gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

奥田英朗『我が家のヒミツ』その4

2016-11-23 05:48:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 美穂は休暇を利用して、三泊四日で四国に行きたいと言い、てきぱきと旅行の算段を立て、翌々日には出発することになった。「クラリネット、どうする? 市の吹奏楽団のホームページを見たら、毎月第一土曜日がオーディションだって」「オーディションなんてあるんだ。じゃあだめだ」「オーディションって言っても、落とされるわけじゃなくて、レベルを判定して、それに合ったレッスンコースに振り分けられるみたい」「あ、そう」正雄は生返事をした。
 高松で市内観光をした。「あなた、写真撮ってあげる」「おれはいいよ」そこへ初老の夫婦がやって来た。「すいません、写真を撮っていただけませんか」と頼まれる。正雄が快諾し、二人並んだ姿を撮影した。「じゃあ、すいません。わたしたちも」美穂が老夫婦に頼む。正雄は拒否したかったが、他人の手前いやとは言えず、二人並んで立ち、さらには仏頂面も出来ないため無理に微笑み、写真に収まった。「夫婦の写真なんて、きっと20年ぶりくらい」美穂がおかしそうにデジタルカメラの画面をのぞいている。「ほら」と言って差し出されたが、正雄は一瞥しただけで顔をそむけた。その不機嫌そうな顔を見て、また美穂が笑っている。
 ホテルに帰って会社に電話を入れると、河島の父が倒れて、河島は今日から実家に帰っていると言う。「詳しくは知りませんが、クモ膜下出血で昨日、病院に担ぎ込まれたらしいです。お歳がお歳なので、このまま葬式なんじゃないかって、周りは言ってますが」河島の実家は愛知県だった。田んぼばかりの田舎だよと言っているのを聞いたことがある。葬儀は参列しないとまずいだろうか。自分の父親のときは営業局から多くの人間が駆けつけ、その中に河島もいた。美穂とは仕事の話になった。「もう充分働いたと思う。残りの会社員人生、楽しんだってバチは当たらないって」「でも定年まで7年だぞ」「あっと言う間。仕事だけが人生じゃないって」酒が入って、少し気持ちがほぐれた。考えてみれば妻と差し向かいで飲んだのは何十年ぶりか。久しぶりに妻に会社の愚痴をこぼした。「でも、いいところがないと局長までは上れないでしょう。家族だっているわけだし、河島さんを信じて、頼りにしている人もいるってこと」「何だよ、河島を庇(かば)って」「庇ってるんじゃなくて、誰にでも人生があるし、バックグラウンドがあるし、血のつながりがあるってこと」「洒落(しゃれ)たことを」「もう50を過ぎたんだから、いろんなことを許そうよ」言い合いのような形になったが、爽快な気持ちもどこかにあった。そのときメールの着信音が鳴った。営業局全員への一斉メールで、河島の父が亡くなったという知らせだった。社にいた加藤に電話すると「明後日の午後、営業と総務から20人くらい行くみたいです。場所は愛知県の江南市。植村さんは旅先だし、欠席してもいいんじゃないですか」「いや、おれも行くわ」正雄は咄嗟(とっさ)にそう答えた。嫌いな男でも不義理はしたくないし、欠席することで周りに詮索されるのもいやだった。電話を切り、席に戻ると、美穂が自分も行くと言い出した。「一人で残ってもつまんないし、何年振りかで原田さんたちにも会いたいし、いいでしょ。邪魔しない。うしろで立ってるだけ」正雄は承諾した。
 河島の実家に向かう鉄道は、のんびりとした景色の中を進んでいた。式場は悲しみに包まれているといった感じではなかった。河島の父親は天寿を全うしたと、親戚も思っているのだろう。「河島君はどんな子供だったんですか?」会話の流れで、正雄はついそんなことを聞いた。「そりゃええ子やったわ。親戚の中でもいちばん勉強が出来たし、運動も得意やったし、小学校では児童会長もやっとるし」「そうやったな。わしらの自慢の甥っ子やった」「大学も東京の早稲田に行ったし、就職した会社もみんなが知っとる一流会社やし、わたしも鼻が高かった」礼服に着替え、一階に降りて行くと、加藤が近寄ってきて耳元で言った。「実は先日、河島さんに呼ばれて少し話をしました」「うん。それで」「おれが営業局を任されることになったから、これからもよろしく頼むって」相変わらずの“人たらし”めと半分思い、半分は安堵した。正雄は歩を進めた。美穂もうしろをついて来た。人影に気づき、河島が振り返った。「河島。大変だったな。お悔やみ申し上げます」夫婦で頭を下げた。「なんだよ、来てくれたのか。奥さんまで」河島は一瞬、頬をひきつらせたが、すぐに白い歯を見せた。「こんな場所で言うことじゃないけど、今度営業を去ることになるから、うちの部の連中をよろしく頼む」やっと言えた。それも自然に。「水臭いことを言うな。頼みたいのはこっちだ」互いに苦笑した。しばらく見つめ合う。「ありがとう」河島が頭を下げた。正雄は無言で同じだけ頭を下げた。(また明日へ続きます……)