どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

経済のことはわからない

2016年11月12日 | 日記
晴天になり 気温も上がった

今時の気候としたら これが普通だろうと安心する

家を見に行った帰りに買い出しをする


一人になった頃からか 私はあまり買い置きをしなくなった

インスタント食品も買わないので キッチンの収納は不要に近いくらい

あるのは わずかな缶詰と日本茶くらいで 他は冷蔵庫での保管でほぼ間に合ってしまう

特売だとか 安くなっているからと調味料などを買うことも無いし トイレットペーパーもティシューも洗剤も減ってきたら買うという生活で これが一人暮らしというもの

侘しくもすっきりとした生活


こんな私でも 日本人の平均的生活を世界中の人が享受しようとしたら 2倍以上のエネルギーや食糧や資材が必要になるときくと 貧しい国や人々を踏み台にしているような気もしてくる

メモ帳など山のようにあるのに 片面印刷の新聞の折り込み広告をメモ書きに使っていた親のことを思い出しては 思わず笑ってしまうけれど 食品の廃棄率が高いときくと 経済のことがすっかりわからなくなる

資源を大事にという一方で商品もサービスも溢れかえり それでも物が売れないと嘆き 購買欲を煽る広告も多い

贅沢と莫大な資産が芸術を育て 文化を発展させ 守ってきたという事実も確かにある

世界中の誰もが平均的生活を送れる世の中になったとして そして それ以上のものを許さないとしたら ひとはそれで満足できるのかどうかは疑問だ


今 私は小さな家を新築中である

これに使うちっぽけな資源でさえ 世界中の人が同じものを望んだら(まあ これを望むと考えるのも可笑しいことだけれど) 間違いなく不足するだろう

食糧にしても水にしても医薬品にしても都市計画にしてもエネルギーにしても 同じだろうと思う

何言ってるの この日本で

生活する家は必要だし ごく普通の家なのだし そもそも自分のお金ではないの

多少であってもお金を使えば 経済貢献にもなるでしょう

それはそうだ

それでも何か すっきりと腑に落ちない気持ちが残るのは なぜだろうか

日本に生まれて良かったね とか 豊かさとは何か とか 物を大事にしようとかいった話ではない

やっぱり私は経済の事がまるで何もわかっていない

コメント (4)
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