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アーサー・ビナードさんの講演会・その1

2012-12-11 05:20:00 | ノンジャンル
 おとといの日曜日、“おぎの9条の会”主催のアーサー・ビナードさんの講演会“三人寄れば『もんじゅ』を止める知恵”に、同僚の紹介で母と行ってきました。
 まず、現在総選挙中ということで、先日行われたアメリカでの大統領選挙について。“核のない世界をめざす”と言っていながら、核実験を4回も行なったオバマで、軍産複合体は全く問題なかったのですが、国民がどれだけバカかを試すため(ビナードさんは“大気中原爆実験”をひねって“大衆バカ実験”と呼んでいました)、あえてロムニーを対抗馬として立てたのだそうです。つまり、モルモン教徒であり、生まれた時から労働をしたことがなく、莫大な資金をバックに企業買収をし、アメリカ国内の労働者をリストラの名のもとに失業させ、生産拠点を中国などに移し、業績がある程度上がって買った時よりも高く売れるようになると、その企業を売却するという、金もうけをくり返してきたロムニーは、本来なら1パーセントの支持率しか得られないような候補でしたが、広島の原爆の容器を作ったことでも知られる軍産複合体の1つ、ゼネラル・エレクトリックの傘下の全国テレビネットークNBCが大々的にロムニーを売り込んで、どこまでオバマに迫れるかを試してみた、ということなのだそうです。
 そして現在の総選挙。前々回の総選挙は“郵政民営化”、前回は“政権交代”とシングル・イシューで争った選挙であり、そのテーマをマスコミが打ち出した段階で、もう結果は出ていたのだと、ビナードさんは言います。それに対し、今回の選挙はテーマを“反原発”にしてしまうと、核にもエネルギー問題にもつながってしまい、他の政策にも影響が出て、中央と地方、経団連と労働組合といった力関係が逆転しかねない事態にもなるため、あえて、“多党乱立”という、有権者が投票する気をなくすような状態を作り出し、突っ込んだ議論をさせないようにした、というのがビナードさんの見方でした。(その典型例としてNHKの討論番組を出していました。1つの論点について多くの党に表面的な持論を紹介させただけで、すぐに次の論点に移るという、まったく中身のない内容の番組になっているのだそうです。)
 そして、テレビに言及したことで、“情報”と“広告(PR)”の区別がしにくい状態になっていることが指摘されました。テレビは情報源としては全く役に立たず、視聴者がどう騙されているのか、PRがどう行われているのかを知るよすがにしかならないのだそうです。そして投票する際、自分の票が“死に票”になることを心配する必要はなく、逆に、死に票を考えて投票することは、結局、私たちがマスコミによる“広告”に負けることを意味し、本当に勝ってほしい党を負けに追いやることになる、とビナードさんは力説されていました。
 そして、ここからようやく原発の話になります。1942年12月2日、フェルミは原子炉で初のプルトニウムの生産に成功します。プルトニウムはプルトニウム型原子爆弾を作るために必要なものであり、これは天然で唯一放射能を出す鉱物・ウラン235を濃縮して作るウラン型原子爆弾より、ずっと大きな破壊力を持つものです。
 まず、ウラン型原子爆弾の説明から。自然界で唯一放射能を出す鉱物であるウランは、99パーセント以上が放射能を出さないウラン238からできていて、放射能を出すウラン235は1パーセント未満であり、したがってウランの原石は通常ではウラン235の濃度が薄すぎて使い物になりません。そこでウランの原石では1パーセント未満しかないウラン235をまず濃縮していって、濃いウラン235の固まりを作ります。そこに中性子を当てると、中性子が当たったウラン235は割れて、様々な放射性物質を作るとともに、2個以上の中性子を放出し、そうして放出された中性子が、また周りのウラン235にぶつかって、それを割る、ということをくり返し、その度ごとに発するエネルギーが合わさって、巨大な熱を生じるというのが、ウラン型原子爆弾の仕組みです。これはプルトニウムを作る上で2個作られ、1つは1945年7月16日にメキシコでの実験で使われ(その結果、ニューメキシコ州の人々は被爆しました)、もう1つは広島で使われました。(明日へ続きます‥‥)

 →Nature LIfe(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

齋藤寅次郎監督『体当たり殺人狂時代』その2

2012-12-10 05:46:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
 翌朝、善さんの娘の京子(池内淳子)が訪ねてくると、寝ていた善さんは急いで身支度をします。(ここはフィルムの早回しで描写されます。)「変なところに住んでるのね」と言う京子に、番地もないし、家賃も取られないので便利だと答える善さん。京子は恋人と結婚したいので、お母さんと仲直りしてほしいと言いますが、善さんは「男が一旦家を出たからには、自分から頭を下げて家に帰る訳にはいかない。仲直りしてほしいなら、お母さんにまず頭を下げさせてほしい」と言います。一方、混血児の母を殺した男は、アラメニア国王に会いに行き、それらしい少年を見つけたので、とりあえず50万円ほしいと言いますが、国王は少年を実際に連れて来た時にまとめて払うと言います。警察でアパートの住民たちに事情聴取をする刑事。1人の住民が、女性が殺された日、その女性を混血児が訪ねてきたのを見たと言い、その混血児はペンダントの中に収められた、殺された女性と外人の写真を見せて、これは自分の母と父だと言っていたと刑事に話します。
 善さんの妻で、マッサージ屋を営む文子(清川虹子)は客に無茶な施術を行なっています。京子は家に帰ってきた文子に、善さんがお母さんのことを心配していたと伝えると、文子は20年も連れ添ってきたんだから、と微笑みますが、お父さんに自分からは頭を下げるつもりはない、と京子の頼みをつっぱねます。京子の恋人で、殺人の第一発見者であるカンペイは刑事から容疑者に疑われますが、そこへ駆けつけた文子と京子はカンペイが犯人であるはずがないと言って弁護します。一方、善さんに連れられ町に出た混血児は、自分の母親を殺した男を街頭で発見し、その男の後を追いますが、逆に気づかれてしまい、男から逃げ出します。男は善さんの家を突き止め、トラックと車を乗りつけ大勢で押しかけますが、善さんの家のドアに「3時まで昼寝中」と書かれているのを見ると、起こすのも可哀想だと言って、家ごとトラックに積みます。「地震かな? まあ大したことない」とまた寝る善さん。おしっこをするため部屋を出ようとした混血児は、危うく部屋から落ちそうになり、それ以降はトラックから落ちそうになり傾く家から落ちまいとする善さんと混血児の奮闘ぶりが描かれます。結局家はトラックから落ちて破壊され、家がなくなった善さんは、自分から頭を下げて文子の元へ帰ります。
 「今日からこの家の子になりました。どうぞよろしく」と言う混血児に、いい顔をしない文子。善さんと文子が混血児について話し合うのを聞いて、沈む混血児。善さんは混血児を引き取ろうとしない文子と口論となり、部屋に戻ると、混血児はすでに消えていました。混血児が公園で寂しくブランコに乗っていると、刑事と警官らに見つかり、混血児は逃げ出します。樽の中に隠れた混血児でしたが、樽ごと坂を落ち、頭を打ったところを善さんに助け出されます。入院した混血児に、新聞にお前のことが出ていたぞと善さんは伝えますが、そこにやってきた男は善さんの頭を殴って失神させ、混血児を拉致します。
 国王に呼ばれてマッサージをしていた文子の元に、男が混血児を連れてやって来て、この子を手に入れるために犯罪を犯したので、自分も国外に連れて出てほしいと国王に頼み、それを国王に拒まれると、男は混血児を人質にして拳銃で武装し、部屋に籠城します。警官隊と銃撃戦となる男。善さんは暖炉を通って男がいる部屋に侵入し、男をやっつけます。
 善さんは国王に勲章を授与され、夫婦ともども1千万円ももらい、飛行機で去る国王と混血児を皆で見送るのでした。

 ここに書き切れないほど、様々なギャグに満ち、画面が皆“ショット”として見事な構図におさまり、ユーモラスな音の多用もあって、大いに笑わせてくれました。テーブルが動き、それに合わせて食事をするところは、チャップリンの『モダン・タイムス』を想起させ、トラックの上で家が傾くシーンは、同じくチャップリンの『黄金狂時代』を想起させました。齋藤寅次郎監督、ただものではありません。

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齋藤寅次郎監督『体当たり殺人狂時代』その1

2012-12-09 06:55:00 | ノンジャンル
 齋藤寅次郎監督の'57年作品『体当たり殺人狂時代』をスカパーの日本映画専門チャンネルで見ました。
 夜のアパートに近づく男の影。靴音をコツコツ鳴らせながら、2階の1室のドアを音もなく開け、靴のまま部屋に上がると、テーブルの上の灰皿にはまた煙の残る煙草が置いてあり、奥の浴室からは入浴している女性の鼻歌が聞こえます。バスタオルを体に巻いて髪の毛をとかす女性は、ネグリジェに着替えると、部屋の鏡台に向かいます。男に気づき、「まあ、随分失礼ね。女1人の部屋に黙って入ってくるなんて」と女が言うと、男は「ふっふっふ、折り入って聞きたいことがあってね。8年前に黒人の子を産んだことがあったな。その子の行方を探してくれと、ある方に頼まれているんだ」と言い、女性から、その子は横浜の国際ホームに預けられていると聞くと、「そこから逃げ出して、帰ってないそうだ。必ず母の元へやってくるはずだから、知らないとは言わせない」と言って女性に迫ると、女性は果物ナイフを持って抵抗しようし、逆に男に殺されてしまいます。それをベッドの下で見ていた混血児は、男が部屋を去ると、「死んじゃ嫌だよ、ママ」と死んだ女性に話しかけますが、そこへ男が戻ってきて「お前がジョージだな」と言うと、混血児は逃げ出します。隣に住むカンペイが異変に気づき、「明美さん!」と言ってドアを開け、死体と凶器のナイフを発見します。一方、混血児は男をまいて、立派な屋敷の屋根に登ると、煙突から中に落ちます。
 自転車に乗って歌う青年・ケンキチと、それに引かれる箱に乗っている煙突掃除屋の善さん(大宮デンスケ)。(ここはスクリーンプロセスが使われています。)昨日やったばかりの館にまた呼ばれた彼らは、暖炉からススが部屋に大量に落ちていると苦情を言われ、再び煙突掃除にかかります。それは昨晩、混血児が落ちた煙突でした。お手伝いさんに真空掃除機の説明をする善さんは、過ってお手伝いさんのスカートを吸い取ってしまいます。煙突に真空掃除機をセットした善さんでしたが、何か詰まっていることに気づき、やがて屋根にいたケンキチが煙突に落ちていった後、真空掃除機の中に混血児が吸い込まれます。掃除機の袋から出てきた黒いススだらけの混血児をケンキチと思い込み、2人で帰っていく善さん。「やっと部屋がきれいになったわね」と館の女主人とお手伝いさんが話していると、ケンキチが暖炉から出てきて、2人はビックリします。
 連れて帰ったのがケンキチでないことに気づいた善さんでしたが、飯の時間になったと言って、パンを食べ始めます。昨日から何も食べていないという混血児に、パンを分けてやる善さん。油断しているうちに、混血児は善さんのパンを全て食べてしまいますが、家もなく両親もいないという混血児に、善さんは同情し、仕事を手伝うなら、自分の家に置いてやると言います。善さんに愛想が尽きたと去るケンキチ。
 川沿いのバラック作りの一軒家に混血児を連れてきた善さんは、自分が発明した発電機、スイッチを入れるだけで3分で湧く風呂、パン焼き機を混血児に披露します。双眼鏡で対岸の川岸に座る無数にいるアベックを見た混血児は、「おじさん、こんなのを見て、いつも楽しんでるの?」と聞きますが、善さんは適当に言い逃れします。風呂で混血児を洗い、いつまでも黒い色が落ちないと善さんが言うと、混血児はもともと自分の肌は黒いんだから落ちるはずがないと言います。自動的に壁から現れたテーブルで食事をしようとする2人でしたが、テーブルが故障して動きだし、2人はその動きに合わせて食事をせざるを得ません。パンの中からテレビの部品が出てきたので、それをテレビに戻して、日本に1つだけというシネスコテレビのスイッチを入れると、ちょうどニュースがやっていて、アラメニア国王がジョージという名の自分の孫を探しに日本に来ていることを知ります。「これ、坊やじゃないのか?」と聞く善さんに、「違うよ!」と答える混血児。混血児は“アパートの惨劇 美人マダムの死体”と題された新聞記事を見ると、その写真がママの写真であることを善さんに教えます。ママが殺されたのを見たという混血児に同情する善さん。 混血児は夜空に向かって“みなし子の歌”を歌い、目を潤ませながら「ママー」と叫びます。「男の子なんだから、もう泣くんじゃない。ママは必ず迎えに来てくれるよ。星にお願いしよう」という善さんに、素直に星に祈る混血児。自動皿洗い機で食器を洗い、壁に収納されていたベッドを出して2人で寝ると、横には女性のヌードの絵が貼ってあります。それについてしつこく質問する混血児と、うやむやにごまかそうとする善さん。(明日へ続きます‥‥)

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西加奈子『漁港の肉子ちゃん』

2012-12-08 06:09:00 | ノンジャンル
 西加奈子さんの'11年作品『漁港の肉子ちゃん』を読みました。
 肉子ちゃんは私の母親で38歳。本当の名前は菊子だけど、太っているから、皆が肉子ちゃんと呼びます。何でもすぐに語呂合わせにするのが好きで、話し方も、いつも語尾に「!」とか、ひどいときは「っ!」がつきます。関西の下町生まれで、兄が2人いたらしいけれども、家族のことは、あまり話しません。16歳で大阪に出て、繁華街のスナックで働き、今は北陸の小さな漁港に住み、そこの焼肉屋「うをがし」でまかない付き、家付きで働いていますが、そこに至るまで何度も男に騙され、私の父も誰なのか判然としていません。「うをがし」は結構繁盛していたのですが、店の主人である70過ぎのお爺ちゃん・サッサンの奥さんが亡くなり、サッサンが孤独に絶望して、店を畳もうとしていたところに、肉子ちゃんが現れ、サッサンは救いの神が来たかのように肉子ちゃんを雇って店は存続し、そしてより繁盛し始め、肉子ちゃんも、その天性の明るさから、おおらかな町の人たちに受け入れられたのでした。
 小5の私は肉子ちゃんに似ず、スレンダーで、よく可愛いと言われ、名前は肉子ちゃんの本名と同じ読みながら漢字は違う“喜久子”。町の大金持ちの娘で気位の高いマリアちゃんと一緒に下校していますが、隣の組の男の子・桜井と松本は私のことが気になるらしく、後をよく付けてきます。私は4歳のときから、ひとりでお風呂に入っていますが、ヤモリや湯気や窓やお湯が、よく話すので、ちっとも寂しくはありません。また私は読書好きで、本を開いている間は、自分の容姿のことや、肉子ちゃんの過去の男のこと、マリアちゃんの思わせぶりな立ち話や、男子の幼稚なアプローチのことなどを忘れることができるのでした。
 それに対し、肉子ちゃんは、人間関係の始め方も、下手くそで、相手が自分のことをどう思うのか、とか、どんな風に接すれば空気が変に震えないのか、とか、そういうことを、全然考えられず、こんにちは、をきちんを言わないままに、ずけずけと人のテリトリーに入ってゆくような人でした。
 私達の通っている小学校は、校内に寺があり、正門前の通りはちょっとした参道になっていて、“銀座猿楽通商店街”と呼ばれています。錆びついたシャッターが目立つ通りになっていますが、それでも、港に近いことから、魚屋や、魚を扱う小料理屋が結構あり、それ以外にも、軽薄な美容師のいる「MUSE」、ミイラみたいな老夫婦がやっている「赤星布団」、凶暴な猿を飼っているおもちゃ屋「もんきぃまじっく」、マキさんというかっこいい女性がやっている「湯沢鍵店」、いつもパン3つ180円のスーパー「ヨシトク」なんかがあります。私が憧れているのはマキさんで、東京に出て結婚し、離婚してまたこの町へ戻ってきたということですが、肉子ちゃんと同じ年齢だと聞いて、驚いたほど若く見える、20代のお姉さん、という感じの人です。商店街には「PET SALON かねこ」というペットショップもありますが、そこは皆「うらない」と呼んでいて、店主が、来る客来る客に、動物の世話の大変さを、これでもか、と言い続けるので有名な店でした。
 ある日、私はバスに乗った時、桜井と松本の背後にいつもいる二宮が1人で乗ってくるのを目撃しますが、彼は私に気づいているのか、いないのか、やがて次々と変な顔をしだします。その「変な顔」には、「気持ち悪い」では済まされない、何か切羽詰まった様子がありました‥‥。

 この後、私はマリアちゃんが新たに作ったグループから虐めを受けるようになったり、二宮との交流が始まったりもして、この部分はかなり読ませますし、また、肉子ちゃんに代表される“俗=生”と二宮に代表される“聖=死”の対比が演じられたりもして、これもかなり魅力的だったのですが、ラスト、私の出自と肉子ちゃんと私との関係が延々と述べられるところで、少しシラけてしまったのが残念でした。しかし読む価値は十分ある小説だと思いますし、西さんのこれまでの作品の中でも重要な位置を占める作品だとも思いますので、是非実際に本を手に取って読まれることをお勧めします。なお、本作品の詳細に関してましては、私のサイト(Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto))の「Favorite Novels」の「西加奈子」の場所でも紹介させていただきましたので、興味のある方は是非ご覧ください。

 →Nature LIfe(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

ティム・バートン監督『PLANET OF THE APES/猿の惑星』

2012-12-07 06:13:00 | ノンジャンル
 蓮實重彦先生がその著書『映画崩壊前夜』の中で紹介されていた、ティム・バートン監督の'01年作品『PLANET OF THE APES/猿の惑星』をWOWOWシネマで見ました。
 2029年、米空軍の宇宙探索基地オベロンの中の動物研究区画において、チンパンジーに宇宙船を操作させる練習をさせていたレオは、発見した大きな磁気嵐の探査のため、自分が訓練しているチンパンジー・ペリクリーズの乗るシャトルを送るよう、上司に命じられますが、ペリクリーズの乗るシャトルは磁気嵐に突っ込んだ後、通信が途絶えてしまいます。“猿なんか当てにならない”と思っていたレオは、上司の命令に叛き、自分だけの決断でシャトルに1人乗り込み、磁気嵐に突入すると、時間を示すメーターが急回転し始め、いきなり目前に現れた惑星に不時着し、シャトルごと池に落ちます。
 何とかシャトルから抜け出し、池の上に浮上すると、そこにはジャングルの中を逃げまどう原始人のような格好をした人々がいて、自分もそこへ加わると、間もなく現れた鎧姿の猿たちに、他の人々とともに捕えられます。その惑星では、猿が支配権を持ち、人間は奴隷として売り買いされていました。奴隷商人に焼き印を入れられる人々。レオは、元老院議員を父に持つ娘で、人間に同情的なアリが現れると、檻の中から彼女を捕え、彼女の耳もとで「助けてくれ」と言い、彼女に買ってもらうことに成功します。レオは自分が宇宙船により他の惑星から来た人間であることを説明し、アリを巻き込んで、他に捕らわれていた人々も檻から出し、一緒に逃げ出します。アリに思いを寄せながら、人間に対する残忍な態度もあって、彼女から拒まれていた将軍のセードは、アリが人間に拉致されたとして、戒厳令を敷き、人間を皆殺しにする許可を元老院から得ます。
 レオは、池に沈んでいたシャトルの中から銃とGPSを手に入れると、自分を救出するために、地上に降り立ったオベロンから電波が送られてきているのを知ります。レオはアリらとともに、そこへ向かいますが、着いた先は、アリら猿人が祖先と敬うセモスの聖地でした。そこにはレオがいたオベロンが砂を被った状態で存在し、レオが電源を入れると、レオが出発した後、チンパンジーらが反乱を起こし、宇宙探索基地を人間から乗っ取った事実が判明します。いつの間にかレオを慕って集まる多くの人間。そこへ大軍を伴って現れるセード。重火器を持たず、電池の存在も知らない猿人たちに立ち向かうため、レオは探索基地にまだ残っていた電力を使って、最後の砲撃を行い、近づいてきていたセードの大軍を蹴散らし、それから後は延々と猿人の軍隊と棒などで武装した人間たちとの白兵戦となります。
 すると、そこへ爆音が轟き、皆一瞬空を見上げると、シャトルが現れて地上に着陸し、中からはペリクリーズが現れます。“セモス様の再来だ”と言ってひれ伏す猿人ら。レオはペリクリーズを連れて基地に入ろうとしますが、ペリクリーズは怯えて、基地の奥に逃げ出します。それを追うレオとセードは戦うこととなり、レオはセードに銃を奪われますが、セードがレオを撃つ直前にスイッチを押して、透明パネルを出現させ、セードを基地内に閉じ込めることに成功します。今後の猿人と人間との共存を誓うアリ。レオは磁気嵐がまた現れたことを知り、それに突入してまた元の時代に戻ろうと、シャトルに乗り込み、アリらと別れます。
 宇宙空間で磁気嵐に飛び込み、再びタイムトラベルをするレオ。目の前に現れた地球に不時着すると、そこはワシントンDCのリンカーン像の前でした。しかしよく見ると、リンカーンの顔は猿人のそれで、背後のパネルには、“我々猿のために、この惑星を救ったセード将軍をここに永遠に祠る”と書かれていました。駆け付けるパトカー、そこから降りて駆け寄る無数の猿の警官たち、それに無数の猿のジャーナリスト。レオは警官らからホールドアップを命じられ、映画はそこで終わります。

 ショット、編集、演出、音楽、これらすべてがストーリーの進行に奉仕している映画で、今まで見たバートン作品の中では一番面白い映画でした。唯一悔やまれるのは120分という長さで、白兵戦の場面など、もっと短くできるのでは、と思いました。ただ隠れた名作ではあることは断言しておきます。

 →Nature LIfe(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto