みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

『幸せな子 アウシュビッツを一人で生き抜いた少年 』/オバマ大統領に感じた二つの失望(上野千鶴子)

2009-02-11 17:10:15 | ほん/新聞/ニュース
新聞の書評に載っていたので読みたかった『幸せな子』。

なかなか見つからなくて、図書館と「カルコス」をはしごした日に、
やっと見つけて買いました。


『幸せな子 アウシュビッツを一人で生き抜いた少年 』
トーマス・バーゲンソール (著), 池田 礼子 (翻訳), 渋谷 節子 (翻訳)
/朝日新聞出版 (2008/10/21)


アウシュビッツを生き延びた少年のものがたり、というにはあまりに重い。
関心のある方は、ぜひお読みください。

幸せな子―アウシュビッツを一人で生き抜いた少年   
[著]トーマス・バーゲンソール
朝日新聞 [掲載]2008年11月30日
[評者]松本仁一(ジャーナリスト)
■信念とけなげさに幸運が目を止めた

 1944年のアウシュビッツ収容所は食べる物さえろくになく、人々はやせ衰え、働けなくなればガス室に送られた。子どもは役に立たないからと、多くが殺された。
 その地獄を、10歳で親と引き離されたトミー少年が奇跡的に生きのびる。一体どうやって生き抜いたのか――。
 著者のトーマス・バーゲンソールは国際司法裁判所の判事。チェコ生まれの米国人だ。ホロコーストが「歴史化」していく中、その一つ一つの生や死に人間の顔があるのだということを訴えようと、体験を本にした。
 生きのびたのは、一言でいえば幸運だったからだ、と著者はいう。
 収容所でガス室送りの選別があったとき、親しくなったポーランド人の医師が、リストからトミーの名前をこっそり外しておいてくれた。
 チェコを移送される貨車で、食べ物がなくて死にそうになったとき、跨線橋(こせんきょう)から地元の人たちがパンを投げてくれ、おかげで持ちこたえた。
 しかしそうした幸運は、トミーが自分から呼び込んでいるように思える。
 親衛隊が子どもを選別しているとき、彼は前に出て「大尉殿、僕は働けます」と訴える。面食らった大尉はトミーを選別から外してしまう。
 またある時は「子どもは前に」という命令を無視して列の後ろに隠れる。大人に押されても前に出ず、そこでも選別をまぬがれる。
 自分は絶対にお父さんやお母さんに会える。彼はそう信じていた。生きることをあきらめた多くの人々の間で、彼の生きようとする信念とけなげさはひときわ光っていたのだろう。だから幸運が彼に目を止めたのだ。
 アウシュビッツからの「死の行進」の途中、選別がある。グラウンドを端から端まで走れ。走れなかったらガス室だ。大人が力つきて倒れる中、トミーは親衛隊と軍用犬の間を必死で走りぬけた。ここであきらめるつもりはなかった、と彼はいうのだ。
 先行きの見えない時代である。そんな時代にいる私たちに、10歳の子が生き方を教えてくれている。
    ◇
A Lucky Child、池田礼子・渋谷節子訳/Thomas Buergenthal 34年生まれ。
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アウシュビッツを生き延びた人たちのすざまじい書物  
『幸せな子 アウシュビッツを一人で生き抜いた少年』
 トーマス・バーゲンソール著 池田礼子 渋谷節子訳 
朝日新聞社出版 1800円(税抜き)
日経BP 松島 駿二郎 

 ナチスの強制収容所の大量虐殺はホロコーストと呼ばれる。なかでも、強制収容所でもっとも悲惨だったところは、アウシュビッツであって、ポーランドの片田舎の広大な荒れ地に建設された。ヒトラーの人種浄化政策によって送り込まれたドイツやポーランド、東欧のユダヤ人たちがおよそ600万人という規模で、大虐殺された収容所である。
 本書は、チェコスロバキアで1934年に生まれたトミーという少年の物語で、トミーを一人称にして語られる。トミーが父母と共にアウシュビッツに送り込まれたのは44年のことだった。強制収容所ではユダヤ人たちはほとんど紙屑同然に扱われた。
 人間ではなく、単なる余計なものとして遇され、チクロンBという、猛毒の青酸性のガスを噴出するガス室に放り込まれた。ユダヤ人たちの運命を分けたのは、ドイツ人守衛の小さな首肯だけだった。トミーは時に運良く、時に聡明にガス室行きを逃れて、ドイツの敗戦と共に終戦となって、解放される。
 アウシュビッツに入所したときにトミーは父母と離ればなれになった。そして、解放後、奇跡的に母と再会する。母と子は2人して、一度も再会できることを疑わなかった。いつの日か出会えることを祈念しつつ、戦後の荒廃のドイツを彷徨っていた。
 ところが、収容所を生き延びた仲間たちから、トミーの母親の情報が漏れてきた。母親もトミーと同じように、収容所生き残りの人々からトミーのことを聞き出そうとした。2人の努力は46年12月に報われた。ドイツのゲッチンゲンという大学町(グリム兄弟が活動した町)で、報われた。奇跡的な再会だった。2人は抱き合ったまま、日が暮れるまで動かなかったという。同時に父がガス室に消えたことも知った。
 51年、トミーはひとりでアメリカに赴いた。憧れの国だった。ドイツのゲッチンゲン暮らしにはトミーは慣れなかった。
 アメリカに入国してから、本書の記述は一人称の「僕」から、「私」へと変わる。トミーは一人前の大人になったのだ。そして、どうしてアウシュビッツを生き延びたのかと聞かれるたびに、街角に生きているストリート・チルドレンのことを話すようになった。
 ストリート・チルドレンはいかに幼くても(トミーがアウシュビッツに入れられたときほど)ずるく、事情通にもなるんだ、と説明したという。まさしくトミーはずるく、事情に通じていたからこそ、アウシュビッツの地獄を生き抜いた。
 アウシュビッツでの体験は大きな、トラウマをもたらす。収容所そのものでは生き抜いても、何人かの人々はこのトラウマの圧力には耐えられない。プリモ・レーヴィーというイタリアの詩人は、帰還後、文筆家・詩人として成功しながら、トラウマのせいで自死したという例もある。
(以下略)
(2009.1 .21 )


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一緒に買った『婦人公論』2月22日号。



上野千鶴子さんの緊急インタビュー、
「大統領就任演説で感じた二つの失望
世界のリーダーを自任したオバマは平和主義者ではない」
が掲載されています。

わたしは深夜、大統領就任演説を、ひとり東京のホテルで見ていましたが、
オバマが「アメリカよ」と呼びかけるたびに
下手なプロパガンダの演説を聴いているようないーやな気分になり、
(同時通訳が下手だったこともありますが)就任演説に感動しなかったので、
就任演説の記事を、ブログに書く気になりませんでした。

英語が理解できないからかと思い、あとで文字になった演説全文を読みました。
感想は、一言でいえば「メッセージ性が低い」。
つまらなくて(笑)、眠かったはずです。

わたしは子どものころから「国というもの」を信じていません。
オバマは強大な軍事力を持つ「アメリカ」合衆国という国の大統領なんだから、
「ナショナリスト」でないはずはない、ですよね。

政治家は、なにを言ったか、はもちろんですが、なにをやったかが問われます。
そういう意味で、オバマ大統領が何をしようとしているのか、
ほんとうに、アメリカを変えることができるのか、
アメリカの政治をどのように変えるのか、をじっくり見極めたいと思っています。

 この号の緊急企画は
「女たちよ、あきらめるな不当解雇に負けない!」、
特集は「私を豊かにする性愛」で、どちらもおもしろいです。

今日は朝からずっと、ひとり静かに本を読んでいて、
ふと外を見ると、もう暗くなっててこんな時間。
  
昼ごはんを食べてないことに気がついたので(笑)、
カーテンを閉めてから、昨日Hさんから届いた「デコポン」一個と、
ストーブのなかで丸ごと焼いたジャガイモの、

残りをストーブの上で焼きなおして食べました。

皮が赤くてなかが黄色いのでサツマイモにみえますが、ジャガイモです。
赤いのはレッドアンデスとアイノアカ、白いのは(たぶん)トウヤ。

おなかのなかから、ほっこりあたたかくなりました。


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