庭の西門の河津桜が満開になりました。
桜の中では早咲きですが、このところの暖かさに誘われて
一気に咲き進んで、いつもの年より早いです。
河津桜が好きで、伊豆を旅行した時に苗を見つけて、
ここに植えてから10年以上になります。
年々花が多くなって見事です。
紅白のしだれ梅も満開になっています。
南高梅は散り始め。
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社説:分からぬものに備える 3・11から10年 2021年3月9日 中日新聞 戦後最悪、二万二千人余の犠牲者を出した東日本大震災から十年を迎えます。有無を言わせぬほどの破壊的な揺れと津波にわれわれの日常は打ち砕かれました。その後も日本列島を襲う地震や豪雨、土砂災害、台風、コロナ禍など以前と比較にならぬ自然の脅威は、価値観の変容を私たちに迫っているようにも感じます。 地震予測はできるのか 駿河湾から四国沖に延びる南海トラフ沿いでは、マグニチュード(M)8〜9級の地震、いわゆる南海トラフ巨大地震が起きると言われています。静岡県以西の広範囲で激しく揺れ、津波が発生し、首都圏などでも高層ビルを大きく揺らすような長周期地震動が懸念されます。政府は今後三十年以内の発生確率を70〜80%と算定し、いずれも最大値で、津波の高さ三〇メートル、死者三十万人、経済被害二百二十兆円と想定しています。 中央防災会議の調査部会は東日本大震災後の二〇一三年、「現在の科学的知見からは(南海トラフ)地震の規模や発生時期を高い確度で予測することは困難」とする報告をまとめました。座長を務めた山岡耕春名古屋大教授は「予測できるか、否かではなく、確率論に変わった」と語ります。 南海トラフ沿いでは飛鳥時代の白鳳地震(六八四年)から終戦を挟む昭和東南海地震(一九四四年)や昭和南海地震(四六年)まで、百〜二百年ごとにM8級の地震が起きたとされます。いつか来る。でも正確な時期の予測は難しいというわけです。 識者間に計算方法などへの異論もあるようですが、南海トラフ地震の発生確率は一八年、従来の「70%」から「70〜80%」に引き上げられました。その確率は今日より明日、今年より来年のほうが確実に高くなるそうです。 「80%」と言われても 「70%」であれ、「70〜80%」であれ、その意味を具体的にイメージするのは誰にとっても難しい。「いつか来るのだろう」程度の受け止め方しかできないのが正直なところでしょう。見えないもの、分からないものに備えるのは容易ではありません。しかし、だからといって妙な諦めにとらわれてはまずい。できることがないわけでも、座して待つほかないというわけでもないでしょう。 政府の地震本部や日本地理学会、自治体のホームページからは住んでいる地域の地震発生確率やハザードマップを見ることができます。まだいまひとつ分かりにくい点はあるのですが、十年前と比べて、その情報量は格段に増えました。まずは自宅近くのハザードマップを手に近所を回ってみませんか。津波や洪水が来るとしたらどこからなのか、想像してみるのも有効でしょう。 福島県沖で先月起きたM7・3の地震では幸いなことに大きな被害は出ませんでした。自宅の本棚や食器棚を突っ張り棒で固定するなど、十年前の教訓を生かした「日ごろの備え」や「日々の積み重ね」が功を奏した面も大きいはずです。 いまできる最善の策を常に考えながら前に進むしかない。行政も同じです。大事なのは、知り得た情報を積極的に開示する姿勢であり、発生時の被害をいかに最小限に抑え、いち早く日常を回復させるかという考え方です。 愛知県は中京圏全体をカバーできる防災拠点を名古屋高速道路の出入り口に近い県営名古屋空港の隣接地(豊山町)に整備すると決めました。ふだんは公園や消防学校として使い、災害時は県外から自衛隊や消防、警察、職員らを受け入れ、物資を運び込む基地にもなります。ボランティアの拠点としても使えます。老朽化した県と名古屋市の消防学校を統合して新築し、教官や隊員らが二十四時間常駐する体制を二五年度までに整える見込みです。 十年前、被災地では人や物の受け入れに課題を残しました。どこへ駆け付けていいのか分からないボランティアや、被災者に届かない支援物資も多く出ました。広域防災拠点では人、物をいったん集約し、隣県を含めて被災の最前線に送り込むという構想です。 常に最善策を模索する 国は既に、首都圏では東京湾臨海部の「有明の丘地区」(東京都江東区)と「川崎港東扇島地区」(川崎市)に、関西圏では「堺泉北港堺2区」(堺市)に広域防災拠点を整備しています。中京圏としても長年、国に要望してきましたが、南海トラフ地震に襲われる中心地にもかかわらず、なかなか実現に至りませんでした。 愛知県は結局、甚大な被害想定に鑑み、原則自前で整備する構想に大転換しました。地域の中核自治体としての自覚と、もはや待ったなしの状況という切迫感が根底にあるのです。どんな条件の下でも、できる中で最善の策を施す−。その一つの例だと思います。 |
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