どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

所詮 戯言

2015年12月18日 | 日記
今年60歳になった私は 当然戦後の生まれである

私は両親の とりわけ赤紙一枚で戦地に行かざるをえなかった父の話を聞いて育った

今にして思えば 両親にとってはつい最近の出来事だったのだとわかる(当時は 遠い話のように思えた)

まだ小学校にも行かない頃 繁華街でハーモニカを吹きながら小銭を稼ぐ人がいて 私はなんだかわからないのに親にお金を貰って 彼の前の箱に小銭を入れた記憶がある

私の原体験はそれくらいで あとは親の話と本や映像で知った


先日 野坂昭如氏が亡くなった

私は土曜の永六輔の番組を楽しみに聴いていたが 彼の体調も鑑みてのことだろう 月曜の夕方からの放送になり 時間も大幅に短縮されたものになった

午前中は動くと決めている私には残念な移動で 聞く機会を失ってしまった

そこで きっとこの番組を聴けるものがネットのどこかにはあるだろうと思ったら ビンゴ!


半レギュラーでもある北山修がその日のゲストだった

戦争を知らない子供たち の世代の始まりだ

なにかというと戦争の話を持ち出す少し上の世代が目の上のたんこぶのように 今の言葉でいえば「うざい」と言う感覚に近かったようだ

戦争を肯定しているわけでは決してないのだが 彼らの世代にしかわからない気持ちがあるのだと知り そういう年代の人なのだと面白かった

私のようにノーテンキな年代とはまた少しだけ違う

ふと ガンジーの不肖の息子のことを思い出した


私の心がまだスポンジだった頃に 戦争の日本を生きた人々の本を読んできたのだと 本の整理をしていているとよくわかる

活躍している人々が年上であれば当然のことだったのだが そうした作家で鬼籍に入られた方も多くなってきた

新たな時代に 新たな問題が起こっている

野坂氏は 飢えた子どもの顔は見たくないと言った

飢餓は命の源を支える大問題であるが 今はまた別の意味での子供の飢餓があるようだ

 
とても無邪気だった頃 人は幸せに向かって学び 働き 貢献し 科学も進み それがにんげん全てを幸せにすることなのだと私は思っていた

それは 甘い とても甘い私の幻想だったのだろうかと今は思う


ところで こうして文字に書くとなると どうも堅くなっていけねぇ~ と思っている

文字は怖いものだ 表情が見えないからね

ビールを飲みながらの日記だから ウソは無いけれどその程度のことだ

所詮 戯言に過ぎない
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小さな旅

2015年12月17日 | 日記
冷えるという予報通り気温は下がった

けれどもまだ あのシンシンとした寒さでは無い

今からそれでは 冬眠と同じような生活の私でも悲しくなってくるというもの


今日も本の整理をする

『スペインの庭師』(A.J.クローニン著)が出てきた

読んだ記憶はある(中には手に取るのも初めてと思うようなものだって出てくることがあるのだ)

その本にかけたカバーを外していたら そこに「心が開いている時だけ この世は美しい」という言葉が 私の手で書かれてあった

果たしてこの本の中の言葉なのだろうか

それともふと耳にした言葉を書き留めたのだろうか

検索してみた

そして ゲーテの言葉だとわかった

「あなたの心がふさいでいるときには あなたは何も見ることができなかったのだ」と続く


『いきいきと生きよ―ゲーテに学ぶ』という本を読んだことがあるが おそらくそれはもっとずっと後のことのはずで この時の私がどうしたいきさつでこの言葉を知ったのかは謎のままだ

こうした格言や名言に限らず 本を読んでいると心のヒダまで入り込んでくる言葉や ぐっとわしづかみにされたような表現に出会うことがある

映像でもあるだろうが 本の場合 しばしそこで止まって咀嚼できるところが良い

おそらく この言葉はその時の私の気持ちに寄り添う言葉だったのだろう


この『スペインの庭師』以外の彼の作品を私は読んだことがない

かなり昔に映画化されており 『ベニスに死す』『地獄に堕ちた勇者ども』や『愛の嵐』のダーク・ボガードが主演だったことは検索で知った

どんな話だったかもすっかり忘れていた私は パラパラとめくっていくうちに思い出した

父と息子の葛藤 息子が慕う庭師 という設定から ふと昔見た映画が浮かんだのだが題名がなかなか思い出せない

色々と検索ワードを入れてやっとわかった


それは グレアム・グリーンの『落ちた偶像』だった

キャロル・リード監督の映画だということを今日まで知らなかったし 俳優も知った人ではないけれど ずっと昔 まだTV局が昼間や夕方に洋画を流していた頃に見たことだけははっきり覚えている

それほど印象的なストーリーだった

このあとに『第三の男』が撮られることになる


たった1冊の本の裏に書かれた言葉が 私を小さな旅に誘い出してくれた そんな気がする日

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逆さ札

2015年12月16日 | 日記
今日はおそらく今年最後の高温日になるかと思うほどのお天気である

となれば奥さんは忙しい

うちに奥さんなんて居ないのだけれど(マダムとフランス語で言うならば 年齢的には十分マダムではある) だから 勧誘の電話で「奥様でいらっしゃいますか」と尋ねられると「いいえ」と意地悪く答えるのだが まあ 家事をする身であれば男女問わず忙しい日である(と思う)

朝から洗濯 買い出し(本売り含む) 台所の不要物の整理(まだまだお鍋やフライパンがある) そして今日のイッパイのための料理を作り 明日から冷えるというのでハッシュドビーフを作る

それから再び本の整理


遂に例の箱に手を付けたら 10代の頃の文庫本が山のように詰まっていた・・・・

変色が激しいし 売り物になりそうな物はほとんど無さそうだが とにかくカバーを外して紐で縛るしかない

筒井康隆 安倍公房 五木寛之 吉行淳之介 安岡章太郎 三島由紀夫 大江健三郎 坂口安吾 三木清 亀井勝一郎 夢野久作 北杜夫 谷崎潤一郎 他にも数々

外国のものは アラン・シリトー ゴールズワージー オスカー・ワイルド ドストエフスキー ホーソーン ラディゲ ブラッドベリ アシモフ ジャック・ケルアック カミュ サガン サルトル ゾラ カフカ・・・・キリが無い

歴史が続く限り学ぶべき歴史は増えるし それと同じように読むべき本も増えていくのだろうから いくら現在まで生き残った古典というものに価値があると言われても これからの人にとっては寿命がどれだけ延びたとしてもそうそうは読めないだろうと思う


今日はけっこう動いたぞ

だからご褒美の一杯を頂いている

ラジオで「逆さ札」の話を聞いた

12月12日は 石川五右衛門が生まれた日であり それを逆さにすれば釜茹でになた日となり(そうなるのか?)泥棒がそれを見て犯行を断念するだろうという「泥棒除け」なのだそうだ

生まれた日が記録に残っているとは思えないけどね

辞世の句が「~ 世に盗人の 種は尽くまじ」ということで 盗人を他の語句に換えても色々と出来そう

ここで「大喜利」をする気はないけれどね

「安」を逆さ札にしてみるか
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今年の漢字で作ってみた

2015年12月15日 | 日記
この頃の起床は7時過ぎ

まだ暗いうちに目が覚めることもあるが 暖房を入れてまで起きる必要も無く 明るくなるのを待ってのことになった

これだから冬は嫌いだ

それでも日の落ちる時間のピークは去った

日の出が早くなるのはひと月先になるけれど もうひとがんばりだ

あははは 頑張ろうが頑張るまいが自然はそうなっているのだが


今年の漢字は「安」だそうだ

二位が「爆」であり三位が「戦」だそうだ

これで小噺でも川柳でもできそうじゃないか

安全の ための爆弾 戦(いくさ)へと (粗忽)

安倍さんの安かもしれんなぁ

人命が 戦の爆弾より安い(粗忽)

戦場で 爆売りされる 命かな(粗忽)

お粗末様でした~~


今年の漢字なんていつも気にしちゃいないけど それなら今年の私の漢字はと考えてみた

「捨」だろうか

職を捨て 親のものを捨て そして大事にしまいこんでいた本を捨てている

他にはCDだのレコードだの切手だのがまだある

けれども過去を捨てるつもりは無い

そして思い出も

人生だってまだまだ捨ててはいない

「整」だろうか

整理をし これから先の人生を整える

経済も健康も生活の仕方も調整していく


人それぞれ今年の漢字と言えるものがあるかもしれない

それが希望に満ちた文字であるようにと願う

※ 12/21 日付の間違いを訂正する

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Driving home for Christmas

2015年12月14日 | 日記
また一週間が始まった

月曜が来るとそんな気になるのは まだ労働者時代の習性が残っているのか

今日も本を売りに行く

こちらが店員さんの顔も覚えてしまったくらいだから おそらくは向こうにとってもこの私もすっかり常連になっていることだろう

古物売買に関しての記入に職業を書く欄がある

当然私は無職に丸をつける

お金に困って売りに来ているのかしら と店の人は思っているかもしれない

いったい何冊あるのだろうかとも思っているだろうなぁ


本を売りに行った帰りにカレンダーと年賀はがきを買う

世の中はすでにクリスマスと正月気分が混ざり合い 毎日が日曜日の私でも自然に年末気分が高まってくる

我が家からクリスマスが無くなって久しい

独りでも祝うようなキリスト教徒でもあるまいし・・・ と思っていたら 数ある私の大好きなクリスマスソングの中でも上位に入るほどの曲が流れてきた

クリス・レアの「Driving home for Christmas」

今年はちょっとだけ何かしてみようかな なんてふと思ったりもした
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