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安田好弘『死刑事件へのスーパー・デュープロセスの確立を』その2

2012-12-06 06:52:00 | ノンジャンル
 昨日、中村勘三郎さんの死去が伝えられました。最後の舞台『め組の喧嘩』を私はWOWOWで見て、本物の三社祭の神輿が浅草仲見世商店街の人達に担がれてでてくるラストの異常な盛り上がりに、今思えば“死”の予感を感じていたようにも思います。心からのご冥福をお祈りするとともに、今後の勘九郎さん、七之助さんの益々のご活躍を重ねてお祈りいたします。

 さて、昨日の続きです。
 「8月に執行したときには、そのうちの一人については、誕生日をわざわざ狙って執行するということをやりました。誕生日というのは嬉しい日です。そういう日にわざわざ執行するということを彼はやってのけたわけです。ですから当然その1カ月後にさらに執行するというのも、彼の非人道的な体質のなせる業だろうと思うんです。そして、そういう残酷なことを法務省が、検察官である法務官僚が、法務大臣にやらせているということをしっかり見て取らないといけないと思うんです。それは今回の法務大臣の返り咲きということに見て取れるだろうと思うんです。
 この前までは滝法務大臣が執行したことに対して、辞める予定の人間が執行するということはとんでもないことだ、私たちが抗議しようにも抗議する相手がいない、すでに辞めてしまっている、政治責任を果たせないということで、私は彼のやり方については大変問題があると言ったわけですが、いちど罷免された人間がもう一度戻ってくる、この倫理も道理もないこの酷さ。おそらくこれは死刑執行をやる法務省の検察官の意向によるもので、とにかく死刑執行について言うことを聞く人間を法務大臣に据える、それだけを考えているのだと思います。(中略)
 私は、前回、国会議員の皆さんに、死刑執行停止とか死刑廃止というような、法案を提出することでさえ困難なハードルの高いものを目指すより、わずかでもあっても、実現可能な、ハードルの低いものを目指してほしいとお願いしました。
 その一つが、死刑に関するスーパー・デュープロセスの実現です。憲法31条(「何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない」)はデュープロセスという規定を定めています。とりわけ、死刑は取り返しのつかないものですから、一般的事件よりも、より厳しいデュープロセス、つまりスーパー・デュープロセスを用意すべきだと思います。具体的には死刑求刑が予想される事件については必要的弁護事件として捜査段階から弁護人をつけなければならない、つまり、弁護人なくして身柄の拘束も取り調べも行ってはならないということ。裁判においては、検察官にすべての証拠の開示を義務づける、すべての事件について精神鑑定を義務づける、それからさらに全員一致制を設ける、さらに今回のような取下げは認めず、必要的上訴を、つまり、必ず三審まで審理することを義務づける、さらに重要なことは検察官が一審有期懲役、一審無罪、一審無期懲役という一審の判決について死刑を求めて控訴、上告することは許されないということ。死刑が確定したあとにも、必ず弁護人をつけること、そして死刑執行する時に最低2週間前には本人および弁護人に告知すること。これは、本人の利益の保護のためです。こういうスーパー・デュープロセスの手続きは、死刑の存置廃止の意見を超えて、賛成が得られるだろうと思います。
 もちろん、一度に全部というのではなく、合意が得られるものから、一つずつ提案していく。例えば、必要的上訴や全員一致制であれば、それほど困難なく賛同を得て法律を上程できるのではないでしょうか。そして、上程するだけでも、議論が巻き起こり、また広がる。そして合意が形成されていく。そういうことからしか物事は動かないだろうと思うんです。(中略)
 特に最近再審があちこちで実現していっています。もはや、検察あるいは裁判所は全然誤りがないという話はもう通用しなくなってるわけです。そういうい状況の中にあって、いまこそスーパー・デュープロセスということの実現に向けてがんばっていただく、それがやがて死刑廃止への道を作っていくと私は思っているわけです。ぜひそこらあたりを理解していただきたいと思います。」

「法務大臣は死刑執行するだけがその権限ではありません。恩赦を発動する権限を持っているわけです。同時に死刑を執行しないでおくという権限も持ってる」という主張、そして死刑へのスーパー・デュープロセスの導入には、注目せざるを得ないと切に思いました。皆さんはいかが、お考えになるでしょうか?

 →Nature LIfe(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

安田好弘『死刑事件へのスーパー・デュープロセスの確立を』その1

2012-12-05 05:20:00 | ノンジャンル
 今日はロバート.オルドリッチの30回忌の命日です。改めてご冥福をお祈り申し上げます。

 さて、先日「死刑廃止国際条約の批准を求める“FORUM90”地球が決めた死刑廃止」から、新たな発行物“VOL.126”が送られてきて、その中に弁護士・安田好弘さんによる「死刑事件へのスーパー・デュープロセスの確立を」という文章が掲載されていました。とても考えさせられる文章だったので、一部、引用させていただきたいと思います。
 「9月27日に2人の死刑が執行されました。一人は江藤幸子さん(仙台拘置支所)、もう一人のかたは松田幸則さん(福岡拘置所)です。
 江藤さんの事件では、結果としては6人の方が亡くなった。最初の2人は検察は殺意を認定できず傷害致死で起訴し、あとの4人は殺人で起訴しています。いわゆる悪魔払いということで、信者の体を太鼓のバチで叩いて、それで被害者が亡くなったということで、殺意をもってやったと検察が起訴し、裁判所も殺意を認め、主犯とされる江藤さんに死刑を宣告したということです。再審弁護人も選任し、再審を準備しておられたのですが、そのことを十分に知りながら、法務大臣は死刑を執行したわけです。
 松田さんは、上告を自ら取り下げて確定した人です。上告取下げの直前に救援連絡センターに反省の気持ちと残された年老いたお母さんに対する思いについて手紙をかいてこられています。最近、共同通信が死刑確定者のアンケート調査をやっていますが、このアンケート調査に執行の直前、回答しています。そこには、私はせめてもの償いとしてドナーとして自分の臓器を捧げたい、それを切に望んでいます、と書いていらっしゃるんです。
 拘置所は、法律になんの規定もないんですけれど、死刑確定者がそういうことをするのは許可しないわけです。死刑執行は絶命してから10分以上そのまま吊るす。そうすると脳死を超えて心臓死、しかも心臓死のあとも吊るす。臓器というのは脳死状態でないと臓器移植はなかなか難しいと言われているんですが、死刑囚の遺体から摘出した臓器は移植の対象にならないということも含めて、そういう死刑囚の人たちの思いを拒否しているんですね。
 私の接触した死刑囚の人も、あの東日本大震災の時に自ら志願して福島原発に行って命をそこで尽くしたいということを実際に拘置所の所長に申し出たんですけれど、それは言下に拒否されています。(中略)
 今回の執行は実は民主党政権になって4回目で、合計9人になります。この執行の中身を見ていますと、本当に異例ずくめです。滝法務大臣は就任して1ヶ月と24日しか経過していないのに執行しています。今までは、記録を検討する時間が必要であるとして、少なくとも就任3ヶ月以上後に、少なくとも2ヶ月経過してから執行をしてきましたが、これをさらに縮めてしまいました。しかも、辞めることを表明する直前に、死刑を執行している。さらに1ヶ月に1回ずつ、2ヶ月連続して執行するという過去になかったことをやっています。(中略)おそらく今年中に4回執行するためには8月と9月両方で執行しておかないと、残りのあと1回が執行できないということだったろうと思います。
 滝法務大臣は法律で決まっているから、あるいは裁判所が死刑判決を出したからこれを無視出来ないというふうに言っています。しかし、法務大臣は死刑執行するだけがその権限ではありません。恩赦を発動する権限を持っているわけです。同時に死刑を執行しないでおくという権限も持ってるわけですし、死刑廃止の法律案を作って国会に上程する権限も有しているわけですから、彼の弁明は全く理由になってないと思うんです。松田さんは上告を取り下げた、つまり三審という3つの裁判所において判決が正しいかどうかのチェックを受けるという裁判を受ける権利そのものを完全に無視されて執行されたわけです。ですから法務大臣は、問題のない人をやったんだと言っていますけれど、実は問題のある人を執行したと言っていいと思います。」(明日へ続きます‥‥)

 →Nature LIfe(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

鈴木則文監督『関東テキ家 天王寺の決斗』その2

2012-12-04 06:32:00 | ノンジャンル
 先日入会した、“かながわトラストみどり財団”から送られて来た「かながわのナショナル・トラスト25周年記念」と題されたパンフレットの巻頭に、養老孟司さんと岸由二さんの対談が載っていました。岸先生とは「鶴見川の源流を探る」というイベントでご一緒させていただき、養老さんは先日行われた川のシンポジウムで講演を聞かせていただいたのですが、お二人とも農業、林業など、“地べたをいじる”活動への一般市民の参加を呼びかけてらっしゃり、岸さんに至っては、綱島の早渕川と鶴見川の合流点を昔のように緑がいっぱいある感動的な水辺に戻すことに、“人生をちょっとかけている”とおっしゃっていました。カワラノギク復活運動への参加を先日決意した私にとっても、他人事とは思えない、そんな対談でした。

 さて、昨日の続きです。
 ブルドーザーによって破壊される長屋。逃げまどうサヨコ。長屋が壊されるのをにんまりと笑って見つめる東条と黒船。サヨコは兄の田丸が助けに現れた時には、既に倒された長屋の下敷きとなって死んでしまっていました。家を壊されたテキ屋の人々は、話が違うとおろくに抗議し、おろくも黒船に抗議しますが、黒船は法律に乗っ取っていると言って開き直り、おろくらの話を聞こうともしません。長屋跡に建てられるビルが役所に届けられたものとは違う風俗ビルであることを証明する青写真を持って現れた哲也は、その場で黒船の手下に撃たれます。自分を撃った男を哲也がナイフで刺したことをもって、正当防衛だと主張する黒船。哲也は血染めの青写真をおろくに託して、息絶えます。
 帰宅した夏子は、家で白い布を顔に被され横たわる哲也の姿を見て、泣き崩れます。それをじっと見つめる国分。国分がその場を去ろうとすると、おろくは明日のテキ屋の総会で東条と黒船に対して自分が落とし前をつけると言って、国分を止めます。その夜、横たわる哲也に泣いて謝るおろく。
 翌日、テキ屋の総会で、東条はおろくがビルの建設を妨害して死人まで出していることを非難し、証人として黒船にも発言させます。一旦はおろくを除名する方向で総会の意見がまとまりそうになりますが、議長が一応おろくの言い分も聞こうと言い出すと、おろくは正直に事実を話し、血染めの青写真も取り出して訴えます。黒船が役所に陳情すれば十何年も時間がかかるだけだとうそぶくと、おろくは前に進み出て、どうしてもビルを建てるというのなら、自分を斬り殺してからやれと言います。他の長元衆もおろくの味方となり、不利となった東条は黒船ともにその場を去ります。
 帰途、おろくと宮村は黒船の手下に襲われ、宮村は大ケガを負い、おろくは「三輪会の長元はもう自分で終わりにする」と言って、夏子と国分に手を握られながら、息を引き取ります。泣き崩れる夏子。しばらくして夏子は三輪会の長元を継ぐ決心をしますが、国分は止め、1人、黒船の事務所へ斬り込みに出ます。背広姿の黒船の手下たちを次々と斬り殺していく国分。やがて田丸も妹の仇と言って、国分に加わります。東条に腹を刺されながらも、返り討ちにする国分。田丸は黒船の撃った拳銃の弾が首に当たって倒れ、国分も後ろから黒船の手下(潮路章)に背中を刺されますが、最後には弾切れとなった黒船との一騎討ちとなり、黒船が斬りかかった日本刀の刃を手で握った国分は、ドスで黒船の体を深々と刺し貫くと、黒船は長い叫び声を上げながら倒れていきます。国分の腕の中で死んでいく田丸。満身創痍の国分が、ふらふらしながら道を歩いていく姿をカメラがとらえて、映画は終わります。

 マキノ雅弘監督の直弟子だけあって、アップ、バスト、全身、遠景のショットが小気味良く繋がれ、それぞれのショットも遠近法をうまく使った見事な構図に収まっているものが多く見られました。キャストの豪華さも特筆すべき映画だったと思います。

 →Nature LIfe(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

鈴木則文監督『関東テキ家 天王寺の決斗』その1

2012-12-03 05:26:00 | ノンジャンル
 鈴木則文監督の'70年作品『関東テキ家 天王寺の決斗』をスカパーの東映チャンネルで見ました。
 「東京」の字幕。銀座で当り屋をやった田丸(山城新伍)は菊水会に捕まりますが、田丸は盲目の妹のサヨコを大阪に置いて来ているので帰りたいと言い、菊水会の国分(菅原文太)が彼に代わって、飛行機で大阪に向かいます。タイトル。
 「大阪」の字幕。俯瞰で群衆が撮られ、「四天王寺 彼岸会」の字幕。俯瞰からカメラが下りて来て、あわおこしを売るテキ屋の娘・サヨコの顔のアップまでがワンカットで示されます。彼女の売り上げ金を奪う男たちは、彼女をかばう男(岡八郎)に暴力を働き、店を壊します。現れた刑事(由利徹)も額にゴムの矢をくっつけられ、頭から白ペンキを被ります。そこへ現れた国分は男たちをやっつけますが、そこを縄張りとして仕切る三輪会の長元おろく(清川虹子)が、双方の間に割って入ります。盲目のサヨコに兄からだと言って金を渡す国分。国分はおろくの娘の夏子(土田早苗)と仁義を交わします。おろくは通天閣の上に国分を連れて行き、この一帯を代々縄張りにしてきたが、ケンカで落とし前をつけたことは一度もないと言います。
 おろくの元にやはりテキ屋の長元をやっている東条(遠藤辰雄)がやって来て、建設会社の社長の黒船(小池朝雄)を紹介し、テキ屋らが住む長屋を取り壊してビルを建て、地下は映画館、1、2階は老人、家族向けのヘルスセンター、その上はアパートにしてその一角をテキ屋の人々の住居として提供するという案を持ち込みます。住民への説明を受け合うおろく。しかし、黒船らは実際には風俗店のビルを建てようとしていて、それをきっかけに三輪会から東条が縄張りを一気に奪う計画をも立てているのでした。
 サヨコに服を贈り、彼女の店の呼び込みをする国分と、それを温かく見つめるおろく。おろくは部下の宮村に、国分を夏子と結婚させるために大阪に留まるよう説得してくれと言います。宮村は田丸にその役目を頼み、田丸は夜の接待で国分の気を引こうとしますが、怒って帰ろうとした国分に本当のことを全て話します。そこへ5年前に家出した夏子の兄・哲也(伊吹吾郎)が現れ、乱闘となりますが、そこのクラブのオーナーである黒船が現れると、国分は去ります。宮村が止めるのにもかかわらず、黒船と出ていく哲也。哲也が家出したのは、三輪会の長元は代々女が継ぐことになっているからだと、宮村は国分に教えます。黒船に気をつけろと宮村に言う国分。宮村は三輪会の相談役になってくれるように、国分に頼みます。
 「京都」の字幕。おろくと夏子がいるところへ、テキ屋連合の議長(曽我廼屋明蝶)と国分が現れ、夏子と国分は2人になりますが、夏子は三輪会を継ぐ気はないと国分に言います。京都から戻り、長屋のそばで技士が測量しているのを見る住民たち。おろくと2人になった夏子は「これまで女として幸せだったのか?」とおろくに迫り、おろくから平手打ちを喰らいます。黒船の指図に乗り、屋台の並ぶ通りでくだを巻いて、おろくから金を巻き上げた哲也は、黒船にビルの本当の青写真を見せろと迫り、風俗ビルを建てる計画であることを知ります。青写真を持ち出した哲也は黒船らに捕まり、拷問を受けて、その在り処を尋ねられますが、哲也は言おうとしません。哲也を引き取りに来た国分は、哲也の身代わりになると言って、刺青の掘られた上半身に黒船から鞭打たれます。やがて国分は暴れだし、乱闘となりますが、拳銃を構える黒船と、ナイフを構える国分が対峙すると、そこへテキ屋連合の会長が現れて、2人を分け、東条に警告します。
 帰宅した哲也を夏子は家に上げようとしますが、おろくは許さず、哲也はビルの青写真をおろくに渡して、去り際、夏子に「お袋のような女の抜け殻にはなるな」と言います。国分が宮村を訪ねると、宮村は今回の騒動のほとぼりがさめるまで、大阪を発って飛騨の高山の知り合いのところに身を寄せてほしいと頼みます。
 「飛騨高山」の字幕。山車が出ている祭りの最中です。旧知の仲であるガマの油売りの讃岐(南利明)に出会った国分は、彼の家に連れて行かれると、彼が讃岐組の長元になったと聞き、若い衆として2匹のガマガエルを紹介されます。夏子がやって来て、「自分の人生は自分の手で選びたい。どこへでも付いていく」と言って国分を口説きますが、国分は「たとえ組の元長を継がないとしても、親1人子1人なのだから、大阪にいた方がいい」と言って、夏子を大阪に送っていきます。(明日へ続きます‥‥)

 →Nature LIfe(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

“ポーランド・ポスター展”&“はじまりは国芳”展

2012-12-02 04:48:00 | ノンジャンル
 昨日横浜へ、“ポーランド・ポスター展”と“はじまりは国芳 江戸スピリットのゆくえ”展を見に行ってきました。
 まず、“ヨコハマ創造都市センター”で行われている『ポーランド・ポスター展』。主に'50年代から'60年代に作られ、ポーランド(主にワルシャワ)の街角に張られたポスター、約150点を一挙に公開するというこの展覧会。3階の展示室で1つ1つじっくり見たい気持ちを抑え、受付の方に公式パンフレットに公開作品がすべて掲載されていることを確認した上で、それを2500円で購入。後でゆっくり見ることにし、取りあえず1階に降りて、ワルシャワで活躍するデュオアーティスト“シャ/ザ”の演奏を聴くことに。“シャ/ザ”はパヴェウ・シャムブルスキさんとパトルィク・ザクロツキさんがクラリネット、ヴァイオリンなどを演奏するアーティストということでしたが、今回は何とポランスキーの短編を無声映画に見立てて、それに音楽をつけるという試みをするとのこと! 演奏が始まるのを待ってる間に、お土産品を物色していたのですが、その時、ポーランドの国旗も日の丸と同じく、赤と白しか使っていないことを発見! お土産コーナーの方にそれを指摘すると、「そうですね」という気のない返事が返ってきました。さて、午後1時となり、いよいよ“シャ/ザ”の登場。大きなスクリーンに6本の映画が次々に映され、それに時には音楽、時には効果音や声が被されたのですが、これがなかなかユーモアにあふれていて面白かったです。映された短編は、眠っている男をドアから秘かに部屋に入ってきた中年男が刺殺するという1分足らずのもの、アパートの階段を降りてきた男が、ある部屋の窓を覗くと、そこには入浴中の若い女性がいて、ずっと覗き続けるのですが、その部屋に男が帰ってきた物音を聞き、あわてて階段を降り、その後、また窓に戻るのですが、そこでは先程の男が醜く歯磨きをしていたというもの、招待客だけの野外パーティに若者たちが乱入し、パーティを粉々に破壊するというもの、海からタンスを持って現れた2人の男が、町の様々なところへ行くのですが、どこでも受け入れてもらえず、また海へ姿を消していくという『タンスと二人の男』(「これは有名な作品だ」と“シャ/ザ”さんらも言っていました)、人形作りの男が仕事を終えて帰っていくと、漏電で人形が燃え出してしまうというもの(ここでは、ラストで『ローズマリーの赤ちゃん』のテーマが使われていました)、雪原のかなたから、橇に1人が乗り、もう1人が引っ張るのを交互にする2人組が現れ、最後にケンカしている間に他の男に橇を持っていかれてしまい、今度は交互におんぶして再び雪原のかなたに去って行くというものでした。上映は6本合わせて約1時間で、満場の拍手の中、演奏は終わりました。(そして、私は今回のイベントで、ポランスキーがヌーヴェル・ヴァーグとまったく同じ頃にデビューしていたのを初めて知りました。)
 次に向かったのは、“横浜美術館”で行われていた“はじまりは国芳 江戸スピリットのゆくえ”展。江戸時代末期から明治にかけて活躍した浮世絵師・歌川国芳の版画を中心に、その弟子たちの作品を集めたものでしたが、これも見ごたえ十分でした。国芳の版画には、巨大な魚や龍や骸骨が描かれていたり、亡者の大群が背景に描かれていたり、ガリガリの爺が包丁を手に持ち、反対の手に女の首を捕まえているなど、一目見るだけでギョっとするものが多い一方で、多くの猫を描いて“ふぐ”の字としたり、53匹もの猫を描いたり、だまし絵を描いたりと遊び心にあふれた作品も多くありました。またその多くの弟子の中で、特に芳年の版画は、京の五条の橋の上で義経が飛び上がっていたり、生首が転がっていたり、隅に猫がうずくまっていたり、鯉に金太郎が抱きついていたり、着物から出された母のおっぱいにすがる童子を兎が見ていたり、表情豊かな芸子が描かれていたりと、これまた面白いものが多くありました。
 帰りの電車の中で、ポーランド・ポスター展の公式パンフレットを読んだのですが、'55年から'65年にかけて花開いたポーランドのポスターは、ユゼフ・ムロシュチャク教授とヘンリク・トマジェフスキ教授を中心とした“ポーランドポスター学校”と呼ばれるグループが先導していったことを、これまた初めて知ったのでした。ちなみに“ポーランド・ポスター展”は、関東圏では明日まで(その後は名古屋に行くそうです)、“はじまりは国芳”展は、来年の1月14日までやっています。興味のある方は是非どうぞ。

 →Nature LIfe(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto