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奥田英朗『我が家のヒミツ』その9

2016-11-28 05:34:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 週明け、亨は思い切って杉田さんの職場に電話をしてみた。「若林さん、会社では普通に働いてるんだよ。どちらかというと、落ち込んでる姿を見せまいとしてる感じかな。でも、まあ、ふと見れば窓の外をぼうっと眺めてるようなときもあるし……。そうかあ、家では泣いてるんだ」
 福井に残業を言いつかり、仕事をしていると、同期の女子社員が通りかかった。「同期のみんなが裏の居酒屋に集まってるんだけど、これから一緒に行かない?」と言う。同期の仲間たちは、〈一同〉として香典を包んでくれていた。お礼を言わないと、という思いはあるのだが。福井は1時間だけなら行っていいと言ってくれた。酒の席の同僚たちの無邪気さにいろいろ考えさせられた。この中に、亨が抱える悲しみを想像できる人間はいない。「おい、若林、クリスマスパーティーは女の子を集めて派手にやるからな。出席しろよ」「わかった」笑ってうなずき、一人で店を出る。彼らの明るさが励みになるのも事実だった。
 父は傍目(はため)にも痩せ細ってきたように見えるらしく、隣のおばさんが「これ食べて」と、肉じゃがやらニシンの甘露煮やらを持ってきた。父は亨に言った。「杉田君の奥さんが毎日おれの分の弁当を作って、杉田君に持たせてるんだよ。若林さん、栄養とらなきゃだめですよって、まるで家でろくなもの食ってないような言い方するから、おまえが何か吹き込んだんじゃないかと思ってな」亨は石田部長に相談してみることにした。「君のおとうさん、一度病院で点滴を打ってもらったらどうだ。それに睡眠はどうなんだ。今日から気をつけて見るようにしなさい。もし眠れない夜が続いているようなら、病院に行って薬を処方してもらった方がいい。実はぼくも妻を亡くしてしばらくは、夜は眠れないわ、メシは喉を通らないわで相当体が参った。しかし会社にそんなプライベートなことを持ち込むわけにはいかないから、無理をして頑張っていたら、ある朝突然起きられなくなった。何かと言うと、鬱病の症状だ。この歳になって伴侶を失うというのは、自分の人生の半分を失うのと一緒なんだよ」
 その夜遅く、帰宅する電車の車内で近所の小林君を見かけた。高校生になって以降はほとんど口を利いていなかったが、通夜に参列してくれたことから、なんとなく彼の存在が頭の中にあり、これも縁だろうと思い、声をかけることにした。「通夜に来てくれてありがとう」「近所だもん。当たり前だよ」「おれ、あのあと今更のように思ったんだけどさ、そういえば小林君もおとうさんを亡くしてるんだなって……。こっちは中学生だったから、よその家の不幸がまったく想像出来なくて、近所で幼馴染みなのに葬儀も行かなかったし、励ましの言葉もかけなかったし--------」「みんなそんなものだって。おれだって親父が死んでなければ、亨君のおばさんの死も身近には感じなかったと思う。おれが親父を亡くして最初に学んだのは、世の中には温度差があるってことかな。遺族はいつまで経っても悲しいのに、周りは3日もすると普通に生活をしていて、普通に笑ってる。だから遺族は次にその温度差にも苦しめられる」「いや、その通りだ」亨は心の中で手を打った。同じ悲しみを持つ人がいてくれる。それだけで人は癒される。
 翌朝、家族3人で朝食をとっているとき、石田部長のアドバイスに従い、父に病院でのカウンセリングを勧めた。「実はうちの部長、石田さんっていうんだけど、おとうさんと同い年で、去年奥さんを癌で亡くしてるんだよね。それで自分が苦しんだ経験があって、君のおとうさんもきっと苦しんでるはずだから、早いうちにカウンセリングを受けた方がいいって勧められて、それで言ってるんだけどね。おとうさんも自分を責めてるの?」「うん? それは……」父はその質問に答えず、席を立った。
 会社でまず石田部長のところに行き、父からのお礼の言葉を伝えた。「くれぐれも遠慮しないように。おとうさん、会社の中で相談相手を見つけるより、外の人間のほうがいいと思うんだ。社内だとどうしても弱音は吐きたくないだろうし、その点ぼくは利害がないから」石田部長は、父からの反応があったことがうれしいのか、かなり機嫌をよくしていた。そして、その日の昼休み、石田部長に呼ばれてデスクまで行くと、「これを君のおとうさんに渡してくれ」と封筒を渡された。「君のおとうさんに、手紙を書いた。出過ぎた真似かもしれないが、ぼくは経験者だ。必ず役に立てると思う」(また明日へ続きます……)