'14.11.23 『草原の実験』@TOUCH!WOWOW プレミア放送
今年11月に開催された第27回東京国際映画祭で、WOWOW賞を受賞した作品が、1回のみプレミア放送されるということで録画! 期待して見てみた![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hearts_pink.gif)
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ネタバレありです! 結末にも触れています!
「カザフスタンの草原に暮らす父娘。2人だけの静かな暮らし。少女に恋する草原の青年。迷い込んできた異国の青年も彼女に恋をする。やがて少女に悲劇が起こる。彼女はどちらを選ぶのか・・・」というあらすじだと、少女の恋愛物語かと興味を失う人もいるかもしれないけれど、これは絶対このあらすじにダマされて最後まで見た方がいいと思う! 驚愕のラストと煽られて、驚愕しないことは多々あるけれど、これは本当に驚愕した! 映画の感想記事は自分の備忘録でもあるので、一応結末まで書いてしまうけれど、本来は全く予備知識なしで見て欲しい。
第27回東京国際映画祭コンペティション部門WOWOW賞受賞作品。今年から新設されたWOWOW賞というのは、WOWOW視聴者がコンペティション部門で上映された作品の中から選出した作品ということらしい。栄えある第1回受賞作の今作は、15作品の中から選ばれ、賞金10,000ドルを獲得したのだそう。WOWOWって大作だけでなく、ミニシアター系(←ってもう言わないのかな?)の作品や、"ジャパンン・プレミアム"と称して、日本未公開作品を放送したりと、有料映画系チャンネルの先駆けとして、いろいろ頑張っているなという印象。ってエラそう(笑) イヤ、単純に映画好きとしてウレシイ!
モスクワ生まれのアレクサンドル・コット監督が脚本も担当している。今作について、新藤兼人監督の『裸の島』から影響を受けたと語る監督は、全ロシア映画大学監督コースを卒業。ポーランドのクラクフで、アンジェイ・ワイダ監督のマスタークラスを受講したとのこと。クラクフ行ったことあるけど、こじんまりした素敵な街だった!←関係ないけど(o´ェ`o)ゞ
映画は、見渡す限り緑しかない草原の真ん中、トラックの荷台で1人の男性が寝ているシーンから始まる。男性は朝青龍とキム兄こと木村祐一氏をミックスしたような感じ。お世辞にもイケメンとは言えない。美しい草原と無骨な男性の対比に、少々クスッとなって始まる。このほのぼのした雰囲気の始まりと、『草原の実験』というタイトルがどう結びつくのかと考える。この男性が誰で、ここで何をしているのか等の説明は一切なし。目覚めた男性は、トラックを運転して家に帰って来る。低い石垣で囲まれた小さな家。庭には井戸がある。周りに他の家は全く見えない。家には1人の美少女が待っている。
唐突に、家の前で何かを待っている朝青龍似の男性。そこにセスナ機が現れる。ものすごい風圧に耐える朝青龍。セスナ機は男性の鼻先で止まる。何の説明もなく彼がセスナ機を楽しそうに操縦するシーンが映される。うん? これが実験なのか?とか思うけれど、何かを散布するなどの描写もなく、単純に朝青龍が操縦を飛行を楽しんだだけ。うーん・・・
家で待つ美少女は、かいがいしく朝青龍の靴を脱がせ、靴下を脱がせ、丁寧に足を洗う。その間、椅子に腰かけ柱にもたれて眠ってしまった彼の帽子を脱がせて、枕を当ててあげる。うん? この美少女は、この無骨そうな朝青龍の若妻?!とか思ってドキドキしまう。だって、日本のOLちゃんとしては、父親の足を洗ってあげることなんて一度もなかったもので・・・(o´ェ`o)ゞ 美少女が男性の足を洗うなんて、妙にエロティックなのですもの(*´ェ`*)ポッ
で、どこで気づいたのか正確には思い出せないけど、この映画セリフが一切ない。なので、映画を見ていただけでは、この2人の関係どころか名前すら分からない。公式サイトやWikipediaなどもないので、第27回東京国際映画祭のエントリーPageや、いくつかのインタビュー記事などくらいしか情報がないのだけど、一応この2人は父娘らしく、どうやら娘はジーマで、父親はマクシムなのかな? イヤ、主要キャストであと2人男性が出てくるので、誰が誰やら・・・(笑) えーと、調べて来た! 父親はトルガトだった! でも、この潔さは良かったと思うし、見ている間はあまりの説明のなさに不安になることもあったけど、淡々とした不思議な語り口に引き込まれて、そんなに気にならない。目の前に展開していることに集中して見てしまう感じ。これはなかなかスゴイ!
とにかく主に少女の日常を淡々と見せられる。母親がなぜ不在なのかも説明がなかったと思う。もしかしたら、遺影のようなものを見せて、亡くなっている事実を見せたりしていたかもしれないけれど、そういう記憶はないし、そういうことをする映画のようにも思えない。父親の仕事は何で、毎日どこに出かけているのかも不明だけど、少女は父親とトラックに同乗し、草原の中の小さな分かれ道まで運転する。何度か映るその光景は、最初は父親がハンドルに手を添えていたので、おそらく彼女に運転を教えているのだと思われる。分かれ道に来ると車を止めて、少女はトラックを降り、運転席に座った父親は、分かれ道を左に曲がりどこかへ去って行く。一人残された少女は来た道を歩いて戻り始める。すると、どこからともなく馬に乗った青年が現れる。彼は少女を馬に同乗させて、彼女を家に送り届ける。そして、少女が汲んできた水を柄杓のようなもので飲み、残った水を日に焼けた石にかけ、また馬に乗って去って行く。このシーンだけで、青年が少女に恋していることが分かる。セリフがないからといって、無声映画のようにやや大げさな表情で見せる映画というわけでもない。それどころか、むしろ登場人物たちは無表情に近い。でも、伝わってくる。その感じがだんだん心地よくなってくる。
父親が出かけてしまうと少女は草原の家で一人で過ごす。質素な家には電気がないらしく、少女の唯一の娯楽である、ラジオで音楽を聴くにも父親のトラックから電源を取る感じ。東京隣県で生まれ育った身としては、このシンプル過ぎる暮らしを、今さらできるとは思えないけれど、この時間が大切な儀式のように描かれていて、なんだかちょっとうらやましく思ったりもする。
そんな少女の日常に変化が訪れる。相変わらず必要最低限の映像での説明しかないので、どうやらマイクロバスがエンストしてしまい、エンジンを冷やす水が必要になったらしく、近隣で唯一の家である少女の家に、一人の青年がやって来る。彼はドアをノックし、家人がいないかと家の中をのぞくが、少女は必死で隠れる。まぁ、昼間とはいえこんな草原の一軒家に一人でいるわけだから、このくらい警戒するのは当然だと思う。まして、相手は見知らぬ男性だし。青年は庭の井戸を発見し水を汲もうとするけど、井戸には南京錠がかかっている。外そうとしていると、背後にライフル銃を構えた少女が! 息を飲む青年。彼が息を飲んだのは、恐怖感だけではない。少女は南京錠を外し、青年に水を汲ませる。青年は少女の写真を撮って去って行く。彼が恋に落ちた瞬間が美しい。
この青年マクシムは度々少女の前に現れるようになる。夜に訪ねて来て少女の家の壁に、あの日撮った写真を映写機で映して見せたりする。少女が彼に惹かれていく感じも分かる。でも、それはあからさまなものではない。この凛とした美少女は、しっかりと自分の意思を持っていて、心を閉ざしているわけでは決してないけれど、そんなに簡単に恋愛に走ったりしない。初恋の初々しさも感じるけれど、この美少女の表情から感じていたのは、そういうこと。意思の強さ。でも、頑ななわけではない。すでに大人の女性のような・・・ そして少女期独特の色っぽさも感じる。自分が男性の興味を惹いてしまうことを、本能では知っているけれど、それに抵抗を感じているような・・・
そんな青年と少女の恋愛を興味津々で見守っていると、ある夜突然軍服のようなものを来た男たちが家にやって来る。彼らは父親トルガトのトラックなどを捜査している様子。そして、トラックの荷台から箱のようなものを取り出し、数値を測定して驚愕している。そして、乱暴に全裸にされて水のようなものを頭からかけられるトルガト。そして彼は車に乗せられて連れて行かれてしまう。これはいったい何? トルガトは犯罪に関わっていたの? あの箱は何? 麻薬か何か?とか思うけど、相変わらず説明は無い。きっと、このシーンだけで何が行われているのか、トルガトの身に何が起こっているのか分かる人もいると思うし、映画を見終わった後にあれはこういうことだったのかと理解できる人もいるかもしれないけれど、自身は監督インタビューを読むまで分からなかった。伝わらなければ意味がないような気がしなくもないけど、最後の衝撃が伝われば、この映画の言いたいことはほぼ伝わっているのだと思うので、全てを分かってもらわなくてもいいのかもしれない。って、自分が馬鹿なだけかもしれないけど(o´ェ`o)ゞ
後日、家に戻ってきたトルガトはあからさまに具合が悪そう。家から少し歩くと1本の枯れた木がある。その下の長椅子に横になるトルガト。少女は横に腰かけている。トルガトが少し動いたと思ったら、なんと息を引き取ってしまう。えぇ
っていうか"実験"ていったい何?! まさか人体実験?とか思うけれど、たぶんそうなのだと思う。少女は家に戻り、ライフルを空に向けて撃つ。すると、馬の青年がやって来る。その後のことは映されないけれど、彼に助けを求めたということなのでしょう。まぁ、彼女一人では父親を運ぶこともできないしね・・・
少女はトルガトを埋葬した後、トラックを運転しあの分かれ道へ、そこでトラックを降りた少女は自分の足で歩き始める。すると、突然有刺鉄線が現れる。絶望というよりも悟ったような表情をする少女。彼女はどこにも行けないということ? これはやっぱり、そういう実験だったのかな? うーん・・・ 家に戻った彼女を待ってたのは、馬の青年カイスンとその家族たち。正装している。こうなった以上、少女ジーマが生きる道は、カイスンと結婚するしかないということなのか? カイスンと彼女の関係が、幼馴染み的なものなのか、それとも親同士で何か取り決めがあったのか、相変わらず情報がないので分からないのだけど、カイスンとしてはジーマに恋しているわけで、彼女に助けを求められれば飛んで来るわけだけど、ジーマにしれみれば頼れる相手はカイスンしかいないけれど、彼を伴侶にとは思えない様子。彼女は三つ編みにしていた長い髪を切る。無言の抵抗?
カイスンと2人きりになると、彼を拒否するジーマ。そこに現れたのはマクシム。2人はモンゴル相撲のようなもので決着をつけることにしたらしい。取っ組み合う2人にライフルを構えるジーマ。そして号泣するカイスン。なるほど・・・ カイスンの献身を思えば切ないけれど、ジーマはマクシムに恋しているし、彼の存在がなくてもカイスンに恋していない以上、ジーマの性格ならば彼と結婚はしなかったかも。
しかし、ライフルを構えるってスゴイな(笑) この映画には何かスペシャルなことをしている人物は出てこないけれど、日常を真剣に生きている人物ばかり。だからこそラストの衝撃がスゴイのだと思う。
マクシムが深刻な表情で海岸みたいなところで佇んでいたのって、このシーンの後だったっけ? このシーンの意味がちょっと分かりにくかったけど、おそらくジーマと共に生きる決意をしているってことだったのかな? ちょっと暗い雰囲気のシーンで、恋する男子のウキウキ感が皆無だったのが心配になったので(笑)
ジーマとマクシムが同じベッドで横になっているシーンが入っているけれど、いわゆるベッドシーンはなし。この日2人が心も体も結ばれたのかは不明。個人的には結ばれたと思っているけれど、ジーマがもう少し大人になるまで待つという選択もあるわけで、その方が美しくて切ないかもしれない。そして、ジーマが清いままの方が残酷かも。愛する人と結ばれることは穢れではないと思うけれど、聖少女的な意味で。
以下、ネタバレありです!
翌日、トルガトが亡くなった木の下で、あやとりをするジーマとマクシム。ささやかな幸せ。突然、強烈な光が2人の世界を包む。そして、爆風が全てを吹き飛ばす。現れる巨大なキノコ雲・・・ そう"草原の実験"とは、核実験。これは久々に驚愕のラスト。まさか、こんな結末が待っているなんて・・・ 今まで見ていたものが全て"無"になってしまった。この時感じた気持ちを表す言葉が浮かばない。虚無感とも違うし・・・ でもきっと、この感覚が監督の狙い。
映画の後に放送されたTIFFでの監督ティーチインによると、カザフスタンで実際に行われていた原爆の核実験を題材にしたとのこと。何も知らされていなかったカザフスタンの人々が、被爆していた事実に驚愕したからだそう。そんな実験が行われていたなんて知らなかった・・・ それはカザフスタンが行ったの? カザフスタンて核保有国だっけ? 調べてみた! これのことかな?
セミパランチンスク核実験場|Wikipedia やっぱり旧ソ連か・・・ こんな言い方は何だけど、大義のためなら犠牲も厭わずみたいな感じはそんな気がする・・・ やり切れない![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/namida.gif)
草原の家に軍人たちがやって来て、謎の箱を調べていたシーン。実はここで種明かしをしたくて、詳細は避けていた。謎の箱は実は放射能レベルの高い器具で、要するにトルガトとジーマ父娘は既に被爆している。なのでトルガトは病院に連れて行かれたということらしい。このシーンについての質問が一番多いらしい。まぁそうだよね(笑) トルガトがこの器具を何故持っていたのかについての説明は、インタビュー映像にはなかったので、トルガトが図らずも被爆してしまったのか、何かの意図を持って被爆させられたのかは謎。個人的には、彼の被爆自体も"実験"だったのではないかと思っている。
この映画がいつの時代を描いているのか不明だけど、セスナ機もバスも出てくるのだから、そんなにビックリするほど昔ではなさそう。現在でもこういう暮らしをしている人々はいると思う。映画としては、あえて"いつ"で"どこ"なのかは明確にしていないのだと思う。マクシム以外の登場人物たちはアジア系の顔立ちだけど、セリフが全くないのもその辺りを曖昧にする意図があるのかも?
監督としては、恋愛をするなど他愛もない日常は永遠ではないということを描きたかったそうで、それは十分過ぎるほど伝わった。前半の草原の家でのジーマとトルガトの暮らしは、慎ましやかで、穏やかだった。中盤の馬の青年カイスンとジーマの感じや、マクシムとジーマの恋もおとぎ的だった。その不思議で、美しい幸せが、根こそぎ破壊される感じ。今まで、ディザスター系の映画や、戦争映画、ホラー映画など、いろいろな映画で、人々が虐殺されたり、建物や自然が破壊されたりするのを見てきたけれど、この映画ほど"虚無"のようなものを感じさせられたことはないかも。何もかも失われたという気がした。核兵器を使うってそういうことなのだと監督は考えているということなのでしょう。
キャストはセリフがないため、表情豊かな俳優を選んだと監督が語っていたけれど、皆良かったと思う。表情豊かな俳優とおっしゃっているわりに、ほとんど無表情とも言えるくらい、抑えた演出ではあるのだけど(笑) でも、おそらくそれは狙いで、きっと誰かの日常を覗き見ているような感覚で見せたいのだと思う。ドキュメンタリータッチということではなく。上手く言えないけど・・・ 俳優さんたちは、さすがに誰も知らなかった。マクシムのダニーラ・ラッソマーヒンはロシア系とかなのかな? 彼のみ白人の容姿。繊細そうな雰囲気で、イケメン過ぎないのが良かった。カイスンのナリマン・ベクブラート=アレシェフは、この役にピッタリという感じ! 主人公を一途に好きで、無骨な感じながらいつも助けてくれるけれど、結局失恋してしまう青年が似合い過ぎる←ホメてます! トルガトのカリーム・パカチャーコフが個性的で素晴らしい。だって、え?!このお父さんからこの美少女
って思わせないとね。まぁ、監督がそれを意図したのかは別として(笑) ジーマのエレーナ・アンは当時14歳で、プロの女優さんではなかったそうだけれど、その意志のハッキリとした瞳が素晴らしい! セリフがない分、いわゆるセリフ回しでの失敗は回避できるわけだけど、その分本人に魅力がないと場がもたない。彼女がただ父親のためのお弁当らしきものを用意しているシーンが延々と映されたりするわけだから。そういう意味では皆良かったと思うけれど、やっぱりエレーナ・アンの存在感がスゴイ!
見終わった直後は衝撃のラストで呆然としてしまうけれど、思い出されるのは本当に少女ジーマの日常など。撮影監督レヴァン・カパナーゼの画がどこを切り取っても美しい! 何もない草原に引かれた1本の道と、小さな分かれ道。そこに現れるジーマとトルガトの乗ったトラック。トラックが止まり、トルガトが運転席に移って去り、一人家へ歩き出すジーマと、どこからともなく現れる馬に乗ったカイスン。それを全て俯瞰で見せる感じが好き! その美しいけれど、どこか不思議な感じ。
重いテーマを淡々とした語り口で見せる映画は大好きなので、好きなタイプの映画ではあるのだけど、本当に強烈なメッセージを、こんなに美しく淡々と、そして不思議な感じで見せられたら、ラストの衝撃も含めて好きにならずにいられない! とはいえ、何度も言うけどセリフが一切ないし、その不思議な感じがちょっと苦手な人もいるかもしれないけれど・・・
今のところ公開は決まっていないのかな? DVDにもなっていないし、WOWOWもおそらくリピート放送はしないと思われるので、現在見れる手段があるのか不明。なので、オススメしたいけど出来ない
でも、公開したら是非見て欲しい映画。自分も映画館で見てみたい!
予告編と思われる動画を見つけたのでドゥゾ(o´・ェ・)っ
あー!そういえばマクシムに向かって、カイスンがバイクで突っ込んで行くシーンあった!
第27回東京国際映画祭|草原の実験