敗戦を控えた日本が、長野で英語堪能者を探した理由は?
大本営の地下壕移転工事時期
長野県で内部文書発見
敗戦を控え各種方案を絞り出したもよう
旧日本軍が一カ月先に敗戦を控えていた1945年7月、地方の長野県で英語堪能者を探していたという文書が新たに出てきた。日本政府が敗戦を一カ月先に控えて、いわゆる「本土決戦」を準備するために各種の方案を探した風景の一つと見られる。
東京新聞は、1945年7月8日に長野県が県内の市町村に対し、日本軍の要請を受けて英語が堪能な米国移民2世の有無を調査するよう要請する内容の秘密指定文書が出てきたと12日報道した。文書は、長野県が旧中川地域(現在は松本市の一部)と旧今井地域(現在の松本市)に送ったものだ。国文学研究資料館の加藤聖文准教授が長野県の松本市文書館にあった資料を探し出した。
文書には「作戦上緊急必要による軍の照会」として、地域内の居住者の中に「『米語(英語)堪能な2世』について調査してほしい」と書かれている。氏名、年齢、日本国籍取得時期を把握し、一週間後の15日までに回答してほしいという内容だ。理由は書かれていないが、米軍が「本州」に上陸する場合に情報収集できる人物を探すためだったとみられる。
長野県内の長野市松代では、当時東京にあった戦時日本最高統帥機関である「大本営」を長野に移すための地下壕工事が真っ最中だった。長野県は、東京から約200キロメートル離れた内陸地方だ。「本土決戦」のためのこの工事には、朝鮮人6000人あまりが動員されたと推定される。1945年7月は、日本軍はもはや沖縄で米軍に対し組織的抵抗ができない時期だった。米軍の本州上陸は時間の問題と見られた時期であった。
中川地域は、長野県の要請に対し「該当者なし」と答え、今井地域では答えたか否か確認できない。長野県には1902年から1924年までに米国に移民した県民が2000人ほどいたが、その後日本に戻った2世は多くなかった。
文書を発見した加藤准教授は東京新聞に、今回の文書が「どういう形で(日本)国民が本土での戦いに巻き込まれつつあったのかを伝えている」と評価した。