今年最後の一泊二日の講座が終わったので、ほっとしたのか、
朝からぼーっとしていていて、何もする気が起きません。
なにかおなかに優しいものを食べたいと考えて、
蕎麦粉のお好み焼きを作ることにして畑にキャベツをとりに行きました。
降り注ぐ日差しもあかるくて、やわらかい春の気配を感じます。
年を越して寒さが厳しくなるとカリフラワー類は、
低温障害で黒くなってしまって食べられなってしまいます。
そんな寒さの中でも、キャベツは甘みを増して、
ブロッコリーの仲間は花芽を膨らませていきます。
特に寒さに強いのが紫ブロッコリーや紫キャベツ。
紫の色素(アントシアン)を濃くして、寒さから実を守ります。
カリフラワーとブロッコリーが交配してできたという
イタリア原産の「ロマネスコ」 。
フレンチやイタリアンなどの高級料理に登場するようです。
寒さに強くて、冬になると大きくなり始めます。
まだちょっと小さいので、今日は見るだけです(笑)。
別名、うずまきブロッコリー、珊瑚ブロッコリーともいいます。
「サンゴショウ」という名前にナットクの「造形美」。
この形状、フラクタル図形というそうです。
キャベツの隣りの畝には、すっかり花が開いてしまったコウサイタイ。
コウサイタイは菜花のように、花芽と茎を食べるのだけど、
これでは開きすぎて、ちょっと食べられないかな。
それにしても、うつくしい花。
折り取って畑に捨ててしまうには惜しいので、
ひとあし早い、はたけの春を、
家のなかに運んでゆくことにしましょう。
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ここ数日のたまった新聞をじゅんばんに読んで、
今朝の新聞を開いたら中日新聞の社説は、天童荒太さんの「悼む人」のこと。
「悼む人」については、わたしも年末にブログで取り上げて、
この本が「直木賞」を受賞したので、今でもけっこうアクセスが多い。
静かで深い『悼む人』(天童荒太/文芸春秋/2008)。 (12/25)
■第四回:静かな作品世界(2)
拝啓 天童荒太様 天童さんへのメッセージ
ということで、中日新聞の社説、紹介します。
【社説】「悼む人」はだれですか 週のはじめに考える 中日新聞 2009年2月1日 北風吹きぬく寒い朝には、親しい人や地域のぬくもりが、恋しくなってしまいます。人が人をいともたやすく切り捨てる、「厳寒期」ならなおさらです。 今期の直木賞を受賞した天童荒太さんの「悼む人」には、「あとがき」がありません。四ページに及ぶ長文の「謝辞」が、巻末を結んでいます。 「この物語を書けたこと、書かせてもらえたことが何よりの幸福でした」 編集者や家族に向けたお決まりのあいさつにはとどまらず、ともに長い旅路を終えた「仲間たち」への敬意がにじんできます。 愛された記憶とともに 主人公の青年は、新聞や雑誌の記事を頼りに事件や事故の現場を訪ね、見ず知らずの人の死を悼む旅を続けています。 「その人は、誰を愛したか。誰に愛されたか。どんなことで人に感謝されたことがあったか」(第五章「代弁者」) 同じ質問を故人の縁者や近所の人に繰り返し、愛し、愛された記憶とともに、その人生を自らの心に深く刻み込もうと念じます。 青年は、それを供養ではなく「悼み」と呼んでいます。 執筆のきっかけは、八年前の「9・11米中枢同時テロ」でした。 天童さんは「痛みを抱えながら生きている人と、ともに歩いていくような作品を書きたくなった」と語っています。 あの日、音を立てて崩壊したのは、二棟の白い摩天楼だけではありません。報復と憎悪の連鎖は、世界中を疑心暗鬼に陥れ、信頼のきずなを引き裂きました。 「普通の主婦なんていません。一般市民という人間もいません…特別な人が死んでいます、特別な人が殺されています」(第九章「理解者」) ご近所同士で支え合う 人が人を使い捨てにできる社会も、どこかおかしい。分け隔てなく他人の死を悼み、かけがえのないその生を心に刻む青年は、報復と憎悪に歯止めをかける希望の象徴です。 今も続く不安の中で、人は「同伴者」を求めています。長い「謝辞」には、「悼む人」という「同伴者」を見いだした作者の安堵(あんど)もにじんでいるようです。 「今ぼくに何かあったら、家族はどうなってしまうのだろう」 近藤ナオさん(31)は、漠然とした不安にとらわれました。 四年前。名古屋から進学のために上京し、渋谷に住んで八年目、商品開発の仕事は順調でした。結婚し、やがて子どもも生まれるというのにです。 「自立」が過度に称揚されて「依存」と言えば罪悪視、福祉や教育、環境などもお金でやり取りすればいいという小泉構造改革絶頂期の風潮に、近藤さんは、なじめませんでした。 子育てでも介護でも、防災でも環境でも、昔のようにご近所同士で気軽に支え合う、親密な地域を取り戻すことはできないか。 そこで二〇〇六年秋、仲間たちと“創立”したのが「NPO法人シブヤ大学」です。 渋谷区全体をキャンパスに見立て、区民から講座を募ります。「子どもが聞く、お父さんの子育て日記」(先生・新米お父さん)、「兄弟姉妹の喧嘩(けんか)&仲直りのしかた」(先生・男子小学生)、「囲碁から学ぶ、勝利の哲学」(先生・囲碁クラブ代表)-など。いつまでも卒業しないのが優等生。本当の狙いはコミュニケーションの復活、地域の再生です。 地元企業や町内会、PTAなども次々に巻き込みながら、これまでに延べ二百五十講座を開き、約一万一千人が参加しました。受講者の五割を二十代、六割を会社員が占めています。 インターネットの仮想世界に遊び疲れた若い世代が、現実のネットワークを求め始めたのでしょうか。世界はお金で結ばれていると誤解していたビジネスマンが、金融危機でそのもろさに気づかされ、真に強いきずなを探しに来るのでしょうか。 去年生まれたばかりの近藤さんの第二子は、ダウン症と診断されました。でも今、父親の近藤さんは、不思議に不安を覚えません。 ともに悼み、ともに歩き 有り余るモノと情報に惑わされ、私たちは「個」を過信し、「孤」に傾き過ぎていたのかもしれません。 摩天楼に象徴された権威やお金の価値が揺らぎ始めた今だから、ともに悼み、ともに歩き、お互いの記憶を心に刻み、支え合う隣人や地域のことを見直すべきではないのでしょうか。 痛みを抱えながら生きている人と、ともに歩いていくような存在でありたいと、私たちも願ってやみません。 (中日新聞 2009.2. 1) |
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