山陰道・竹矢ICでtakさんとたいようさんとお別れし、我々3人(まささん、グッチさん、私)は山陰道を西進し大社駅を目指します。私が先導しましたが、「出雲はスグだろう」「山陰道は無料だね」なんて思いながら走りますが、走れど走れどなかなか出雲ICには着きません。さらに有料区間もあり・・・最後は道に迷い、まささんの助けを得てやっとこさ大社駅に到着です。
大社駅はTVで紹介されたのを観て、その素晴らしさで来たものですが、歴史と威厳を感じる駅舎は他では見れないものです。
大社駅ですが、1990年(平成2年)に廃線となった大社線の終着駅です。このため、現在では使われていません。ちなみに国の重要文化財に指定され、近代化産業遺産にも認定されている建物です。当時はこの駅が出雲大社への最寄駅であり、全国からの参拝者はこの駅から出雲大社に向かったのです。
当初は、ここが切符売場だったと思います。重厚な木造は現在では考えられないものです。
モノクロで撮って、時の流れを強調してみます。
廃駅前はこちらが切符売場だったのでしょう。
運賃表です。東京や大阪、さらに九州の主要都市からの運賃が掲載されているのは、さすがに出雲大社の最寄駅です。右下に寝台料金が掲載されていますが、京都から寝台列車が運行されていました。
漆喰の壁に趣のある照明・・・天井を見上げると、その素晴らしさに驚嘆します。
紹介されている旅館は、現在でも営業されているのでしょうか。
コスモスが生けてあり・・・背景ボケで撮りました。
ホームの方に出てみましょう。早速、感動の木製ラッチです。^^
このズラリと並んだ改札口は、団体用でしょうか。
駅名標です。前述のとおり大社線の終駅になりますので、隣の駅は片方だけです。
所算精(精算所)と右始まりの文字が歴史を感じます。
隣のホームに渡ってみましょう。跨線橋はなく、一旦、線路敷に降りて隣のホームに向かいます。これって、昔の播但線の駅と同じです。(超懐かしい)
線路の途中でパチリと・・・もう列車は走っていませんので、線路敷にも草が生えています。D51蒸気機関車は後ほど紹介します。
隣のホームから駅舎側を・・・ホームの幅が広いですね。数多くの参拝者が乗降したのでしょう。
さて、D51蒸気機関車です。野ざらしなので痛みが進んでいます。
モノクロで撮ると、現役で今にも動きそうに見えませんか。
運転席にも入れました。ここも痛みが感じられ・・・蒸気機関車好きの私としては、痛みが分かりやすいカラーでは撮れませんでした。
速度計です。針は無くなっていましたが、120km/hの表示まであります。「粁毎時」(キロメートル/時)の表示が時代を感じます。
このD51蒸気機関車ですが、かっては東京駅のホームにも入っていたようです。
大社駅も十分に堪能し、次は出雲大社前のお土産屋さん通り(神門通り)を目指します。歩いて行くかバイクで行くかで悩んだのですが、結局、バイクで行くことにしました。ちなみに徒歩10分だそうです。(笑)
大社駅を出発して、スグに出雲大社の大鳥居が見えます。
しかし出雲大社に近づくと、この混雑ぶりです。
適当にバイクを停める場所も無く、結局、参道から少し離れた大きなお土産屋に到着です。
出雲大社には大きな日の丸が掲げられていました。
では、お土産を買ったし、いよいよ帰りましょうか・・・私が先導となりますが、ナビを見間違え、何と出雲大社本殿の正面に来てしまいました。大国主の尊が我々を導いたのでしょう。^^
しかし、この後は大間違い!何と出雲大社の裏山を上がってしまいました。さすがにまささんがクラクションを鳴らし、山陰道の近くまで先導していただきます。(感謝)
山陰道を走り始めると、寒さが応えてきます。米子の手前から震えだし、米子道に入ると正に極寒でした。やっとこさ蒜山SAに到着して、休憩&夕食です。
SA内の飲食コーナーや食堂は大混雑でした。
何とか席を確保して、冷えた体を温めるため、3人ともラーメンです。^^
極寒の米子道を走り終え、中国道に入ると寒さは和らぎました。安富PAで最後の休憩です。ここは姫路・・・やっと帰ってきた感じですね。
安富PAの名物である案山子さんも「よう走ったの。お疲れさん」と言っているようでした。
20時過ぎに安富PAを出発し、福崎町の灯りが目に入ると一安心。後は走り慣れた播但道~姫路・加古川BP~第二神明で、一気に帰ってきました。結局、自宅には21:20着。全走行距離は644kmでした。
この日参加された皆さん、お疲れさまでした。ありがとうございました。寒暖差は辛かったですが、久しぶりのロングツーリングを楽しめましたね。また、よろしくお願いします。
大社駅はTVで紹介されたのを観て、その素晴らしさで来たものですが、歴史と威厳を感じる駅舎は他では見れないものです。
大社駅ですが、1990年(平成2年)に廃線となった大社線の終着駅です。このため、現在では使われていません。ちなみに国の重要文化財に指定され、近代化産業遺産にも認定されている建物です。当時はこの駅が出雲大社への最寄駅であり、全国からの参拝者はこの駅から出雲大社に向かったのです。
当初は、ここが切符売場だったと思います。重厚な木造は現在では考えられないものです。
モノクロで撮って、時の流れを強調してみます。
廃駅前はこちらが切符売場だったのでしょう。
運賃表です。東京や大阪、さらに九州の主要都市からの運賃が掲載されているのは、さすがに出雲大社の最寄駅です。右下に寝台料金が掲載されていますが、京都から寝台列車が運行されていました。
漆喰の壁に趣のある照明・・・天井を見上げると、その素晴らしさに驚嘆します。
紹介されている旅館は、現在でも営業されているのでしょうか。
コスモスが生けてあり・・・背景ボケで撮りました。
ホームの方に出てみましょう。早速、感動の木製ラッチです。^^
このズラリと並んだ改札口は、団体用でしょうか。
駅名標です。前述のとおり大社線の終駅になりますので、隣の駅は片方だけです。
所算精(精算所)と右始まりの文字が歴史を感じます。
隣のホームに渡ってみましょう。跨線橋はなく、一旦、線路敷に降りて隣のホームに向かいます。これって、昔の播但線の駅と同じです。(超懐かしい)
線路の途中でパチリと・・・もう列車は走っていませんので、線路敷にも草が生えています。D51蒸気機関車は後ほど紹介します。
隣のホームから駅舎側を・・・ホームの幅が広いですね。数多くの参拝者が乗降したのでしょう。
さて、D51蒸気機関車です。野ざらしなので痛みが進んでいます。
モノクロで撮ると、現役で今にも動きそうに見えませんか。
運転席にも入れました。ここも痛みが感じられ・・・蒸気機関車好きの私としては、痛みが分かりやすいカラーでは撮れませんでした。
速度計です。針は無くなっていましたが、120km/hの表示まであります。「粁毎時」(キロメートル/時)の表示が時代を感じます。
このD51蒸気機関車ですが、かっては東京駅のホームにも入っていたようです。
大社駅も十分に堪能し、次は出雲大社前のお土産屋さん通り(神門通り)を目指します。歩いて行くかバイクで行くかで悩んだのですが、結局、バイクで行くことにしました。ちなみに徒歩10分だそうです。(笑)
大社駅を出発して、スグに出雲大社の大鳥居が見えます。
しかし出雲大社に近づくと、この混雑ぶりです。
適当にバイクを停める場所も無く、結局、参道から少し離れた大きなお土産屋に到着です。
出雲大社には大きな日の丸が掲げられていました。
では、お土産を買ったし、いよいよ帰りましょうか・・・私が先導となりますが、ナビを見間違え、何と出雲大社本殿の正面に来てしまいました。大国主の尊が我々を導いたのでしょう。^^
しかし、この後は大間違い!何と出雲大社の裏山を上がってしまいました。さすがにまささんがクラクションを鳴らし、山陰道の近くまで先導していただきます。(感謝)
山陰道を走り始めると、寒さが応えてきます。米子の手前から震えだし、米子道に入ると正に極寒でした。やっとこさ蒜山SAに到着して、休憩&夕食です。
SA内の飲食コーナーや食堂は大混雑でした。
何とか席を確保して、冷えた体を温めるため、3人ともラーメンです。^^
極寒の米子道を走り終え、中国道に入ると寒さは和らぎました。安富PAで最後の休憩です。ここは姫路・・・やっと帰ってきた感じですね。
安富PAの名物である案山子さんも「よう走ったの。お疲れさん」と言っているようでした。
20時過ぎに安富PAを出発し、福崎町の灯りが目に入ると一安心。後は走り慣れた播但道~姫路・加古川BP~第二神明で、一気に帰ってきました。結局、自宅には21:20着。全走行距離は644kmでした。
この日参加された皆さん、お疲れさまでした。ありがとうございました。寒暖差は辛かったですが、久しぶりのロングツーリングを楽しめましたね。また、よろしくお願いします。