マジェで三木鉄道記念公園に行ってきました。この三木鉄道記念公園ですが、平成20年3月31日をもって廃止された三木鉄道の資料館になっています。
三木鉄道とは1916年(大正5年)の播州鉄道から始まり、1943年(昭和18年)に国鉄・三木線となり、その後、1985年(昭和60年)に再び民営化されましたが、2008年(平成20年)に利用者の減少から廃止されたものです。
私はR175をバイクやクルマで走っていると、三木鉄道が走っているのを見たことがありますが、一両編成の典型的なローカル線でしたね。
当時の三木駅を使った資料館です。ウィキによると15mほど南側に移築されたそうです。
館内の様子と展示されているパネルです。1916年(大正5年)開業ですからSLも走っていたんですね。
平成20年の廃止前の写真です。雪の写真は情緒がありますね。看板には「永年にわたるご愛顧ありがとうございました」と書かれています。
当時のプレートなども展示されています。三木鉄道は現在のJR加古川線・厄神駅~三木駅でしたが、昔は加古川駅から三木駅までの直行列車もあったようです。
屋外には、車止めやレールの一部が残っています。
暑くて館内で休んでいると、地元のお爺さんに話しかけられました。この三木駅ですが、戦時中は多くの出征兵士と日の丸を振って見送る家族であふれたそうです。また終戦間際になると、空襲を避けるために神戸・姫路方面の多くのSLが三木駅構内に疎開し、構内は何十台ものSLが停まっていたようです。知られざる戦時中の様子ですね。
公園内には「MIKI夢ステーション」という売店もあります。道の駅の売店のような感じです。
店内にはお弁当も売られていましたが、購入する時に暖かいご飯を入れていただけます。ちょっとした心遣いですね。
こんなのも売られていました。
当時の駅前を感じさせる商店街です。ローカル線の駅前は、どこも同じように何か寂れた雰囲気を感じます。
三木鉄道に限らず、廃線となったローカル線は「廃止前に乗っておけばよかった」と後悔することが多いです。でも、なかなか乗らないですね。いつもこのパターンの繰り返しです。
三木鉄道とは1916年(大正5年)の播州鉄道から始まり、1943年(昭和18年)に国鉄・三木線となり、その後、1985年(昭和60年)に再び民営化されましたが、2008年(平成20年)に利用者の減少から廃止されたものです。
私はR175をバイクやクルマで走っていると、三木鉄道が走っているのを見たことがありますが、一両編成の典型的なローカル線でしたね。
当時の三木駅を使った資料館です。ウィキによると15mほど南側に移築されたそうです。
館内の様子と展示されているパネルです。1916年(大正5年)開業ですからSLも走っていたんですね。
平成20年の廃止前の写真です。雪の写真は情緒がありますね。看板には「永年にわたるご愛顧ありがとうございました」と書かれています。
当時のプレートなども展示されています。三木鉄道は現在のJR加古川線・厄神駅~三木駅でしたが、昔は加古川駅から三木駅までの直行列車もあったようです。
屋外には、車止めやレールの一部が残っています。
暑くて館内で休んでいると、地元のお爺さんに話しかけられました。この三木駅ですが、戦時中は多くの出征兵士と日の丸を振って見送る家族であふれたそうです。また終戦間際になると、空襲を避けるために神戸・姫路方面の多くのSLが三木駅構内に疎開し、構内は何十台ものSLが停まっていたようです。知られざる戦時中の様子ですね。
公園内には「MIKI夢ステーション」という売店もあります。道の駅の売店のような感じです。
店内にはお弁当も売られていましたが、購入する時に暖かいご飯を入れていただけます。ちょっとした心遣いですね。
こんなのも売られていました。
当時の駅前を感じさせる商店街です。ローカル線の駅前は、どこも同じように何か寂れた雰囲気を感じます。
三木鉄道に限らず、廃線となったローカル線は「廃止前に乗っておけばよかった」と後悔することが多いです。でも、なかなか乗らないですね。いつもこのパターンの繰り返しです。