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連載 NO.6 第一章 京都は朝鮮と深いつながりの土地

2019-12-11 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好

  第一章 京都は朝鮮と深いつながりの土地

1、向日市寺戸町大牧・桓武天皇皇后陵 

 私が生まれ、住んでいる京都府向日市向日町は桓武天皇が西暦784年奈良の都を長岡京に移した中心地、大極殿のすぐそばです。さらに794年に京都平安京に遷都されました。だから向日市には桓武天皇皇后陵(皇后陵は歴史家の間で論争があるようです)があり、桓武天皇陵はそこからよく見える京都伏見区桃山町にあります。

 桓武天皇は諱(いみな)を「山部(やまのべ)」といいます。母は高野新笠(たかののにいかさ)、といい百済系帰化人の家系出身です。坂上田村麻呂を征夷大将軍として東北地方を平定した天皇として有名です。平清盛に代表される桓武平氏の祖としても知られています。

 

 京都の都の造営(都市計画)は朝鮮人技術者の指導でつくられた

 長岡京も平安京も秦氏で造営された都です。ですから、現在も京都には朝鮮とつながりが深い場所や施設が多く残っています。

 朝鮮人の母から産まれた桓武天皇が長い間生活していたのが、向日市と京都市なのです。だから今、この土地に住んでいる私たちが、差別意識をなくし、朝鮮・韓国との友好親善のために努力することは大変意義深いことだと思うのです。

2、松尾大社は、秦一族の氏神

 阪急電鉄京都線、桂駅で嵐山線に乗換え二つ目の駅が松尾大社駅です。                 松尾大社駅のすぐ前に「松尾大神」の大鳥居が目にはいります。その西側一帯が「松尾大社」の境内です。松尾大社には次のような説明文が出ています。

 五・六世紀の頃、秦の始皇帝の子孫と称する(近年の歴史研究では朝鮮新羅の豪族とされている)秦(はた)氏の大集団が、朝廷の招きによってこの地方に来住し、新しい文化をもってこの地方の開拓に従事したと伝えられております。松尾大社は、この秦氏がたてた神社です。

 また秦氏は保津峡を開削し、桂川に堤防を築き、今の「渡月橋」のやや上流には大きな堰(せき=大堰→大井と言う起源)を作り、その下流にも所々に水を堰き止めて、そこから水路を走らせ、桂川両岸の荒野を農耕地へと開発して行ったと伝えられております。(中村哲さんのようですね!)酒造については秦一族の特技とされ、室町時代末期以降、当社が「日本第一酒造神」と仰がれるようになりました。織物も普及しました。

 奈良時代の政治が行き詰まると、長岡京へ、次に平安京へ遷都を誘引したのも秦氏の膨大な勢力によるものとされています。だから秦氏は京都を造った功労者だと言えるでしょう。松尾大社のまつりごとは、秦氏の子孫がつとめるようになったといわれています。桂川の橋を渡った北側に京都朝鮮第2初級学校が立っていますが、良い場所を選ばれたものです。

 嵐電の駅は秦氏のゆかりの土地ばかり…

  嵐山の観光名所の一つに天竜寺がありますが、その前の「嵐電・ランデン」嵐山駅から四条大宮と北野白梅町まで京都の観光名所をゆっくり走る情緒あふれるローカル線があります。秦氏にまつわる地域を走っています。丁度中ほどに、「太秦広隆寺」と言う駅があり、国宝第一号「広隆寺の弥勒菩薩像」があるところです。韓国ソウル博物館の弥勒菩薩と非情によくにていて新羅の国から伝わってきたのか、新羅の仏師が創ったものだと言われています。太秦には、秦氏が住んでいたことがよくわかる史跡が多く残っており地域ぐるみ朝鮮文化を引き継いでいるところです。京都にに来られたらぜひ嵐電に乗ってください。

          

 

 

 


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