庭はほったらかし状態です、それなのに、ピエール・ド・ロンサールは、今年も咲いてくれました。コロナで心が折れそうな時に、本当にありがたいです。「ごめんね大事にしてあげなくて」バラに謝りました。
コロナの感染拡大を阻止するために、国や地方自治体は、緊急事態宣言を行い、国民に自粛要請をしています。
そのために、事業がダメージを受けて、辛い思いをしている人もいらっしゃいます。国民の行動が抑制されるわけですから、不満がたまるのも理解できますが、
何度も申し上げていますが、まず人々を1日も早く命の危険を回避することを最優先すべきなのです。そしてできる限りの公的支援や、協力が大事です。
SNSでは
みんな一緒にとか、人に倣ってとか、一丸となってという言葉に過剰に反応する人たちがいらっしゃいます。一人だけが、他の人と違っていたり、突飛な行動をすると変な目で見る風潮を心配しておられるのだと思います。
今回も、協力や自粛を強制されていることで、戦前の隣組の監視社会に戻ると心配であるという方もいらっしゃいます。
ある人が、
子供の頃から、自分は人とは違っていて、どうしても仲間の中に入ってゆけなかった。そうした人間に突き放すような目を向けるのは良くないことだ。
とSNSに投稿し、今の日本の政治や日本を徹底的に批判しておられました。
その人の周りに集まってくる人たちは、同じような考えを持っておられて、今回のコロナのことで、みんな一緒にという言葉が嫌だと投稿しておられました。
以前、私はその人に
無理に、人と同じように行動する必要はありません。だけど、人に少し歩み寄ろうという気持ちは持っていてください。大半の人は、ほんの少しでも寄り添う心を感じたら、それで、許せるんです。だから、お互いの考えを尊重することは可能です。
最初から、「自分は人と違うだから人とは相入れることはできない」と思い続けていたら、いつまでも平行線のままです。
とお伝えしたことがあります。だけど、そのまま返答もいただけずに終わりました。
なぜ、人がまとまって頑張ることを嫌うのでしょうか?
私には未だに理解できません。
日本中が歓喜し、涙した、昨年のラグビーのW杯。
日本がたくさん勝ったから感動したのか。
違います。ラグビーというスポーツによって、お互いに力を出し合い、試合が終わると国同士の壁を超えて、敵味方関係なく、健闘をたたえ合う姿に感動したのです。さらに、相手に勝つために、選手一人一人が、自分にできることをすること、勝利は誰一人欠けても手に入れることはできません。それを教えられました。
ラグビーは一見格闘技のように見えても、実は、非常に高度な人との関わり方を学ぶことができるスポーツでした。一人の才能あるスターも必要ですし、それと同じくらい、スターを生かす人も必要です。ある時は機転を利かせてボールを受け取ったらまっすぐ突っ走ることも必要ですし、ある時は周りを見て、人に任せたりを一瞬で判断します。一丸となってゴールまでスクラムで押し切ることも必要です。セオリーがあってもそれが全てではない、状況に応じて作戦も変えていく必要があります。しかも頭だけでできるスポーツではなく、強靭な体力が必要です。
こんな話は、隣組を怖いと批判する人々には通じないのでしょうか?
戦前の隣組は良くない部分はあったかもしれないけれど、少なくとも、私の実家の周りは、みんなで助け合って生きてきました。体が弱ってきた父と認知症の母を抱えた私に、周りの皆さんがどれほど助けてくださったかしれません。
個人主義という考えが戦後に入ってきたわけですが、それは決して人とわかり合わなくて良い、人と集わなくて良いという教えではないと思います。
自分が人と違っていても、少しだけ歩み寄る姿勢を持って欲しいです。また、一人だけが違っていることを決して悪く言わず、仲間はずれをしないように、親が子供にきちんと教える必要もあります。それを確信付けてくれたのはラグビーでした。