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大統領府は「平和的に政権を移譲する」との声明を発表しました。

2015-11-13 | しんぶん赤旗

ミャンマー 政権交代確実

大統領・軍司令官 スー・チー氏に祝意

 

 

 8日に投票されたミャンマー総選挙は、アウン・サン・スー・チー党首率いる最大野党・国民民主連盟(NLD)が上下両院で単独過半数を得て政権交 代が実現することが確実な情勢です。テイン・セイン大統領とミン・アウン・フライン国軍司令官は11日、それぞれスー・チー氏に祝意を表明しました。

 選管発表によると、これまでにNLDは上下両院(定数合計664、軍人指定議席が4分の1の166)の民選議席498のうち291を獲得。大統領府は「平和的に政権を移譲する」との声明を発表しました。

 同国では1962年から2011年まで軍政が続き、現政権与党の連邦団結発展党(USDP)も軍の影響下にあります。

 来年2月に招集される新議会は上下両議員の全員投票でNLDが推す候補を大統領に選出すれば、54年ぶりに民主的選挙を通じた文民政権が誕生します。

 ただ、現憲法は外国籍の家族を持つ人物の大統領就任を禁じています。憲法改正がなければ、英国籍の息子を持つスー・チー氏は大統領になれません。

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内部に氷をいっぱいまで入れた場合、15トン積トラックで百済氷庫は5台分、朝鮮氷庫は約10台分と推定。

2015-11-13 | 韓国ハンギョレ新聞

百済の古都扶余で氷を保存した「氷庫」跡を発見

登録 : 2015.11.12 01:17 修正 : 2015.11.12 05:50

 

百済泗ビ都邑期(538-660)の氷庫は初めて…氷を入れれば15トン積トラック5台分…朝鮮時代の氷庫は10台分の規模

朝鮮時代の氷庫発掘過程 =百済古都文化財団提供//ハンギョレ新聞社

 百済の古都である忠清南道扶余(プヨ)で当時の都城の人々が氷を保存した倉庫である氷庫(氷室)跡が発見された。

 

 扶余郡と(財)百済古都文化財団は泗ビ都城跡付近の白馬江(ペンマガン)の渡し場だったクドゥレ(名勝63号)遺跡と都城跡西側の羅城(史跡58号)付近を調査し、四角いくぼみ形の百済と朝鮮時代の氷庫跡を相次いで発見したと11日発表した。

 

扶余百済氷庫発掘現場 =百済高度文化財団提供//ハンギョレ新聞社

 氷庫が発見された場所は泗ビ都(サビト、ビはさんずいに比)城の重要な拠点で、昔から官衙があった村だ。古くから氷庫里、氷庫集落という地名で呼ばれ、 氷庫があったと推定されてきた。 確認された二つの氷庫跡は冬季に凍った川などから切り出した氷を長く保存する四角いくぼみと、溶けた水を送りだすための排水路で構成されている。 百済氷庫跡(写真)は7.2×4.7メートル大で、深さは1.9メートルあり、くぼみの底部は中央部が最も低くなるように凹んで均されており、排水路につ ながるT字形の出口が付いているのが特徴だ。 長さ4メートル余りの排水路跡とあわせて当代の氷保存と活用の様子を具体的に推定できるようになったという説明だ。

 

朝鮮時代の氷庫 =百済古都文化財団提供//ハンギョレ新聞社

 朝鮮前期のものと推定されるもう一つの氷庫跡(16.4×6メートル)は、百済氷庫よりはるかに大きく、四角い石を切って両方の壁に積んだ。 調査団が容積を計算してみると、百済氷庫は約48立方メートル、朝鮮時代の氷庫は約100立方メートルであった。 内部に氷をいっぱいまで入れた場合、15トン積トラックで百済氷庫は5台分、朝鮮氷庫は約10台分と推定された。

 

百済氷倉遺跡の全景 =百済古都文化財団提供//ハンギョレ新聞社

 百済氷庫跡は初期漢城(ハンソン、現在のソウル)都邑期の忠清南道燕岐(ヨンギ)羅城里跡、公州(熊津(ウンジン)都邑期の公州艇止山(チョンジサン) 遺跡で確認されたことがあるが、泗ビ都邑期の氷庫の発見は初めてだ。 伝統氷庫は18世紀以後、慶州(キョンジュ)石氷庫のようにほとんどが石を積んだ石氷庫なので、今回発見された二つの氷庫跡は石氷庫より早い時期の氷庫の 構造と変遷過程を明らかに重要な糸口になるという評価だ。

 

ノ・ヒョンソク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

 

韓国語原文入力:2015-11-11 19:55
http://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/716951.html 訳J.S(1183字)

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地主が異臭に気付き、掘削調査でコンクリート片や木片、ビニールなどが埋まっているのを確認、防衛局に

2015-11-13 | 琉球新報より

基地跡にダイオキシン 北谷宅地、地中から基準1.8倍

 

 【北谷】米軍嘉手納基地跡地である北谷町上勢頭の住宅地用の空き地で、深さ5・7メートルの地中から沖縄防衛局の調査 で環境基準値の1・8倍のダイオキシン類が検出されていたことが12日分かった。米軍のごみ捨て場だった場所で、町は汚染範囲の明確化や住民説明会を防衛 局に求める方針。

 

 町によると、土地は1996年に返還され、2009年に住民が町から購入した。11年にこの地主が異臭に気付いた。町は12年、掘削調査でコンクリート片や木片、ビニールなどが埋まっているのを確認し、防衛局に詳細な調査を求めた。
 防衛局は2カ所を調査し1カ所の地下5・7メートルから1グラム当たり1800ピコグラムのダイオキシン類を検出した。環境基準は千ピコグラム。土壌汚染対策法対象のカドミウムや六価クロムなど25項目は基準値以下だった。
 防衛局は5月から調査し、11日に地主代理人と町に中間報告をした。防衛局は「地中から取り出さない限り人体に影響はない。建設工法によっては対応が必要だ」と説明したという。

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