みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

145万部突破の『1Q84』(村上春樹)1と2、読みました/グラジオラスと早咲き?カサブランカ

2009-06-29 20:13:05 | ほん/新聞/ニュース
お昼過ぎ、裁判所に準備書面を出しがてら、
近くの「更科(さらしな)」で蕎麦を食べた。

ともちゃんはいつもの「冷やしたぬきダブル揚げ5枚増し」、
わたしは「おばけの並み」↓。

天かすなしの、あったかいお揚げだけ乗った蕎麦のことです。

帰ってきて車を降りたら、草むらになにやら白いもの。
  
草むらに見えるのは、パンジーが植えてあった花壇で、
白いものは、カサブランカの花。
いつもは7月下旬なのに、背丈が低い一輪がもう咲いている。
他のカサプランカはまた固いつぼみなので、突然変異なのだろうか。
「モグラに球根を食べられた刺激じゃない」とともちゃん。

雨が降り出しそうだったが、カサブランカのために、と
一気に花壇の草刈りをした。
草むらのなかで、茎を虫に食べられてた2本を家の中に。
グラジオラスも、昨日からの大雨で、地面に寝てしまっていたので
 
長めに切り取って、水揚げして、一緒に花瓶に活けた。


ともちゃんが畑からとってきたばかりの、トマトとナスで
夕ご飯のおかずを作っているのを横目に、わたしは、ブログを書いている。


ご飯を食べ終わって元気が出たので、続きを書くことに。

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『1Q84』1と2 、昨日読みました。

分厚い本なのですが、いままでの村上作品と同じように、
割りと読みやすく、一気に読んでしまいました。

  

1を読み終えて、後半の2はもっと盛り上がるかと思ったのですが、
淡々とものがたりは進んで、展開はそれはそれでおもしろいんだけど、
前評判の高くて期待が大きかった分、最後のほうはなんか肩透かしの感。

女性がたくさん登場するのだけど、
うーん、なんか彼女たちの描き方が、男の視点なんだよな。

村上春樹さんの本はたくさん読んでいるのだけど、
だいたい、さらさらと読めてこんな感じ。
心に深く迫って感動する、っていったら、やっぱり
天童荒太さんや中村文則さんのほうかな。

いずれにして、村上春樹さんの『1Q84』はいま評判の本なので、
あなたも是非自分で読んでみてください。

以下は、『1Q84』関連の記事です。

 1984年 /京都 
毎日新聞 2009年6月29日 地方版

 1984年と言えば25年前、昭和59年です。私は初任地の松山支局で入社4年目を過ごしていました。26歳。ジョージ・オーウェルの小説「1984年」を読もうと思いながら、途中で読むのをやめたことを覚えています。では世の中、どんな年だったか。あまり記憶がありません。年表を見ると……。
 中曽根首相が現職首相として戦後初めて靖国神社を年頭参拝▽週刊文春が「疑惑の銃弾」のタイトルで「ロス疑惑」を報道▽ソ連のアンドロポフ書記長死去▽グリコ森永事件発生▽ソ連・東欧諸国がボイコットした米ロス五輪開催▽15年ぶりに新札発行(福沢諭吉、新渡戸稲造、夏目漱石)▽レーガン米大統領再選--などがあります。
 マドンナの「ライク・ア・バージン」、チェッカーズの「涙のリクエスト」がヒットし、映画「お葬式」が上映されました。大相撲の高見山、西武ライオンズの田淵幸一、江夏豊が引退、都はるみも「フツーのおばさんになりたい」と引退を表明しました。俳優の長谷川一夫、作家の有吉佐和子が亡くなり、植村直己が世界初のマッキンリー冬季単独登頂後、消息を絶った年でもありました。
 意外にいろいろあったんだな、というのが実感です。今、爆発的に売れている村上春樹の小説「1Q84」(新潮社)を読むと、1984年(小説では「1Q84年」ですが)を舞台にしているため、1984年がどんな年だったか気になり、調べたわけです。
 オーウェルの「1984年」には挫折しましたが、英国のミュージシャン、デビッド・ボウイが1974年に「1984年」をモチーフにして発表したアルバム「ダイアモンドの犬」に収めた「1984年」はよく聞いた覚えがあります。どうせなら「1984年」を読み通しておけば良かったと後悔していますが今さら1984年には戻れません。
 「1Q84」を読んで「1984年」を読みたくなった人は少なくないでしょう。しかし、早川書房から出ていた文庫の「1984年」は絶版になっています。私が持っていた文庫も行方不明です。ところが、来月に同社から新訳で「1984年」が出るとのことです。担当者によると新潮社が「1Q84」を明らかにする前に翻訳者に新訳を依頼していたということですから、本当に不思議です。誰が人の心を読んだのでしょうか。
 私はボウイの「1984年」も再評価されないかと期待します。【京都支局長・北出昭】
毎日新聞 2009年6月29日 地方版



話題の村上春樹さん新作 「1Q84」を読み解く
朝日新聞 2009年6月23日

タイトルの『1Q84』はジョージ・オーウェルの長編『1984年』(49年)を踏まえたもの。『1984年』が近未来ディストピア小説なのに対し、『1Q84』は「こうであったかもしれない」近過去小説だ。現実の84年とは微妙にズレた、月が二つある「1Q84年」の謎めいた世界を描く。ミステリーの要素で読者を引っぱるのは、野間文芸新人賞を受けた『羊をめぐる冒険』(82年)以来、村上さんが得意としてきた技法だ。
 奇数章はインストラクターの女性「青豆」、偶数章は予備校の講師をしながら小説家を目指す「天吾(てんご)」を主人公とする物語が交互する。この手法は、村上ファンの支持が高い『世界の終(おわ)りとハードボイルド・ワンダーランド』(85年)、『海辺のカフカ』(02年)でも採用しており、“勝負球”を放った感がある。
 青豆は教義の厳しい宗教の信者だった親に育てられ、現在は女性を虐待した男性に報復する裏の仕事を請け負っている。天吾は、カルト教団から逃げた少女「ふかえり」が17歳になって書いた小説をリライトし、ベストセラーを生み出す。その小説「空気さなぎ」には教団での謎の体験が投影されている。
 宗教と暴力というテーマは、地下鉄サリン事件の被害者の話をまとめたノンフィクション『アンダーグラウンド』(97年)、オウム真理教の信者に取材した『約束された場所で』(98年)以降、村上さんが考え続けてきた問題で、善悪を単純に二分化できない状況が提示される。
 また、『海辺のカフカ』では父親殺しが描かれたが、『1Q84』では天吾と父親との対決など家族との確執が多面的に描かれている。
 さらに青豆と天吾は同級生だった小学4年以来、互いに思いを寄せながら離れ離れになったままとの設定だ。ここには、大ベストセラーとなった『ノルウェイの森』(87年)に通じる純愛がある。
これまでの代表作の要素を集大成した長編と言えよう。(小山内伸)



「1Q84」止まらない 145万部「ムラカミ特需」
asahi.com 2009年6月24日


知りたい!:村上春樹さん「1Q84」1週間で96万部 大当たり極秘戦略
毎日新聞 2009年6月6日 

平積みされた村上春樹さんの最新作「1Q84」の第2巻=東京都千代田区の三省堂書店で2009年6月4日、津村豊和撮影 村上春樹さんの最新長編小説「1Q84(いちきゅうはちよん)」(新潮社)が爆発的に売れている。5月29日の発売からわずか1週間で第1巻51万部、第2巻45万部の計96万部(6月4日現在)まで増刷。にもかかわらず、第1巻が品切れとなった書店も続出している。出版不況が叫ばれる中、いったいなぜ? その理由を探った。【棚部秀行、高橋咲子】

 東京都千代田区の三省堂書店・神保町本店。売り場には第2巻だけが平積みになっていた。西東京市の団体役員、星川安之さん(51)は既に第1巻を購入。「村上作品は家族や食事、好きな映画のように生きていく楽しみの一つ。生きているって面白いと思わせてくれる。久しぶりの長編だが、根底にあるものは変わっていない」と第2巻を手に取った。
 「話題になっているから来てみた」という茨城県つくば市の大学教員、緒方章宏さん(68)は「先週は両巻ともあったのに」と、第2巻を購入し第1巻を予約した。両巻とも税込み1890円だ。
 発売前から書店の期待も高かった。同店では、事前に過去の村上作品をまとめた冊子を配布。担当者は「日本を代表する作家の5年ぶりの長編小説。お祭り状態にしたいと盛り上げました」と歓迎する。
異例ともいえる現象について、出版ニュース社の清田義昭代表は、発売前から市場が村上さんの新著を渇望する「ハングリーマーケット」を形成していたことを指摘した。「出せば必ず売れる作家だが、今回はタイトルだけを公表、内容を一切紹介しなかった販売戦略が大きかった。(ネット書店大手の)アマゾンが先月20日時点で、国内長編小説としては史上最高の予約部数1万部を記録したことや、発売直前に新潮社が増刷を開始したことが報じられ、話題のキャッチボールが起こった。発売後も品薄感が広がり、読者はどんどん読んでみたくなった」と分析。また今年2月、イスラエルの文学賞「エルサレム賞」の授賞式での講演が話題になったことも、新作への期待が高まった要因の一つとした。
 版元の新潮社によると、社内でも限られた社員数人しか原稿に目を通さないという徹底ぶり。海外のエージェントの協力も得、ブックフェアでも内容を明かさなかった。同様の例では、郷ひろみさんが、二谷友里恵さんとの離婚の真相を語った「ダディ」(幻冬舎)はミリオンセラーになった。
だが、担当者は「戦略ではない」と強く否定する。同社から7年前に出版した「海辺のカフカ」では、原稿入手から発売までに約1年の期間を取り、事前PRに時間を掛けた。このため内容が少しずつ漏れ、読者から「予備知識なしに読みたかった」という苦情が寄せられた。そこで、村上さんと話し合って「実験的に」(担当者)今回の手法をとったという。
 ファンの間では続編の期待もささやかれる。同社は「この2冊で完結しています。次があるかはわかりません」と回答する。「従来の村上ファン以外も読みたくなる。本を読む層を開拓することにもつながるのではないか」と清田代表が話す「1Q84」、出版業界の救世主となるのだろうか。
毎日新聞 2009年6月6日





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介護職場に魅力・誇りを/6/22上野千鶴子さん基調講演/シンポ・誰が私たちの面倒をみるの?

2009-06-29 18:03:37 | ジェンダー/上野千鶴子
午前中から雨が音を立てて降っている。

先月までお花がきれいだった庭は、例年のように雑草が伸びてきた。
何となくだるくて熱っぽくて体調もすぐれないので、
気になりながらも、家でおとなしく本を読んでいる。

村上春樹の最新作、『1Q84』1と2、一日で読了。
長編小説を読むのも、けっこうエネルギーがいる。

ネタばれになるので内容は書かないが、
一言で言えば『ノルウェーの森』に似た感じの純愛もの。
話し自体はふくざつなので、これではちょっと乱暴かな(笑)。

窓の外に目をやると、トライアンファイターが咲いている。



6月22日に、京都龍谷大学で開催された、
アフラシア平和開発研究センターと朝日新聞社大阪本社主催の
「朝日・大学パートナーズシンポジウム
Who Cares? 誰が私たちの面倒をみるの?―介護現場のいま
誰が私たちの面倒をみるの?」に、
アジアの女性たちの支援をしている友人と二人で出かけた。

 
6/20Who Cares?介護現場のいま-パートナーズシンポ(5/29)

シンポジウムの最後に「28日(日曜日)の朝日新聞に載る」と予告されたので、
日曜日の新聞を隅々まで捜したのだけど、名古屋本社版には出てなかった。

そのシンポジウムの記事が、敦賀の朝日新聞には掲載されたらしい。
ということで、友人のはるみさんにFAXで送ってもらった。

うわっ、新聞一面のすごくでっかい記事。
一枚では入りきらないので、A3二枚上下に分けて届いた記事を
組み替えて、左右二枚に分けてアップ。

介護職場に魅力・誇りを

朝日新聞(大阪本社版) 2009.6.28


新聞記事はwebにアップされていないようなので、
上野千鶴子さんの基調講演だけ紹介しますね。

 <基調講演>上野千鶴子さん  
海外依存、送り出し国に代償
 

 介護の人手不足が問題となり、ケアの担い手が日本に移動するということが起きている。だが、人手不足はつくられた社会問題だ。責任が重く、夜勤もあるのに低賃金で離職率が高い。介護福祉士有資格者の休眠人材は30万人もいる。悪条件で働く人はいない。だから外国人頼み、とは短絡的だ。
 今回の外国人ワーカーは政府間の経済的な取引で生まれた。日本製品をアジアで売る見返りにアジア諸国が「輸出」したい人材を受け入れる。滞在期間は上限4年。この間に国家試験に合格すれば無期限に滞在できるが、不合格なら帰国と条件は厳しい。日本政府は一人260万円を負担するが、税金から出たこのお金の使い道は政府外郭団体での研修費だ。一方、施設側は一人60万円のほか研修費用なども負担する。外国人は業務日誌の読み書きなど情報伝達が難しく、介護・看護事故のリスクもある。
 日本人の離職率が高い中、4年間辞めない人材を確保できる利点もある。だが、教育や福祉コストをかければ施設側は4年以上働いてもらいたいだろう。4年後の外国人の国家試験の合格率をどう想定するのか。政府は真剣に考えているのだろうか。
 今後保険外市場が拡大し、安い価格でのサービス需要は増えるだろう。高価格サービスは日本人有資格ワーカーに、低価格サービスは無資格ワーカーや外国人に、という介護労働市場の二重化が進むかもしれない。けっきょくは価格破壊につながり、介護保険制度の空洞化が進む。施設建設など費用は日本よりアジアの方が安い。ワーカーが日本に移動するのではなく「日本の高齢者を輸出する」時代が来るかもしれない。
 介護のグローバル化がもたらすのはケアの連鎖だ。先進国の介護のため、外国の優秀な人材を使う。その人の母国の家族の介護を担うのは農村からの出稼ぎワーカー・・・。その連鎖の先には介護崩壊があり、私たちはその一環にいる。日本人の老後の安心の代償が、送り出し国のケアの崩壊であっていいのか。
 外国人に来てもらう以上は日本人と同一の処遇・保険を受ける権利を保証する必要がある。それ以前に、介護の人手不足解消のためにケア労働者の処遇改善が真っ先になされるべきだ。
(朝日新聞 2009.6.28)


上野さんの「インドネシア人看護師・介護士のゆくえ」の新聞コピーが
当日の配布資料の中に入っていたのですが、全文が
ウイメンズアクションネットワーク(WAN)サイトに紹介されています。

『月曜評論』上野 千鶴子(信毎090319)
インドネシア人看護師・介護士のゆくえ(WAN)



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以下に、来日した介護研修生の関連の新聞記事を紹介します。

資格取得に言葉の壁 インドネシア人介護研修生、来県4カ月
徳島新聞 2009/6/5

 日本とインドネシアの経済連携協定(EPA)に基づき来日したインドネシア人の介護福祉士研修生が、24都府県の51施設で働き始めて約4カ月。徳島県内では社会福祉法人・健祥会グループの特別養護老人ホーム2施設で計8人が、3年後の介護福祉士の国家試験合格を目指して業務に励んでいる。人手不足に悩む介護現場にとって、新たな労働力として期待される外国人介護福祉士。しかし、言葉の壁は高く、資格取得の道は平たんではない。(社会部・佐藤陽香)
 女性2人と男性3人の研修生を受け入れている吉野川市川島町の水明荘。「薬飲めますか」「はい、水どうぞ」。女性研修生のヤニ・オクタフィヤニさん(22)が、入所者のお年寄りに日本語で優しく声を掛ける。5人の日常会話や介護技術は次第に様になってきたが、言葉の聞き取りには不安が残る。
 特に方言。入所者に「今日はぬくいな」と言われ、戸惑って聞き返す。ほかにも「どないしよん」「ほなけんど」など、研修生にとって耳慣れない言葉が多い。というのも、昨年8月に来日後、半年間にわたって受けた日本語研修は標準語が基本だったからだ。

 チャンスは1度
 現場では難しい介護の専門用語も多く、それを理解することも大きな課題。方言や専門用語は常時携帯しているメモに書き留め、毎日夕方の日本語研修で確認して覚える努力をしている。
 3人の男性研修生が働く牟岐町の緑風荘も、同じ課題を抱える。研修生は日本語での国家試験に合格しなければ、帰国しなければならないという厳しい条件が課せられている。日本人の合格率も約50%と狭き門の上に、チャンスは一度だけ。高いハードルに募る不安を抑えつつ、アリフ・バスミンさん(23)は「頑張って勉強するしかない」と力を込める。
 一方、生活習慣の違いや入所者との交流面では互いの理解が進み、これといった問題は起きていないという。

 礼拝時間設ける
 来県中の研修生は全員がイスラム教徒で、1日に5回の礼拝を日課としている。健祥会は受け入れ時の契約内容に、研修生が業務時間内に行う2回の礼拝のために休憩時間を設けることを盛り込んだ。水明荘のフィトリ・ワフュニングシィさん(23)は「赴任先を選ぶ際、忙しい中でもお祈りできるかどうかを一番に考えていた。施設側の理解はありがたい」。
 東南アジアの人たちが持つ明るさで、入所者とうち解けるのも早かった。八木伊三男さん(98)は「よう仕事してくれる。感謝、感謝」と目を細める。
 財団法人の介護労働安定センターによると、低賃金・重労働とされる介護職の2007年度の離職率は21・6%で、全産業平均の15・4%を大きく上回る。国は介護職の処遇改善を図っているが、試算では14年までに新たに40~60万人の介護の人材が必要。介護現場の外国人労働者に対する視線は熱い。5月10日には、フィリピンからも介護福祉士と看護師の研修生283人が来日。県内では介護福祉士研修生11人が5施設で、看護師研修生1人が病院で就労する。
 水明荘の西岡義弘次長(62)は「研修生たちの介護技術に問題はない。言葉の壁を乗り越えて試験に合格し、今後の先駆けになってほしい」と期待する。研修生たちの頑張りには、施設側の温かい支援と理解が不可欠といえそうだ。
(徳島新聞 2009/6/5)



インドネシア人看護師・介護士、受け入れ人数が予定の2割
(2009年4月14日 読売新聞)

日本語教育 施設の「壁」に
 日本とインドネシアの経済連携協定(EPA)に基づき、日本の病院や施設が希望している今年度のインドネシア人看護師・介護士の受け入れ人数が、受け入れ予定(計約800人)の約5分の1にとどまっていることが分かった。
 日本語教育にコストがかかることなどが敬遠の理由と見られる。あっせん機関の国際厚生事業団は、今月3日までだった募集期間を延期し、病院や施設に個別に打診するなど、受け入れ先の確保に躍起になっている。
 インドネシア人看護師・介護士は2年で計1000人を上限に受け入れることになっている。第1弾の昨夏の来日は準備不足もあって計約200人にとどまったため、2年目の今年度は看護師約300人、介護士約500人を受け入れる予定。インドネシア側の希望者は数千人に上り、同国政府の書類審査を通過した約960人が今月下旬、ジャカルタ市内などで合同説明会に臨むことになっていた。
 しかし、日本側の受け入れ希望は今月1日現在、看護師が29病院・65人、介護士が45施設・104人の計169人。このため、同事業団では募集締め切りを今月3日から同20日に、合同説明会も来月に延期した。
 受け入れ希望が少ない背景には、EPAで来日する外国人看護師は3年、介護士は4年以内に日本語で国家試験に合格しなければ帰国を余儀なくされるという高いハードルがある。日本人と同等の給与を保証する一方で、日本語教育や試験勉強の時間を確保する必要があり、「コストに見合うだけの受け入れメリットがない」との声がある。
 東京都内の特別養護老人ホームの施設長は「日本語も仕事も専門の指導担当が必要で、人手不足の中では余裕がない」と昨年度に続いて受け入れを見送った理由を語る。一方、昨年度、インドネシア人看護師2人を受け入れ、今年度も希望している永生病院(東京)の宮沢美代子相談役は「今は病院の負担ばかり大きいが、介護、看護専門学校への入学者が減る中、長い目で見て優秀な人材を確保する必要があり、そのための先行投資だ」と話す。
 厚生労働省は、受け入れ負担が大きいとの指摘について「人材育成という制度の趣旨をまじめに考えて頂いた結果」(担当者)とするが、日本側の事情で「2年で上限1000人」の枠を大きく下回る事態は避けたいのも事実。「出来る限り受け入れ枠に近づけたい」(経済連携協定受入対策室)と、同事業団と協力して病院や施設に働きかけている。
 5月には、フィリピンからも来日する予定だが、看護師200人、介護士250人の受け入れ予定に対し、日本側の受け入れ希望はそれぞれ145人と301人。こちらも看護師では、受け入れ病院が不足している。
(2009年4月14日 読売新聞)



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