'14.06.04 『2つ目の窓』WOWOW FILMSプレミア
カンヌ国際映画祭2014 WOWOW FILMSプレミアという番組枠で、第67回カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品作品の今作を、劇場公開前に放送するというので録画。見てみた!
ネタバレありです! 結末にも触れています! 辛口
「奄美大島に住む高校生の界人と杏子。それぞれ両親の離婚、母の病気などの家庭の問題を抱えながら、恋心をはぐくんでいく・・・」って感じかなぁ・・・ 高校生の2人が直面する生と死、そして性ってことを描きたいのだと思うんだけど、個人的にあまりしっくりこなかった
河瀬直美監督といえばカンヌ国際映画祭。第50回『萌えの朱雀』でカメラドール(新人賞)を史上最年少の27歳で受賞。第60回『殯の森』でグランプリを獲得。第62回には金の馬車をアジア人、そして女性初の受賞。そして、第66回には日本人として17年ぶり、映画監督としては初となる審査員を務めた。まさにカンヌ国際映画祭に愛された監督と言える。個人的にカンヌ映画祭受賞作品は当たりハズレがあるという印象。当たりハズレというと語弊があるな・・・ 個人的にハマるかハマらないかハッキリ分かれる作品が多い気がする。
河瀬直美監督の作品を見るのは初めて。実は上記の理由で、気になってはいたものの、『萌えの朱雀』も『殯の森』も見ていない。なんとなく合わないんじゃないかという気がして、食わず嫌い。今回急に見てみたいと思ったのは、奄美大島が舞台であることと、河瀬監督自ら自身最高傑作とおっしゃっている番宣を見たから。そして、劇場公開前に見れるというのに惹かれて(o´ェ`o)ゞ
メインのロケ地となったのは笠利町用安で、こちらは監督の母方のおば様の出身地なのだとか。『萌の朱雀』と『殯の森』では、ご自身の出身地奈良を舞台にするなど、ゆかりの地で撮影することが多いそうだけれど、その辺り"家族"をテーマにした作品が多いように思うので納得。神の子海岸や、ビラビーチなどでもロケを行い、キャストやスタッフは1か月近く奄美大島で生活しながら撮影したそうで、清掃キャンペーンにも参加したのだとか。また、大島北高校の生徒34名を含む、島民100人程度がエキストラとして参加したのだそう。なるほど・・ うん(笑)
うーん。結論から言うと合わなかった 冒頭からヤギの首を顔用カミソリで切り、血を抜くシーンが流れる。これは後に別の形で出てくるけれど、このシーンで生命とか、生きるということ、命を頂くこと、命のつながりを描きたいという宣言なのかなとは思うのだけど、ここで何となくあざとさを感じてしまい、それ以降のシーンのほとんどでハマらない感じ、ハマらないというか収まりが悪いという印象。もちろん、自分の中での収まりという意味! ウブドが大好きなので、ガジュマルの樹がある杏子の家の庭の風景とか大好きだったけど、ストーリーとは直接関係なく差し込まれる海岸の風景などは、荒れている時ですら美しいと思うものの、ちょっとわざとらしさを感じてしまう。主人公たちの人生に波風が立ち、苦しいことや辛い方向に進むと、風景も雲行きが怪しくなり、風が強まり、暴風雨になったりするので、この画の差し込みは意味があるのは分かるのだけど、あまりに多用されると少々クドい気がした・・・
日常の中にある問題や死などを描きたいんだろうなというのは伝わるし、俳優さんたちは新人の主演2人を含めて自然な演技で、本当に奄美大島の住民に見えたのはスゴイと思う。それは、何気ない会話、何気ない日常を描いているからだろうと思うし、そういう演出が成功しているのだろうと思うのだけど・・・
主人公は2人の高校生。両親が離婚し、島へやって来た界人。彼に恋する奔放な女子高生杏子。界人は母と2人暮らし。杏子には島でカフェを営む父と、病床の母がいる。母のイサはユタ神様と呼ばれていて、いわゆる巫女のような存在なのかな? 病名は不明だけど、余命宣告を受けている様子。島民は神と共に生きているそうで、冒頭ヤギのシーンの次はお祭り。これは八月踊りというそうだけれど、説明がほとんどないので脳内補完するか、別途調べるしかない。八月踊りは別としても、神と共に生きるという部分は、島を描く上で重要なのだと思うのだけど・・・ 母がユタ神様であるっていう説明もあったかな? そもそもユタ神様の説明がないので、何をする人なのかも不明。ただ、杏子が神様も死ぬんだねと言うのみ。登場人物が細かい背景や心情などを、セリフでクドクド説明してしまうのは無粋だと思うけれど、あまりに説明がないのも・・・ その割に差し込まれる海の風景・・・
実は八月踊りのシーンの直後、界人は背中に刺青のある水死体を発見するのだけど放置して逃げてしまう、それを杏子が見ているのだけど、この水死の真相は結局よく分からない。翌朝、この海岸で水死体が発見されたことが分かるのだけど、やじ馬たちが語るくらいの情報しかない。後にこの水死体の人物について界人が触れるシーンがあるけど、その真偽は分からない。誰なのかも分からない。実はこの水死体の背中の刺青を見逃してしまい、後のシーンで繋がらなくて困った。教師から水死事故があったため、遊泳禁止になっているから海で泳ぐなと言われているのに、制服のまま泳ぐ杏子・・・ ちょっと苦手なキャラかも(゚∀゚ ;) でも、全編通して見てみれば、杏子は不思議ちゃんではないし、父親とも上手くいっているし、病気の母親の世話もする良い子で、唐突に界人にセックスしようなんて言っちゃう時もあるけど許容範囲。界人が辛い時もそばで支えた。でも、時々こういう普通しないよね?という行動をとる。辛さを海で吐き出すシーンがあるのはいいと思うけど、全裸である必要があるのかな? そういう演出にあざとさを感じてしまい、いわゆる自然と一体となるとか、自然と共に生きるというような感覚になれない。
界人は杏子の父親のことが刺激になったのか、母と離婚して東京で暮らす父親に会いに行く。父はイラストレーターなのかな? とにかく全てにおいてハッキリした説明がないので、よく分からないけど依頼を受けて絵を描いているらしい。連れて行かれた部屋が仕事部屋なのか、住まいなのか不明だけど、アート系の作品が並ぶ。というより部屋自体がアート作品のような印象。部屋には年配の男性がいるけど、仕事仲間なのか、同居人なのか不明。一瞬、さては父親はゲイなのか?!と思ったけど、後に今でも母親のことを愛しているようなセリフがあるので違うらしい。どうやら、父親としては絵を描くのためには東京に居ないとダメだというのが、離婚の大きな原因だったらしい。もちろん、それだけではない理由もあったのでしょうけれど、母親側の理由はこの後も一切語られないので、母親は東京に居たくなかったのかな?と補完するしかない。まぁ、いちいちする必要もないんだけど、ちょっとこういう部分が多い気が・・・ 父親が「あと4年で一緒にお酒が飲める」と嬉しそうに語るセリフがあったので、もちろお酒は飲ませていないと思うけれど、父親は本当に2人で食事するのが楽しいようで、銭湯で背中を流したりするのもほのぼのするシーン。父親役の村上淳と、界人役の村上虹郎は実際に父子(母はUA)なので、見ている側も( ̄ー ̄)ニヤリではある。でも、これで界人は納得できたのかな? まぁ、少なくとも父親側の理由は納得できたのでしょう。
界人の母はちろんシングルマザーとして働いているわけだけど、この母にもしかしたら男の人がいるのではないかという感じは早い段階から匂わせている。ただし、それが界人が想像しているような男漁りなのか、真剣な恋愛なのかが見ている側には分からない。男漁りばかりして息子をほったらかしのダメな母親というのは映画にありがちなキャラなので、ついつい先走って想像してしまうけれど、そういう感じでもないような・・・ まだ、十分若い母親はいわゆる、良妻賢母とは言い切れない部分はあるものの、息子のことを心配してきちんと向き合おうとしている。息子が留守の間に恋人との電話のやり取りは、息子が帰ってきてしまうからという言い訳すら駆け引きに思えるほど、思春期の息子がいる母親としては色気過多な気がするけれど、さすがに息子に聞かれているとは思わなかっただろうし・・・ 界人がなぜ母親を淫乱だとなじるのかについては、ただ現在恋しているというだけでも嫌なのだろうから、役柄として本当に淫乱でなくてもいいわけだけど、この場面よりずっと以前に、彼が母親が背中に刺青のある男性とセックスしている場面を目撃するシーンを見せられていて、そして母親を罵る場面で水死した男性とも関係があったと言われるのだけど、前述したとおり水死体の背中の刺青を見逃していた上に、父と銭湯に入るシーンで背中を流してあげた時、父の背中に同じ刺青があったので、てっきり前に見せられたセックスシーンの相手は父なんだと思っていた。この父の刺青の意味がよく分からなかったのだけど、勘違いしているのかな? よく考えたら刺青あったら銭湯入れないよね? 界人が幻想を見たってこと? とにかく、思春期の界人が母の女の部分を許せず、嫌悪感を抱くのは理解できるので、例え全て彼の誤解であっても、母親をなじるシーンがあってもいいと思うのだけど、見ている側は冷静だからモヤモヤする部分が残った。
で、界人は家を飛び出してしまうのだけど、戻ってみると母の姿はなく、外が嵐になっても母親は戻らず連絡もない。暴風雨の中探し回る界人を見つけたのは杏子。自分の家に連れて帰る。後に界人は開店前のレストランに入って行き、そこにいたシェフ姿の男性に「母はどこですか?」と聞くけど、男性は答えない。奥から母親が出てきて無言で界人を抱きしめ一件落着なんだけど・・・ もう何が何だか・・・ 要するにこの男性が今の母親の恋人ってこと? でも、現れた母も制服姿だったから、母親は真面目に働いていたってこと? この母親が界人の言う通り男漁りしていたのだとしても、この出来事の前に見せられていたのは、食事の支度をして置き手紙して出かけ、まめに界人に電話してくる様子。少なくとも界人のことを愛していて、大切に思っているはず。だから、いくら息子に言われたことがショックだったとしても、暴風雨の中連絡もしないっていうのは変な気がした。自分が無事であるというのもそうだけれど、いくら16歳とはいえ息子が無事か心配で連絡するんじゃないかな? どうにもこの岬という人物のキャラ設定がつかめなかった。
杏子の母イサの死の場面は印象的。集まっていたのは親戚なのかな? 彼らは死にゆく杏子のために三線を弾き、島唄を歌う。"あなたは逝ってしまうのか?"ってスゴイ歌詞だなと思うけど、これはもうイサをおくる段階なのだということかもしれない。歌の高まりにつれて踊っているかのように手を動かすイサ。潮が引くように息を引き取る。以前、イサが杏子に死ぬのは怖くないと語るシーンがあった。自分の命は杏子の祖母、その曾祖母、そしてご先祖様から受け継いだもの。だから杏子に繋がり、さらに杏子からまた新たな命に繋がっていく。自分の命が繋がったから、死ぬのは怖くない。杏子の中に自分が残るのだという。考えてみれば、それは誰にとっても同じことなのだけど、この儀式のようなイサの見送りシーンを見ていると、なんだかそれがしっくりくる。
杏子と界人が生まれたままの姿で海を泳ぐシーンは神秘的で美しく、とても好きだったのだけど、マングローブの林の中で結ばれるシーンは、本来感動的であるはずなのに、何となくあざとさを感じてしまったのは何故だろう? 彼らにとってそれは儀式のようなものだったとしても、やっぱり16歳の彼らのそういうシーンを美しく撮るということに違和感があった。10代で性体験がある子もたくさんいると思うし、若い子たちの性を扱う映画を倫理的にダメだと言うつもりもない。もちろん倫理的に問題な作品には異議を唱えるけれど! ただ、命を繋ぐということがテーマなのなら、何も"今"若い彼らが結ばれる必要があるのかな? そこを理解した彼らだからこそ、例え儀式的なものであっても、大切にして欲しかった。もちろん、大切にしているんだと思うんだけど・・・ うーん。上手く言えないな。軽々しいものであったり、興味本位でしているわけではないことは画から伝わってくるのだけど、高校生の彼らが自然の中で結ばれることを美しいこととして描くことが、あざとく感じてしまった。
キャストは皆良かったと思う。杏子の父親役の杉本哲太は子供たちの感覚に寄り添い、キラキラと少年のようでもありながら、父であったと思う。イサの松田美由紀はほぼスッピンの熱演。娘を残して逝くことは悲しく不安であると思うけれど、娘が悲しまないように言う上記のセリフは良かった。岬のキャラが定まらなかったのは、脚本なのか演出なのか、渡辺真起子の演技なのか・・・ うーん。演技は悪くなかったとは思うけど、女の"業"は感じられなかったかもしれない。界人の父親役の村上淳はわずかなシーンで印象を残す。極論すれば家族よりも自分を取ったわけだから、その大人になり切れていない感じが良かったと思う。実の息子との芝居はどうだったんだろ?
主演の2人は良かったと思う。真っ黒に日焼けした杏子役の吉永淳は、瞳の美しさと強さが印象的。自然で良かったと思う。制服のまま泳ぐなど、時々入るビックリ行動も、"こんなことしちゃう自分"に酔っている子にはなってなかった。映画初出演の界人役村上虹郎は、ちょっとセリフが聞き取りにくい部分もあったけれど、思春期特有の潔癖さをよく表現していたと思う。技術が拙くても、一生懸命さが胸を打つこともある。こういう青春モノはその年齢でしかできないわけだから、2人ともこの瞬間を残せたことはよかったんじゃないかな。
奄美大島の自然の風景がいい。美しいばかりではないというところを見せたいのかなという気もしたけれど、そういう部分も含めて良かったと思う。2度目のヤギのシーンでは、ヤギが完全に絶命するまで見せる。それは辛い場面でもあったけれど、それを見守るのも義務であるような気がした。ガジュマルの樹がハサミ状のものがついたアームのあるショベルカー(?)でバキバキ折られていくシーンが印象的。まるで機械が生きていて、意思を持っているかのようで、だんだん恐竜のような姿に見えてきた。それが食い尽くしているかのような錯覚。このシーンも辛いけど良かった。
前述したとおり、あまり多くを語らず、淡々としたセリフや映像で、重いテーマを語る作品は好きなのだけど、何となくボタンを掛け違えたような違和感があって、ずっと乗り切れないまま終わってしまった。でも、見る前から何となくそうなんじゃないかと思っていたので、そういう意味では予想通り。あまり説明されない以上、汲み取っていくしかないわけで、汲み取って欲しい部分と、汲み取る側の感性が合わないと、汲み取れない。なので、たぶん拾えてない部分や、理解できていない部分はたくさんあると思う。だから、あまり語る資格はないかも・・・ 前述どおり河瀬監督作品は初めてなので、ご自身がおっしゃるように最高傑作なのかも分からない。個人的には合わなかったという感じ・・・ あくまで個人的な感想!
監督のファンの方は楽しめるんじゃないかな? 美しい自然とスピリチュアルなものに興味がある方オススメ! かな?(笑)
『2つ目の窓』Official site
カンヌ国際映画祭2014 WOWOW FILMSプレミアという番組枠で、第67回カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品作品の今作を、劇場公開前に放送するというので録画。見てみた!
ネタバレありです! 結末にも触れています! 辛口
「奄美大島に住む高校生の界人と杏子。それぞれ両親の離婚、母の病気などの家庭の問題を抱えながら、恋心をはぐくんでいく・・・」って感じかなぁ・・・ 高校生の2人が直面する生と死、そして性ってことを描きたいのだと思うんだけど、個人的にあまりしっくりこなかった
河瀬直美監督といえばカンヌ国際映画祭。第50回『萌えの朱雀』でカメラドール(新人賞)を史上最年少の27歳で受賞。第60回『殯の森』でグランプリを獲得。第62回には金の馬車をアジア人、そして女性初の受賞。そして、第66回には日本人として17年ぶり、映画監督としては初となる審査員を務めた。まさにカンヌ国際映画祭に愛された監督と言える。個人的にカンヌ映画祭受賞作品は当たりハズレがあるという印象。当たりハズレというと語弊があるな・・・ 個人的にハマるかハマらないかハッキリ分かれる作品が多い気がする。
河瀬直美監督の作品を見るのは初めて。実は上記の理由で、気になってはいたものの、『萌えの朱雀』も『殯の森』も見ていない。なんとなく合わないんじゃないかという気がして、食わず嫌い。今回急に見てみたいと思ったのは、奄美大島が舞台であることと、河瀬監督自ら自身最高傑作とおっしゃっている番宣を見たから。そして、劇場公開前に見れるというのに惹かれて(o´ェ`o)ゞ
メインのロケ地となったのは笠利町用安で、こちらは監督の母方のおば様の出身地なのだとか。『萌の朱雀』と『殯の森』では、ご自身の出身地奈良を舞台にするなど、ゆかりの地で撮影することが多いそうだけれど、その辺り"家族"をテーマにした作品が多いように思うので納得。神の子海岸や、ビラビーチなどでもロケを行い、キャストやスタッフは1か月近く奄美大島で生活しながら撮影したそうで、清掃キャンペーンにも参加したのだとか。また、大島北高校の生徒34名を含む、島民100人程度がエキストラとして参加したのだそう。なるほど・・ うん(笑)
うーん。結論から言うと合わなかった 冒頭からヤギの首を顔用カミソリで切り、血を抜くシーンが流れる。これは後に別の形で出てくるけれど、このシーンで生命とか、生きるということ、命を頂くこと、命のつながりを描きたいという宣言なのかなとは思うのだけど、ここで何となくあざとさを感じてしまい、それ以降のシーンのほとんどでハマらない感じ、ハマらないというか収まりが悪いという印象。もちろん、自分の中での収まりという意味! ウブドが大好きなので、ガジュマルの樹がある杏子の家の庭の風景とか大好きだったけど、ストーリーとは直接関係なく差し込まれる海岸の風景などは、荒れている時ですら美しいと思うものの、ちょっとわざとらしさを感じてしまう。主人公たちの人生に波風が立ち、苦しいことや辛い方向に進むと、風景も雲行きが怪しくなり、風が強まり、暴風雨になったりするので、この画の差し込みは意味があるのは分かるのだけど、あまりに多用されると少々クドい気がした・・・
日常の中にある問題や死などを描きたいんだろうなというのは伝わるし、俳優さんたちは新人の主演2人を含めて自然な演技で、本当に奄美大島の住民に見えたのはスゴイと思う。それは、何気ない会話、何気ない日常を描いているからだろうと思うし、そういう演出が成功しているのだろうと思うのだけど・・・
主人公は2人の高校生。両親が離婚し、島へやって来た界人。彼に恋する奔放な女子高生杏子。界人は母と2人暮らし。杏子には島でカフェを営む父と、病床の母がいる。母のイサはユタ神様と呼ばれていて、いわゆる巫女のような存在なのかな? 病名は不明だけど、余命宣告を受けている様子。島民は神と共に生きているそうで、冒頭ヤギのシーンの次はお祭り。これは八月踊りというそうだけれど、説明がほとんどないので脳内補完するか、別途調べるしかない。八月踊りは別としても、神と共に生きるという部分は、島を描く上で重要なのだと思うのだけど・・・ 母がユタ神様であるっていう説明もあったかな? そもそもユタ神様の説明がないので、何をする人なのかも不明。ただ、杏子が神様も死ぬんだねと言うのみ。登場人物が細かい背景や心情などを、セリフでクドクド説明してしまうのは無粋だと思うけれど、あまりに説明がないのも・・・ その割に差し込まれる海の風景・・・
実は八月踊りのシーンの直後、界人は背中に刺青のある水死体を発見するのだけど放置して逃げてしまう、それを杏子が見ているのだけど、この水死の真相は結局よく分からない。翌朝、この海岸で水死体が発見されたことが分かるのだけど、やじ馬たちが語るくらいの情報しかない。後にこの水死体の人物について界人が触れるシーンがあるけど、その真偽は分からない。誰なのかも分からない。実はこの水死体の背中の刺青を見逃してしまい、後のシーンで繋がらなくて困った。教師から水死事故があったため、遊泳禁止になっているから海で泳ぐなと言われているのに、制服のまま泳ぐ杏子・・・ ちょっと苦手なキャラかも(゚∀゚ ;) でも、全編通して見てみれば、杏子は不思議ちゃんではないし、父親とも上手くいっているし、病気の母親の世話もする良い子で、唐突に界人にセックスしようなんて言っちゃう時もあるけど許容範囲。界人が辛い時もそばで支えた。でも、時々こういう普通しないよね?という行動をとる。辛さを海で吐き出すシーンがあるのはいいと思うけど、全裸である必要があるのかな? そういう演出にあざとさを感じてしまい、いわゆる自然と一体となるとか、自然と共に生きるというような感覚になれない。
界人は杏子の父親のことが刺激になったのか、母と離婚して東京で暮らす父親に会いに行く。父はイラストレーターなのかな? とにかく全てにおいてハッキリした説明がないので、よく分からないけど依頼を受けて絵を描いているらしい。連れて行かれた部屋が仕事部屋なのか、住まいなのか不明だけど、アート系の作品が並ぶ。というより部屋自体がアート作品のような印象。部屋には年配の男性がいるけど、仕事仲間なのか、同居人なのか不明。一瞬、さては父親はゲイなのか?!と思ったけど、後に今でも母親のことを愛しているようなセリフがあるので違うらしい。どうやら、父親としては絵を描くのためには東京に居ないとダメだというのが、離婚の大きな原因だったらしい。もちろん、それだけではない理由もあったのでしょうけれど、母親側の理由はこの後も一切語られないので、母親は東京に居たくなかったのかな?と補完するしかない。まぁ、いちいちする必要もないんだけど、ちょっとこういう部分が多い気が・・・ 父親が「あと4年で一緒にお酒が飲める」と嬉しそうに語るセリフがあったので、もちろお酒は飲ませていないと思うけれど、父親は本当に2人で食事するのが楽しいようで、銭湯で背中を流したりするのもほのぼのするシーン。父親役の村上淳と、界人役の村上虹郎は実際に父子(母はUA)なので、見ている側も( ̄ー ̄)ニヤリではある。でも、これで界人は納得できたのかな? まぁ、少なくとも父親側の理由は納得できたのでしょう。
界人の母はちろんシングルマザーとして働いているわけだけど、この母にもしかしたら男の人がいるのではないかという感じは早い段階から匂わせている。ただし、それが界人が想像しているような男漁りなのか、真剣な恋愛なのかが見ている側には分からない。男漁りばかりして息子をほったらかしのダメな母親というのは映画にありがちなキャラなので、ついつい先走って想像してしまうけれど、そういう感じでもないような・・・ まだ、十分若い母親はいわゆる、良妻賢母とは言い切れない部分はあるものの、息子のことを心配してきちんと向き合おうとしている。息子が留守の間に恋人との電話のやり取りは、息子が帰ってきてしまうからという言い訳すら駆け引きに思えるほど、思春期の息子がいる母親としては色気過多な気がするけれど、さすがに息子に聞かれているとは思わなかっただろうし・・・ 界人がなぜ母親を淫乱だとなじるのかについては、ただ現在恋しているというだけでも嫌なのだろうから、役柄として本当に淫乱でなくてもいいわけだけど、この場面よりずっと以前に、彼が母親が背中に刺青のある男性とセックスしている場面を目撃するシーンを見せられていて、そして母親を罵る場面で水死した男性とも関係があったと言われるのだけど、前述したとおり水死体の背中の刺青を見逃していた上に、父と銭湯に入るシーンで背中を流してあげた時、父の背中に同じ刺青があったので、てっきり前に見せられたセックスシーンの相手は父なんだと思っていた。この父の刺青の意味がよく分からなかったのだけど、勘違いしているのかな? よく考えたら刺青あったら銭湯入れないよね? 界人が幻想を見たってこと? とにかく、思春期の界人が母の女の部分を許せず、嫌悪感を抱くのは理解できるので、例え全て彼の誤解であっても、母親をなじるシーンがあってもいいと思うのだけど、見ている側は冷静だからモヤモヤする部分が残った。
で、界人は家を飛び出してしまうのだけど、戻ってみると母の姿はなく、外が嵐になっても母親は戻らず連絡もない。暴風雨の中探し回る界人を見つけたのは杏子。自分の家に連れて帰る。後に界人は開店前のレストランに入って行き、そこにいたシェフ姿の男性に「母はどこですか?」と聞くけど、男性は答えない。奥から母親が出てきて無言で界人を抱きしめ一件落着なんだけど・・・ もう何が何だか・・・ 要するにこの男性が今の母親の恋人ってこと? でも、現れた母も制服姿だったから、母親は真面目に働いていたってこと? この母親が界人の言う通り男漁りしていたのだとしても、この出来事の前に見せられていたのは、食事の支度をして置き手紙して出かけ、まめに界人に電話してくる様子。少なくとも界人のことを愛していて、大切に思っているはず。だから、いくら息子に言われたことがショックだったとしても、暴風雨の中連絡もしないっていうのは変な気がした。自分が無事であるというのもそうだけれど、いくら16歳とはいえ息子が無事か心配で連絡するんじゃないかな? どうにもこの岬という人物のキャラ設定がつかめなかった。
杏子の母イサの死の場面は印象的。集まっていたのは親戚なのかな? 彼らは死にゆく杏子のために三線を弾き、島唄を歌う。"あなたは逝ってしまうのか?"ってスゴイ歌詞だなと思うけど、これはもうイサをおくる段階なのだということかもしれない。歌の高まりにつれて踊っているかのように手を動かすイサ。潮が引くように息を引き取る。以前、イサが杏子に死ぬのは怖くないと語るシーンがあった。自分の命は杏子の祖母、その曾祖母、そしてご先祖様から受け継いだもの。だから杏子に繋がり、さらに杏子からまた新たな命に繋がっていく。自分の命が繋がったから、死ぬのは怖くない。杏子の中に自分が残るのだという。考えてみれば、それは誰にとっても同じことなのだけど、この儀式のようなイサの見送りシーンを見ていると、なんだかそれがしっくりくる。
杏子と界人が生まれたままの姿で海を泳ぐシーンは神秘的で美しく、とても好きだったのだけど、マングローブの林の中で結ばれるシーンは、本来感動的であるはずなのに、何となくあざとさを感じてしまったのは何故だろう? 彼らにとってそれは儀式のようなものだったとしても、やっぱり16歳の彼らのそういうシーンを美しく撮るということに違和感があった。10代で性体験がある子もたくさんいると思うし、若い子たちの性を扱う映画を倫理的にダメだと言うつもりもない。もちろん倫理的に問題な作品には異議を唱えるけれど! ただ、命を繋ぐということがテーマなのなら、何も"今"若い彼らが結ばれる必要があるのかな? そこを理解した彼らだからこそ、例え儀式的なものであっても、大切にして欲しかった。もちろん、大切にしているんだと思うんだけど・・・ うーん。上手く言えないな。軽々しいものであったり、興味本位でしているわけではないことは画から伝わってくるのだけど、高校生の彼らが自然の中で結ばれることを美しいこととして描くことが、あざとく感じてしまった。
キャストは皆良かったと思う。杏子の父親役の杉本哲太は子供たちの感覚に寄り添い、キラキラと少年のようでもありながら、父であったと思う。イサの松田美由紀はほぼスッピンの熱演。娘を残して逝くことは悲しく不安であると思うけれど、娘が悲しまないように言う上記のセリフは良かった。岬のキャラが定まらなかったのは、脚本なのか演出なのか、渡辺真起子の演技なのか・・・ うーん。演技は悪くなかったとは思うけど、女の"業"は感じられなかったかもしれない。界人の父親役の村上淳はわずかなシーンで印象を残す。極論すれば家族よりも自分を取ったわけだから、その大人になり切れていない感じが良かったと思う。実の息子との芝居はどうだったんだろ?
主演の2人は良かったと思う。真っ黒に日焼けした杏子役の吉永淳は、瞳の美しさと強さが印象的。自然で良かったと思う。制服のまま泳ぐなど、時々入るビックリ行動も、"こんなことしちゃう自分"に酔っている子にはなってなかった。映画初出演の界人役村上虹郎は、ちょっとセリフが聞き取りにくい部分もあったけれど、思春期特有の潔癖さをよく表現していたと思う。技術が拙くても、一生懸命さが胸を打つこともある。こういう青春モノはその年齢でしかできないわけだから、2人ともこの瞬間を残せたことはよかったんじゃないかな。
奄美大島の自然の風景がいい。美しいばかりではないというところを見せたいのかなという気もしたけれど、そういう部分も含めて良かったと思う。2度目のヤギのシーンでは、ヤギが完全に絶命するまで見せる。それは辛い場面でもあったけれど、それを見守るのも義務であるような気がした。ガジュマルの樹がハサミ状のものがついたアームのあるショベルカー(?)でバキバキ折られていくシーンが印象的。まるで機械が生きていて、意思を持っているかのようで、だんだん恐竜のような姿に見えてきた。それが食い尽くしているかのような錯覚。このシーンも辛いけど良かった。
前述したとおり、あまり多くを語らず、淡々としたセリフや映像で、重いテーマを語る作品は好きなのだけど、何となくボタンを掛け違えたような違和感があって、ずっと乗り切れないまま終わってしまった。でも、見る前から何となくそうなんじゃないかと思っていたので、そういう意味では予想通り。あまり説明されない以上、汲み取っていくしかないわけで、汲み取って欲しい部分と、汲み取る側の感性が合わないと、汲み取れない。なので、たぶん拾えてない部分や、理解できていない部分はたくさんあると思う。だから、あまり語る資格はないかも・・・ 前述どおり河瀬監督作品は初めてなので、ご自身がおっしゃるように最高傑作なのかも分からない。個人的には合わなかったという感じ・・・ あくまで個人的な感想!
監督のファンの方は楽しめるんじゃないかな? 美しい自然とスピリチュアルなものに興味がある方オススメ! かな?(笑)
『2つ目の窓』Official site