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高橋洋『映画の魔』その2

2016-11-07 13:46:00 | ノンジャンル
 昨日からの続きです。
・「さて、もはやお気づきの通り、『新耳袋』は書物による“霊的モード”発生装置なのである。それも恐ろしく強力な。私が部屋から逃げ出したその理由のいくつかは『新耳袋』のせいなのだ」
・「ヒーローとはただそこにいるだけで物語を呼び込み、もう一つの世界を作ってしまう存在なのである。そのような存在を産み出した古賀新一を、そして吉野公佳、佐伯日菜子の的確なキャスティングによって体現してみせた実写シリーズ(『スケバン刑事』以来の快挙!)を私は嫉妬してやまない」
・「私が馬徐維邦の名を知ったのは80年代も終わり頃。80年代といえば今となっては嘘のようにも思えるが、香港映画が空前の狂い咲き状態に突入した時代だった」
・「たとえば九龍城に立て籠った犯人と警察の攻防戦を描いた『省港旗兵』(実際に九龍城でロケした)など一連のアクション映画は、“香港ノワール”などと呼ばれもしたが、まるで79年代東映実録路線のギラギラしたエネルギーがにわかに転移したごとくで、私たちは無慈悲な権力の交替をなすすべなく見る思いで、とにかく香港に行かねばとヤミクモに追いかけ始めたのだ」
・それがはっきりと怪奇と結びついたのは、香港映画祭における中国怪奇映画の一大レトロスペクティブなのであった。私はこれに行けなかったが、暉峻創三と篠崎誠は行っていて、とにかくトンでもないものを見てしまった、馬徐維邦というのだと得意気に騒ぐ。で、暉峻が持参したパンフレットのスチール群に私の眼は釘付けになった。それが『夜半歌声』でありその『続集』(1941)なのであったが、この画面が放つただならぬ妖気は何であろうか。鏡に映ったおのれの姿にこの世のすべてを呪う怪人、異様なまでになまめかしい裸婦の彫像の傍らでヒヒヒと笑う、明らかにまともでなない老人、不吉な運命をたどったとしか思えぬ人物の戦慄的な肖像写真、そして墓標に刻まれた、あるいは字幕として眼に飛び込む漢字、漢字、漢字の忌まわしさ」
・「(前略)私は佐藤忠男氏の文章や、戦中に書かれた筈見恒夫氏の貴重な馬徐維邦論を耽読し、『刁劉氏』(1940)『秋海棠』(1943)などさらなる傑作があることを告げられて、いよいよ少年のように胸をときめかすばかりなのであった」
・「『夜半歌声』ではどうだろうか。その最も恐怖的瞬間が訪れるのは、硫酸を浴びせられた主人公が顔の包帯をほどき、その二目とみられる酷い相貌を見る場面である」
・「鏡の扱い方には、馬徐維邦の魔を写し取る『技』が端的に示されている。まず外は豪雨と雷であり、馬徐維邦の映画では決定的なことは、『夜半歌声』でいえばヒロインの発狂までが、一気にこの天候のもとで起こる(中略)。当然ながら室内は薄暗く、そして重要なことに鏡の前に蝋燭が置かれている。主人公は鏡の中に浮かぶ顔に戦き、思わず蝋燭を倒す。光線が変わる。だが、暗がりの中に浮かび出るのは、よりおぞましさを増した顔でしかない。この徹底的な追い込みかた、そのような動きをつけざるを得なかった者の心映えとは何なのか。本当に打ちのめされた人間にのみ焼き付けられた認識が、このような蹂躙の仕掛けを思いつき、魔を写し取るのではないか」
・「日本に留学した革新的な若者たちが孫文主宰の革命グループに次々と入会してゆく。その入会式のありさまは活気に満ち、どこか大学の歓迎コンパすら思わせる明るさなのだが、数年後の彼らを待っているのは、ある者は斬首、ある者はスパイとなって同志を裏切る無惨な運命である。人間であることを止め、“政治的人間”になるkと、つまりは殺すか殺されるかという存在へと踏み込むことを迫られる過酷な状況が眼前にあるということ。中国ではかかる暗澹たる状況が、革命以後も軍閥、国共の内戦、さらには日帝の侵略と絶望的なドロ沼化の中で続いたのである」
・「『事故の与り知らぬ毒殺の罪によって曳かれ、審問、拷問を受ける痛々しい人妻は、やがて裸馬に縛りつけられ、斬首の刑を受けるべく街上を引回される。共に罪を負い、豚のようにくくられて荷馬車に積み込まれる婢女たちの無惨な姿、街路に群がり、この不義の女どもに投石し、罵倒する民衆の群。わたしはこれほど凄惨な映画を映画上で見たことはない』」
・「馬徐維邦は繰り返し顔の損壊を描いた。『夜半歌声』では硫酸、さらに『続集』ではマッド・サイエンティストの手術によって黄金バットのような顔にされてしまい(理由不明)、当然ながら鏡を見て怒り狂う。『麻瘋女』ではハンセン病の進行が鏡の前で冷酷に告げられ、『秋海棠』では顔に×印の無惨な傷を刻まれる」(また明日へ続きます……)