今日はaikoさんの誕生日。今年で41歳。早くいい人を見つけて、結婚してほしいと思ってるのは、私だけでしょうか?
さて、また昨日の続きです。
「正雄の秋」
どうやら次期局長の内示が河島にあったらしい。その情報を耳にした夜、植村正雄は帝国ホテルのバーで一人で酒を飲んだ。正雄と河島は会社の同期入社だった。大学を出て大手機械メーカーに就職し、今年の春でちょうど30年となった。その間、ともに営業畑を歩き、ずっと競わされてきた。課長になったのも、部長になったのも同時期である。だから言ってしまえば、今日は二人の昇進レースに決着がついた日ということになる。正雄は河村と反りが合わなかった。何かと言うと派閥を作り、部下に対しては兄貴風を吹かせ、上役には自己アピールに余念がない。そんな河島は正雄と正反対の性格と言えた。いざ敗けたとなると、いろいろな思いが頭をよぎった。結局、役員たちは河島を選んだのである。これが一番のショックだ。正雄は実績では河島を上回っていると思っていた。とりわけ東南アジア市場を開拓したのは正雄の功績である。それが評価されなかったのだ。そして役員への道も閉ざされた。ホテルのエントランスでは、ドアマンが正雄を見つけ、「タクシーですか」と笑顔で近づいてきた。人のやさしさが身に沁みた。
翌朝は6時に起床した。妻の美穂は夫の様子が少しちがうことに気づいたのか、一瞬何か聞きたそうな顔をしたが、黙って台所へと行った。社会人2年生の娘は、仕事と自分に夢中だ。大学4年生の息子はまだ2階で寝ていた。銀行に就職が内定し、今は遊び納めといったところか。先送りすると余計に告げにくくなると思い、軽い調子で言うことにした。「営業の新しい局長な、河島に決まったらしいわ」「いいんじゃないの。これまで頑張って来たんだし。あまり忙しくない部署がいいわね。あなた、少し休んだ方がいい」家を出ると空気が冷たかった。いつの間にか秋も本番だ。季節の変化は急にやって来る。
正雄は会社でポーカーフェイスを通すことにした。10歳下の加藤は正雄が一番信頼する部下だった。局長には人事権がある。河島が人事権を握るとなると……、加藤が正雄の忠実な右腕だということは、河島も充分知っている。営業から正雄と一緒に追い払うということも大いにあり得る。正雄は上司の原田に昼食を誘われた。
「役員会も紛糾したそうだ。しかし最後は社長が決めた。そうなると、多数決というわけにもいかなくなる」そうか、社長の意向か。それなら誰も逆らいようがない。河島は社長の取り巻きの一人だった。「早速これからのことだが、河島の局長就任で、おまえは営業を離れることになる。おれが用意できるポストはふたつだ。ひとつは総務局次長。もうひとつはゼネラル設備の専務。子会社への天下りってことになるが。2週間、時間をやるから、その間にゆっくり考えてくれ」「加藤まで異動ってことはないですよね」「そりゃないだろう。あいつは営業の重要な戦力だ」。
夜は加藤と酒を飲んだ。「ぼくは河島さんの下で働くの、あんまり気乗りしませんね」酔いは回ったが、乱れることはなかった。正雄が愚痴を言わなくて済んだのは、代わりに加藤が怒ってくれたからだ。この男と別れるのかと思ったら、ますます心の中に秋風が吹いた。
美穂は「そうだ、市の吹奏楽団に入れば。前からやりたがってたじゃない」と言う。「おれのクラリネットは中学生レベル」「練習すればいいじゃない」。美穂は正雄を銀座に誘ったが、正雄が「疲れている」と言うと、「一人になりたい?」と言って一人で出かけた。局長人事の内示から2日経って、少しは冷静になるかと思えば、逆でますます苦しくなった。53歳という半端な年齢も、苦しみに拍車をかけた。あと5歳若ければ、迷わず退社し、新天地を求めただろう。
銀座はパスしたが、天気がいいので駅前商店街には出かけた。「お一人で散歩ですか」。通勤電車でよく一緒になり、何度か会話を交わしたことがあった吉田が声をかけてくれた。「夫婦で家庭菜園をやってるんですよ。植村さんも野菜作り、どうですか?」。日常の小さな幸せで吉田は満足している。自分にはこれまで無用だった価値観だ。自宅に戻った正雄は押し入れから久しぶりにクラリネットを取り出した。吹くと力のない音が出た。
週が明けても、会社で河島にお祝いの言葉をかける機会はなかった。原田が「おい植村。おまえ、今度の人事の発表があるまで休め」藪から棒に言った。「どういうことですか?」「おまえ、消化していない有給休暇が何日もあっただろう。総務からの提案で、営業局の有給消化率を少しでも上げるために、ここで植村部長に休んでもらおうって、そういう話になったんだ。だから1週間ほどまとめて休め」正雄は困惑した。仕事もある中、1週間は無茶である。(また明日へ続きます……)
さて、また昨日の続きです。
「正雄の秋」
どうやら次期局長の内示が河島にあったらしい。その情報を耳にした夜、植村正雄は帝国ホテルのバーで一人で酒を飲んだ。正雄と河島は会社の同期入社だった。大学を出て大手機械メーカーに就職し、今年の春でちょうど30年となった。その間、ともに営業畑を歩き、ずっと競わされてきた。課長になったのも、部長になったのも同時期である。だから言ってしまえば、今日は二人の昇進レースに決着がついた日ということになる。正雄は河村と反りが合わなかった。何かと言うと派閥を作り、部下に対しては兄貴風を吹かせ、上役には自己アピールに余念がない。そんな河島は正雄と正反対の性格と言えた。いざ敗けたとなると、いろいろな思いが頭をよぎった。結局、役員たちは河島を選んだのである。これが一番のショックだ。正雄は実績では河島を上回っていると思っていた。とりわけ東南アジア市場を開拓したのは正雄の功績である。それが評価されなかったのだ。そして役員への道も閉ざされた。ホテルのエントランスでは、ドアマンが正雄を見つけ、「タクシーですか」と笑顔で近づいてきた。人のやさしさが身に沁みた。
翌朝は6時に起床した。妻の美穂は夫の様子が少しちがうことに気づいたのか、一瞬何か聞きたそうな顔をしたが、黙って台所へと行った。社会人2年生の娘は、仕事と自分に夢中だ。大学4年生の息子はまだ2階で寝ていた。銀行に就職が内定し、今は遊び納めといったところか。先送りすると余計に告げにくくなると思い、軽い調子で言うことにした。「営業の新しい局長な、河島に決まったらしいわ」「いいんじゃないの。これまで頑張って来たんだし。あまり忙しくない部署がいいわね。あなた、少し休んだ方がいい」家を出ると空気が冷たかった。いつの間にか秋も本番だ。季節の変化は急にやって来る。
正雄は会社でポーカーフェイスを通すことにした。10歳下の加藤は正雄が一番信頼する部下だった。局長には人事権がある。河島が人事権を握るとなると……、加藤が正雄の忠実な右腕だということは、河島も充分知っている。営業から正雄と一緒に追い払うということも大いにあり得る。正雄は上司の原田に昼食を誘われた。
「役員会も紛糾したそうだ。しかし最後は社長が決めた。そうなると、多数決というわけにもいかなくなる」そうか、社長の意向か。それなら誰も逆らいようがない。河島は社長の取り巻きの一人だった。「早速これからのことだが、河島の局長就任で、おまえは営業を離れることになる。おれが用意できるポストはふたつだ。ひとつは総務局次長。もうひとつはゼネラル設備の専務。子会社への天下りってことになるが。2週間、時間をやるから、その間にゆっくり考えてくれ」「加藤まで異動ってことはないですよね」「そりゃないだろう。あいつは営業の重要な戦力だ」。
夜は加藤と酒を飲んだ。「ぼくは河島さんの下で働くの、あんまり気乗りしませんね」酔いは回ったが、乱れることはなかった。正雄が愚痴を言わなくて済んだのは、代わりに加藤が怒ってくれたからだ。この男と別れるのかと思ったら、ますます心の中に秋風が吹いた。
美穂は「そうだ、市の吹奏楽団に入れば。前からやりたがってたじゃない」と言う。「おれのクラリネットは中学生レベル」「練習すればいいじゃない」。美穂は正雄を銀座に誘ったが、正雄が「疲れている」と言うと、「一人になりたい?」と言って一人で出かけた。局長人事の内示から2日経って、少しは冷静になるかと思えば、逆でますます苦しくなった。53歳という半端な年齢も、苦しみに拍車をかけた。あと5歳若ければ、迷わず退社し、新天地を求めただろう。
銀座はパスしたが、天気がいいので駅前商店街には出かけた。「お一人で散歩ですか」。通勤電車でよく一緒になり、何度か会話を交わしたことがあった吉田が声をかけてくれた。「夫婦で家庭菜園をやってるんですよ。植村さんも野菜作り、どうですか?」。日常の小さな幸せで吉田は満足している。自分にはこれまで無用だった価値観だ。自宅に戻った正雄は押し入れから久しぶりにクラリネットを取り出した。吹くと力のない音が出た。
週が明けても、会社で河島にお祝いの言葉をかける機会はなかった。原田が「おい植村。おまえ、今度の人事の発表があるまで休め」藪から棒に言った。「どういうことですか?」「おまえ、消化していない有給休暇が何日もあっただろう。総務からの提案で、営業局の有給消化率を少しでも上げるために、ここで植村部長に休んでもらおうって、そういう話になったんだ。だから1週間ほどまとめて休め」正雄は困惑した。仕事もある中、1週間は無茶である。(また明日へ続きます……)