また昨日の続きです。
・「(前略)恐怖症に陥った人って、このコップがコップじゃなくなるんですよね。で、なくなった瞬間に、世界を見るとボロボロといくつも穴が開いて、その穴から見えちゃう」
・「(前略)『悪魔のいけにえ』で訪れる人を片っ端から殺すレザーフェイスが、どうも窓辺で悩んでいる。何で今日に限ってこんなに人が来るんだって感じで。あれが怖いと」
・「(前略)僕の子供自体はまさに怪獣特撮のブームで、その中で非常に影響を受けた番組に『悪魔くん』というのがありました。ペロリゴンという妖怪が出て来るんですが、(中略)実に怖かった。何故かというと、鳴き声がね、(中略)人間なんですよ。人間の悲鳴に聞こえる」
・「(前略)しかし『悪魔のいけにえ』世代の我々としては、やっぱり怪物にこだわりたい。どうすれば、出てきただけで凄いというのができるか……それはおおむね失敗する。笑いをとってしまう。笑いをとっちゃってもいいくらいの凄さに達していればいいんですが、そこにまで達していないと、単なる失敗ですから」
・「(ヘドラは)それ以上に恐ろしいのは幽霊のように恨みがましい、得体のしれない姿で立っている」
・「どうやら人間は“物語”の出現を待ち望んむ動物ではないか」
・「現代映画のダイナミズムを生きる人々にとって、ことにそのお笑いの側面において、ユダヤ・ギャグは最重要の課題であると私は直観する」
・「マブゼ映画の今後を考える上で、グラン・ギニョルは重要な鉱脈となるかも知れない」
・「『発狂する唇』という映画を構想していた時、グラン・ギニョール的なテイストにピタリとはまる題材はないものかといくつか考えたアイデアの一つが、マーサとレイの殺人カップルの物語を日本に翻案するというものだった。結局アイデアだけに留まったが、まさかこの実話が本国で(『ハネムーン・キラーズ』として)とっくに映画化され、しかもカルトになっているとはまるで知らなかった」
・「(前略)このレナード・カッスルという、まったくの素人であったはずの人は、大げさにいえば、映画の理想型ともいうべきスタンスをいきなり獲得し、実践できてしまったのだ」
・「サスペンスの特色はすべてのカードが開かれている、ということだと思うんです。(中略)スリラーというのは、新しい要素が次々と惹起されることによって成り立っている」
・「やや遅れて公開された『コピーキャット』はなかなかの拾い物であった」
・「まず最初に登場してシガニー・ウィーバーを襲う殺人鬼(ハリー・コニック・Jr)の顔がいい。いわゆる“明るいバカ”系のいそうな顔で、故に気味が悪い」
・「ロバート・ハーマンはそれなりに記憶に残る『ヒッチャー』を撮った人だというのに、何故か脚本のエリック・レッドばかりが注目され、その後どうしていたのかまるで知らなかった」
・「しまったやられたと悔しくなった。最近は『モスマンの黙示』をネタにした『プロフェシー』も実に悔しくて(『血を吸う宇宙』の方が先なんだが)、どうもハリウッドには似たようなことを考えている連中がいるのである」
・「恐怖の実体を示さず、あくまで予感や気配のみで押したこの低予算路線でも最も有名なのは『キャット・ピープル』だが、『インプラント』にも名高いプールの場面がチャンと出てきて、この辺アメリカ人は実にストレートだ」
・「チェン・カイコーのロング・ショットは分かりやすく、キン・フーのそれは難解であることに気づくべきだ」
・「世界の映画において、誰が見ているわけでもないショットが一つも出てこないショットなど、よく引き合いに出される『湖中の女』しか思いつかず、およそ数が知れているだろうが、キン・フー映画とは、全編を誰も見ていないショットで構築せんと企む映画なのだ」
・「マスコミのセンセーショナリズムはまず、殺人とビデオを関連させたわけだが、これはセンセーショナリズムの王道を行く着眼であった」
・「群衆に包囲された共産党本部の屋上から、チャウシェスクはヘリコプターで脱出するわけだが、このもはや安全な場所は空しか残されていないという状況はまるで……ロメロだ」
・「『スパイとは何か』について考えることは、結局、誰がスパイであるかを問うことにしか至らないのだ」
・「『ゴジラVSビオランテ』(1990)の川北特技監督は、第一作を評して『黒い恐怖の塊が来る』と言ったそうだが、この簡潔な表現は彼の思考の長さを物語っている」
・「『胎児が密漁する時』『略称・連続射殺魔』『赤軍---PFLF・世界戦争宣言』そして『天使の恍惚』。足立正生が関わったこれらの映画は、そこに幾度も立ち返らねばならないものとして私をとらえる」(また明日へ続きます……)
・「(前略)恐怖症に陥った人って、このコップがコップじゃなくなるんですよね。で、なくなった瞬間に、世界を見るとボロボロといくつも穴が開いて、その穴から見えちゃう」
・「(前略)『悪魔のいけにえ』で訪れる人を片っ端から殺すレザーフェイスが、どうも窓辺で悩んでいる。何で今日に限ってこんなに人が来るんだって感じで。あれが怖いと」
・「(前略)僕の子供自体はまさに怪獣特撮のブームで、その中で非常に影響を受けた番組に『悪魔くん』というのがありました。ペロリゴンという妖怪が出て来るんですが、(中略)実に怖かった。何故かというと、鳴き声がね、(中略)人間なんですよ。人間の悲鳴に聞こえる」
・「(前略)しかし『悪魔のいけにえ』世代の我々としては、やっぱり怪物にこだわりたい。どうすれば、出てきただけで凄いというのができるか……それはおおむね失敗する。笑いをとってしまう。笑いをとっちゃってもいいくらいの凄さに達していればいいんですが、そこにまで達していないと、単なる失敗ですから」
・「(ヘドラは)それ以上に恐ろしいのは幽霊のように恨みがましい、得体のしれない姿で立っている」
・「どうやら人間は“物語”の出現を待ち望んむ動物ではないか」
・「現代映画のダイナミズムを生きる人々にとって、ことにそのお笑いの側面において、ユダヤ・ギャグは最重要の課題であると私は直観する」
・「マブゼ映画の今後を考える上で、グラン・ギニョルは重要な鉱脈となるかも知れない」
・「『発狂する唇』という映画を構想していた時、グラン・ギニョール的なテイストにピタリとはまる題材はないものかといくつか考えたアイデアの一つが、マーサとレイの殺人カップルの物語を日本に翻案するというものだった。結局アイデアだけに留まったが、まさかこの実話が本国で(『ハネムーン・キラーズ』として)とっくに映画化され、しかもカルトになっているとはまるで知らなかった」
・「(前略)このレナード・カッスルという、まったくの素人であったはずの人は、大げさにいえば、映画の理想型ともいうべきスタンスをいきなり獲得し、実践できてしまったのだ」
・「サスペンスの特色はすべてのカードが開かれている、ということだと思うんです。(中略)スリラーというのは、新しい要素が次々と惹起されることによって成り立っている」
・「やや遅れて公開された『コピーキャット』はなかなかの拾い物であった」
・「まず最初に登場してシガニー・ウィーバーを襲う殺人鬼(ハリー・コニック・Jr)の顔がいい。いわゆる“明るいバカ”系のいそうな顔で、故に気味が悪い」
・「ロバート・ハーマンはそれなりに記憶に残る『ヒッチャー』を撮った人だというのに、何故か脚本のエリック・レッドばかりが注目され、その後どうしていたのかまるで知らなかった」
・「しまったやられたと悔しくなった。最近は『モスマンの黙示』をネタにした『プロフェシー』も実に悔しくて(『血を吸う宇宙』の方が先なんだが)、どうもハリウッドには似たようなことを考えている連中がいるのである」
・「恐怖の実体を示さず、あくまで予感や気配のみで押したこの低予算路線でも最も有名なのは『キャット・ピープル』だが、『インプラント』にも名高いプールの場面がチャンと出てきて、この辺アメリカ人は実にストレートだ」
・「チェン・カイコーのロング・ショットは分かりやすく、キン・フーのそれは難解であることに気づくべきだ」
・「世界の映画において、誰が見ているわけでもないショットが一つも出てこないショットなど、よく引き合いに出される『湖中の女』しか思いつかず、およそ数が知れているだろうが、キン・フー映画とは、全編を誰も見ていないショットで構築せんと企む映画なのだ」
・「マスコミのセンセーショナリズムはまず、殺人とビデオを関連させたわけだが、これはセンセーショナリズムの王道を行く着眼であった」
・「群衆に包囲された共産党本部の屋上から、チャウシェスクはヘリコプターで脱出するわけだが、このもはや安全な場所は空しか残されていないという状況はまるで……ロメロだ」
・「『スパイとは何か』について考えることは、結局、誰がスパイであるかを問うことにしか至らないのだ」
・「『ゴジラVSビオランテ』(1990)の川北特技監督は、第一作を評して『黒い恐怖の塊が来る』と言ったそうだが、この簡潔な表現は彼の思考の長さを物語っている」
・「『胎児が密漁する時』『略称・連続射殺魔』『赤軍---PFLF・世界戦争宣言』そして『天使の恍惚』。足立正生が関わったこれらの映画は、そこに幾度も立ち返らねばならないものとして私をとらえる」(また明日へ続きます……)