岡野宏文さんと豊崎由美さんの共著『読まずに小説書けますか』の中で紹介されている、チャールズ・ラムの『夢の子供』を読みました。
私の子供、ジョンとアリスにせがまれて、この子たちのひいおばあさんにあたる、フィールドおばあさんの話をわたしは始めます。このおばあさんは、この子たちとそのパパである私が住んでいるこの家より百倍も大きいお屋敷に住んでいました。お屋敷はおばあさんが生きてらっしゃる間は威厳を守っていましたが、お亡くなりになってからはお屋敷は崩れ始め、ほとんど壊されてしまいました。
おばあさんのお葬式には群がるように貧しい人々と数人の身分のある方が何マイルものところから集まってきて、おばあさんがとてもよい人で信仰の深い人だったから、その思い出に敬意を表しました。
おばあさんはいつもひとさびれたお屋敷の離れの部屋にひとりでおやすみになり、ふたりの子供達の幽霊のことを信じられていて、その幽霊は真夜中におばあさんのおやすみになっている部屋の近くの階段室をのぼったりおりたりし、それでもおばあさんは「罪のない子供たちはなんにもわるさはしやしないよ」と言ってらっしゃいました。
私はこの大きなお屋敷を歩き回ってあきるということを知りませんでした。広いがらんとした部屋の数々、その中のすりきれたカーテン、ばたばたとゆれる壁掛け、彫刻のほどこされた板、これは金のめっきがもうはげていました。ネクタリンや桃が壁にさがっていて、もの憂げな顔をしたいちいの古木や樅の木の間を行き来し、ながめる以外はなんのやくにもたたない、赤い草の実や木の実をとったり、庭の低いところにある池では、ウグイがあちらこちらと泳ぎゆき、じっと水底の中ほどでカマスがぶすっとたたずむのをながめたりしました。
フィールドおばあさんは孫たちをひとしなみにいつくしみましたが、とりわけかわいがったのはこの子達のおじにあたるジョン・L―だったといってもいいでしょう。子供の頃から荒馬に乗り、勇敢な男として成人し、孫たち皆の、とりわけフィールドおばあさんの賞賛の的となりました。私は子供の頃、足が悪かったので、足が痛くて歩けない時など何マイルも私を背負って連れていってくれました。ジョンは私よりずっと年上だったのです。そしてあとになってジョンも足を悪くして切断したのですが、その時には、私は痛がっていらいらしているジョンにやさしく接することも、自分の時にはどんなに面倒を見てくれたかを憶いだすこともしなかったのです。そしてジョンが死んでから、どんなに私がジョンを愛していたかを知ったのでした。
この話をすると子供たちは泣きじゃくりはじめ、自分たちの身につけている小さな喪章がおじさんのためのものかどうかたずねました。そして見上げるとおじさんの話をつづけるのはもうよして死んだ美しいこの子達のお母さんアリスW―nの話を始めました。そのとき、不意にアリスのほうを向くと、その目の中に母親のアリスの魂がありありと再現してくるのでした。そして私は前に立っているのがどちらのアリスだか、わからなくなってしまいました。立ちあがって見つめると、二人の子供たちは私の視界からだんだんかすれていき、どんどんしりぞいていって、私はこう言っているような印象を受けました。「私達はアリスの子供じゃありません。あなたの子供でもありません。私達なんていないんです」そしてすぐさま目を覚ますと、私は自分が独身者用のひじかけ椅子に坐って、眠りこんでいたのに気がつきました。忠実なブリジェットは相変わらず傍らにおりました。=しかしジョン・L(つまりジェイムズ・エリア)はもはや永遠にこの世を去ってしまったのです。
これも『パラダイス・モーテル』のような、「結局何もなかった」という落ちでした。2段組で3ページ余りの短編で、19世紀初頭に書かれたものと思われます。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)
私の子供、ジョンとアリスにせがまれて、この子たちのひいおばあさんにあたる、フィールドおばあさんの話をわたしは始めます。このおばあさんは、この子たちとそのパパである私が住んでいるこの家より百倍も大きいお屋敷に住んでいました。お屋敷はおばあさんが生きてらっしゃる間は威厳を守っていましたが、お亡くなりになってからはお屋敷は崩れ始め、ほとんど壊されてしまいました。
おばあさんのお葬式には群がるように貧しい人々と数人の身分のある方が何マイルものところから集まってきて、おばあさんがとてもよい人で信仰の深い人だったから、その思い出に敬意を表しました。
おばあさんはいつもひとさびれたお屋敷の離れの部屋にひとりでおやすみになり、ふたりの子供達の幽霊のことを信じられていて、その幽霊は真夜中におばあさんのおやすみになっている部屋の近くの階段室をのぼったりおりたりし、それでもおばあさんは「罪のない子供たちはなんにもわるさはしやしないよ」と言ってらっしゃいました。
私はこの大きなお屋敷を歩き回ってあきるということを知りませんでした。広いがらんとした部屋の数々、その中のすりきれたカーテン、ばたばたとゆれる壁掛け、彫刻のほどこされた板、これは金のめっきがもうはげていました。ネクタリンや桃が壁にさがっていて、もの憂げな顔をしたいちいの古木や樅の木の間を行き来し、ながめる以外はなんのやくにもたたない、赤い草の実や木の実をとったり、庭の低いところにある池では、ウグイがあちらこちらと泳ぎゆき、じっと水底の中ほどでカマスがぶすっとたたずむのをながめたりしました。
フィールドおばあさんは孫たちをひとしなみにいつくしみましたが、とりわけかわいがったのはこの子達のおじにあたるジョン・L―だったといってもいいでしょう。子供の頃から荒馬に乗り、勇敢な男として成人し、孫たち皆の、とりわけフィールドおばあさんの賞賛の的となりました。私は子供の頃、足が悪かったので、足が痛くて歩けない時など何マイルも私を背負って連れていってくれました。ジョンは私よりずっと年上だったのです。そしてあとになってジョンも足を悪くして切断したのですが、その時には、私は痛がっていらいらしているジョンにやさしく接することも、自分の時にはどんなに面倒を見てくれたかを憶いだすこともしなかったのです。そしてジョンが死んでから、どんなに私がジョンを愛していたかを知ったのでした。
この話をすると子供たちは泣きじゃくりはじめ、自分たちの身につけている小さな喪章がおじさんのためのものかどうかたずねました。そして見上げるとおじさんの話をつづけるのはもうよして死んだ美しいこの子達のお母さんアリスW―nの話を始めました。そのとき、不意にアリスのほうを向くと、その目の中に母親のアリスの魂がありありと再現してくるのでした。そして私は前に立っているのがどちらのアリスだか、わからなくなってしまいました。立ちあがって見つめると、二人の子供たちは私の視界からだんだんかすれていき、どんどんしりぞいていって、私はこう言っているような印象を受けました。「私達はアリスの子供じゃありません。あなたの子供でもありません。私達なんていないんです」そしてすぐさま目を覚ますと、私は自分が独身者用のひじかけ椅子に坐って、眠りこんでいたのに気がつきました。忠実なブリジェットは相変わらず傍らにおりました。=しかしジョン・L(つまりジェイムズ・エリア)はもはや永遠にこの世を去ってしまったのです。
これも『パラダイス・モーテル』のような、「結局何もなかった」という落ちでした。2段組で3ページ余りの短編で、19世紀初頭に書かれたものと思われます。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)