んでいたが、性に合わなくなり、神楽坂に移った、こんないい街はほかにはないと対談で述べていた。

いい思いをした町田が、こんなに近いなら、また訪ねてみようと思った。












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平櫛田中彫刻美術館

2012-03-06 08:28:42 | Weblog
小平市の平櫛田中彫刻美術館を初めて訪れた。一ツ橋大学のキャンパスの向かいの閑静な住宅街にその美術館はあった。平櫛田中が晩年、住んでいたところで、平成6年に敷地内に展示室が新設され、旧住居内も見学できることになっている。

入場して、すぐに平櫛の代表作、鏡獅子(国立劇場のロビーにある)の完成までの紹介ビデオをみることができる。戦中のブランクを含め、二十年かけて制作したそうだ。モデルは、鏡獅子を演じさせたら、右に出るものがいないと言われた名優、六代目尾上菊五郎。まず、菊五郎の筋肉隆々の裸体の制作からはじめ、その完成後、裸体に着せる衣装をつくって組み合わせたというからすごい。出来上がったときには、菊五郎はすでに故人になっていたという。一方、平櫛は107歳まで元気で、”70、80は、鼻垂れ小僧、男盛りは100から100から”とうそぶいていた(笑)。”禾山笑(かざんしょう)”という木彫像がある。臨済宗の禅僧西山禾山をモデルにした作品だ。この禅僧の影響を受け、その後、作品にも精神性を求めたという。禾山は、”四十、五十は鼻垂れ小僧、七十、八十男が花”と言っていたそうだから、平櫛はこれに二十を加えたのだ(爆)。

ホールに、”天心先生記念像試作”と”転生”のブロンズ像があり、展示室1、2に、平櫛の作品が並ぶ。木彫および木彫彩色の比較的小さな彫刻ばかりだ。先の鏡獅子の小像や良寛上人、西山公、気楽坊(大笑いしている禾山笑のよう)、鬼小僧、すもう等がある。

そして、第三、四展示室には、平櫛が所蔵していた同年代の著名な画家の軸や色紙が並ぶ(春季展示)。何かのお祝いにプレゼントされたものなどである。下村観山、橋本雅邦、小川芋銭、司馬江漢、今村紫紅、速水御舟、村上華岳、小林古径、奥村土牛、片岡球子とビッグネームが次々と。地下展示室に降りると、上村松園まで顔を出す。前田青邨、川上澄生、武者小路実篤、そして清方まで。交友の広さがこれでも分かる。

”星取り機”と呼ばれて特殊なコンパスが展示されていた。平櫛の制作法は、まず粘土で形をつくり、それを石膏に型どりし、さらに、この星取り機を用いて木に写し取るという手の込んだものである。だから写実的な彫刻が可能なのだ。

いろいろ楽しませてもらった。なのに、”ぐるっとパス”で無料。申し訳ないと思っていたら、まだあった。展示室を出た後、旧邸宅(記念館)まで見学できるのだ。茶室、アトリエ、客室、居間、寝室と。そして、室内から庭園も眺められる。そこだけは撮影OKということなのでカメラを向けた。庭の一画に、巨木の幹が。平櫛が百歳になってから用意された彫刻用の原木(クスノキ)とのこと。大観や武原はんの像をつくる予定にしていたそうだ。”男盛りは100から100から”がうそではないことを証明してくれたクスノキの原木だった。

美術館入口


春季展示案内


彫刻用の原木 ”男盛りは100から100からの証明”


代表作 鏡獅子

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”加藤久仁生展" 八王子市夢美術館

2012-03-05 10:37:25 | Weblog
八王子市夢美術館で開催されている”加藤久仁生展"を観てきた。会場内では加藤久仁生の、12分の短編アニメ”つみきのいえ”が上映されている。2009年に米国アカデミー賞短編アニメーション賞を獲得したものだが、ペーソスあふれるすばらしい作品だと思った。おおよそのストーリーはこうである。その街ははじめ海辺にあった。老人の家もかっては平屋の一軒屋だった。それが年を経るごとに海の水が陸地に入り込んできて、二階、三階、四階と家を積み木のように継ぎ足していかなければならなくなった。一人住まいの老人がある朝、目を覚ますと床に海の水が入り込んでいた。また、積み木の部屋を継ぎ足さねばならない。老人はその仕事をはじめる。そしてそのとき、愛用のパイプを、魚を釣るための床の穴から落としてしまう。老人はパイプを取り戻そうと、潜水服をきて、その穴から海中にもぐる。そのとき、過去の思い出のシーンが老人の目に次々と浮かんでくる。

はじめの階では、ベットで最後の別れをする妻の姿が。そして次の階では娘が恋人を家に連れてくる場面、そのまた下の階では、大きくなった娘が家から船に乗り込むところ、そして、娘が生まれた頃、と時代をさかのぼっていく。一番下の階では、奥さんと結婚したばかりの頃のこと。外には大きな木があって、ふたりはその木の下で将来を誓い合った、そんなシーンの数々。平屋時代の部屋の片隅に奥さんのワイングラスが転がっているのに気付いた。老人は、パイプとこのグラスを持ち帰った。新しいつみきの部屋もでき、思い出の写真がいっぱい飾られている部屋で、老人はワインで静かに乾杯する、もちろん、奥さんのグラスにもワインは注がれていた。

このアニメ制作にあたっては、1万枚以上の絵が必要でアニメーターの協力を得たが、背景画だけは、すべて、加藤久仁生自身が作成したという。作品の中に一貫して漂う”色”がアニメの世界観を表現する上で極めて重要と考えているからだそうだ。たしかに、重厚で、悲しみのちょっと手前の静けさ、そんな感じがよく出ていたと思う。

展覧会では、その制作にかかわる、スケッチ、絵コンテ、動画などが展示されているほか、同名のベストセラー絵本の原画もたくさん観られる。もちろん絵本も置いてあり、アニメより若干詳しいストリーがわかるようになっている。また、現在も絵本雑誌に連載中という”あとがき”の原画も多数、展示されている。

”つみきのいえ”はアニメの老人だけの家ではない。誰もが住んでいる家である。ぼくだってもうすぐ、その歳になる。”カーネーション”の糸子さんも、一気に72歳になりました。”つみきのいえ”同様、思い出の写真がいっぱい飾ってありましたね。

。。。。。

ちらし。海に沈む”つみきのいえ”



一人暮らしの老人の部屋。思い出の写真がいっぱい飾られている。アニメの世界観を表す色。



今日の糸子さんは72歳になっていた。夏木まりさん、うまくつないでいたように思う。思い出の写真がいっぱい。





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ぐるっと多摩地区

2012-03-04 22:27:31 | Weblog
三鷹で小学校のミニクラス会があったついでに、”ぐるっとパス”の多摩地区の美術館の巡回を決行した(汗)。美術館の開館時間は午前10時が多いので、三鷹のホテルから、一番遠い、八王子にまず向かった。10時に”夢美術館”に到着。甲州街道沿いにあり、美術館前に”八日市宿跡”の碑があった。この辺りは、街道随一の宿場として栄えたとのことだ。その中心が”八日市宿”だった。宿場町フアンとしてはうれしい予期せぬ出来事。それならば、この付近に寺院があるはず、そして(ぼくが探訪している;汗)遊女のお墓もあるかもしれない。寺院はすぐみつかった。禅東院というお寺だ。遊女のお墓はなかったが、由緒ある、とうがらし地蔵をみつけた。そしてこんな説明文があった。


もう少し、詳しい情報によると、江戸時代の飢饉の際に内藤新宿の”八つ房”という問屋に唐辛子を卸し、(八王子地区)の人びとが救われた。その問屋のあった内藤新宿(信濃高遠藩内藤家の下屋敷のあった敷地が、今の新宿御苑)までは、片道10里。その後、この地の人々は、開運、商売繁盛などの祈願にお地蔵さんに唐辛子を供え、やがて”とうがらし地蔵”と呼ばれるようになったとのこと。とうがらし地蔵のほか、珍しいものをみつけた。人目につかない境内の一画に、(たぶんモンゴルの)パオが設置されていたこと。何の説明文もない謎のパオだった。

夢美術館で”加藤久仁生展”を観て(のちほど記事にする予定)、駅の近くで味噌ラーメンを食べてから、中央線で国分寺。西武線に乗り換えて、ひとつめの一ツ橋学園駅で降りて、平櫛田中彫刻美術館へ。途中に一ツ橋大学の小平キャンパスが。そのキャンパス内に放送大学の校舎があることを、校門の看板で知った。ぼくの友人の何人かが定年退職後、入学している。学位もとれるし、カルチャーセンターよりいいと言っていた。そういえば、小平に行ったとか言っていたっけ。平櫛田中旧邸宅が美術館だ。内容もすばらしい。それも、のちほど。

そして、一ツ橋学園駅に戻り、思案した。”ぐるっとパス”に参加している、近いけれど乗り換えもある、花小金井の”江戸東京たてもの園”を観るかどうかだ。結局、パスして、武蔵境まで行き、ICU構内の湯浅記念館と中近東文化センター博物館に向かった。判断は間違っていた(涙)。前者は休館日で(美術館がなんで日曜に休むノダ)、後者は改修工事でしばらく休館だった。ぎゃふん。

三鷹市美術ギャラリーは特別展がなかったのでパス。井の頭公園で象のはなこさんをみたかったが、雨が降りそうになってきたのでパス。結局、二つの美術館だけの”ぐるっと多摩地区”になってしまった。パスの期限は3月13日、あとわずか。十分、元はとったが(笑)、最後は特別展も無料という三井美術記念館で〆ようと思う(汗)。

。。。。。

”八日市宿跡”の碑。うしろの建物が美術館。


とうがらし地蔵


謎のパオ


小平にて




休館だった湯浅記念館湯


中近東博物館も。とほほの休館。


三鷹のホテルの近くの太宰治文学サロン。9時頃、前を通ったが、まだ開いていなかった。入り口の太宰の写真は、林忠彦のではなかった。


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MOA美術館 国宝紅白梅図屏風/所蔵名品展

2012-03-03 07:31:39 | Weblog

毎年、梅の季節には、熱海梅園、熱海桜とセットでMOA美術館に行く。今年は梅の開花が遅れ、ようやく2月末に出掛けてきた。梅の季節のお目当てといえば、もちろん光琳の代表作、国宝、”紅白梅図屏風”。これは、これまで、門外不出だったが、この3月6日から東日本大震災の被災地支援のために仙台市博物館に貸し出されるという。とてもいいことだ。もともと、青森県の津軽家に伝来したものだそうだから、東北へお里帰りといったところだろうか。

今年の”紅白梅図屏風”はいつもとはちょっとばかり違った目でみられている。それは、最近の科学調査の結果がNHKで放映されたからだ。”紅白梅図”の全体の背景となっている金地は、金泥ではなく、金箔であり、中央の水流全体は銀箔(流れの模様は覆い、その他を硫黄で黒化させる)であることが分かったというのである。それに関しての展示もあり、森山知己画伯による原寸大の再現”紅白梅図”も飾ってある。別室だが入り口で両方、比べて観られるので面白い。やっぱりオリジナルの方がずっと良い。再現画では川の流れの部分が白(銀色)のままなので、つよすぎ、梅の影がうすくなる。

この研究結果は専門家の間で議論を呼んでいるらしい。2004年に東京文化財研究所は、それまでの金地は金箔という説を、”科学調査”により”金泥説”の新説を発表しているから、今回の”新事実”は、また元に戻っただけのことなのである。

さて、そんなことは、ぼくのような素人鑑賞者にはどうでもいいこと。自分流に楽しめばよい。屏風の右隻の紅梅がイナバウワーの人の姿にみえる(笑)。光琳梅もいいし、枝のウメノキゴケがかわゆい。水流はこれ以上、ないという構図と、うづまき模様。今年も観られてハッピー。

そしてMOAの宝物はこれだけに限らない、野々村仁清の色絵藤花文茶壷、抱一の雪月花図。そして光悦、宗達の名コンビ作品が5点も。宗達、光琳のほかの作品も展示室1、2にずらりと並んでいる。展示室3が前述の”紅白梅図”で、展示室4には中国絵画が。牧谿が二点、銭選も2点。樹下美人図、白衣観音図もうるわしい。そして、ここには又兵衛さんの柿本人麻呂・紀貫之図や自画像など4点も。岩佐又兵衛コレクションといえばMOA。次回から岩佐又兵衛の絵巻物シリーズがはじまります。山中常盤物語絵巻の展示もあるというので、楽しみだ。とくにあの場面(汗)。

海北友松の”楼閣山水図”も良かったし、書の好きな人なら展示室7,8に重要文化財クラスがずらり。いつきてもMOAはすばらしい。仙台展にも行こうかな。



岩佐又兵衛の絵巻物シリーズがつづく。熱海で、いっぱいが増えそうだ(汗)。






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新宿御苑から神楽坂へ

2012-03-02 10:57:18 | Weblog
この記事は昨晩、書くつもりだったが、またパソコントラブルがおき、今朝になってしまった。有働さんの、”あさいち”で静電気が原因で故障するパソコンが続出していることを知った。ぼくのもそうかもしれない。でもそろそろ寿命かなとも思っている。本川達夫東工大教授によれば、 ねずみでも象でも、どの動物も、心臓を15億回うって死ぬそうだから、パソコンだって、キーを打つ回数に限りがあるのだろう。

閏年の閏月、閏日に雪が降って、翌日の弥生三月一日は晴れ上がった。春の雪ははかない、すぐ行かねばと、新宿御苑に足を運んだ。桜の頃、菊の頃、紅葉の頃と幾度となく訪れた御苑だが、雪景色の御苑はまだ一度も観たことがない。もう心臓は15億回をはるかに超える回数をうっているし、この機会を逃すと、雪の御苑を、生涯みられなっかったということになりかねない。”存命の喜び、日々に樂しまざらんや”だ(汗)。

新宿、街中の雪は消えていたが、御苑に入ると、春の雪はまだ、残っていた。イギリス庭園の広い芝生は一面の雪景色だった。めったにみられない光景だと、感激した。日本庭園に回ると、そこにも松などの葉にかかる雪はなくなっていたが、芝の上の雪は、まだまだ婀娜な姿をみせていた。プラタナスの並木道には残雪が木の根元に寄り添っていた。フランス庭園の前に大きな建物らしき工事が始まっていた。工事の人に聞いたら、詳しいことは知らないが、大震災関係式典の仮設建物だと言っていた。ネットで調べたら、こういうことだった。

東日本大震災から一年が経過する今春、日仏文化交流実行委員会と環境省は、日本とフランス両国の繋がりをさらに深め、日本に元気を与える東北支援や、公園の環境保全や文化と福祉の向上を目的とした東北支援・日仏文化交流事業 「フランスからの贈りもの」を、多くの自然が息づくオアシス「新宿御苑・フランス式整形庭園(フランス人造園家アンリ・マルチネ設計)」で、平成24年3月10日(土)〜平成24年3月23日(金)に開催いたします。みなさんのご参加を心よりお待ちしております フランスに多少の縁もあるので、ぜひ訪ねてみよう。

御苑の雪景色をみて、とても幸せな気分で千駄ヶ谷門を出た。どこでお昼にしようかなと、考えて、行きついた先は神楽坂。十年ぶりぐらいかもしれない。神楽坂下から、きょろきょろしながら、ゆっくりとと登って行く。だんだん思い出してくる。おっ、神楽小路だ、本多通りだ。小路に入って、さらにそのまた小路を歩いてみる。そこには、ひっそりと雪の塊が息づいていた。途中、和食店の前で和装の若い娘さんにランチどうですか、と声をかけられた。さすが、神楽坂。”神楽坂踊り”の看板も。また、表通りに出て、登っていく。毘沙門天のお寺があって、その向かいの、うどん鍋のお店”鳥茶屋”が目に入った。以前入ったことがある。そこに決めた。カウンター席がひとつだけ開いていた。お店で働いている女性はみな和服姿の別嬪さん。さすが神楽坂。

お造りや煮物などもついている”うどんすきコース(2650円)”を頼んだ。ということはお酒も頂いたということです(汗)。はまぐりが口をあけたところでお鍋、頂けます、と。さすが粋で婀娜な神楽坂。大船では、きのこがしんなりしたところで頂けます、です(爆)。カウンター前の壁に、おえらいさんが描いた、ぼくの好きな、お相撲さんの取組の墨絵が。おいしいお料理を頂き、土佐鶴の新酒を気分良く飲んで、外に出た。善国寺の毘沙門天さまにお参りし、都内でも珍しいという、石虎に再会を約束して帰途についた。うららかな日だったし、御苑の残雪見物、神楽坂の昼酒と、これぞ存命の喜びの一日だった。

・・・・・

御苑の残雪










プラタナスの並木


フランス庭園前の仮設工事


神楽坂のお店


善国寺の石虎







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