小梅の枝が伸びすぎているので、
花が終わったのを見計らって、
太い枝を剪定しました。
高さ4,5mになっている枝を切り詰める予定で、
チェンソートと太枝切りで切ってもらいました。
満天星ツツジの上に伸びていた三本の枝を、
半分くらいの高さににしました。
北側は花が多い枝を残してあるので、
梅の収穫が終わった6,7月頃に
徒長枝を切って形を整えるつもりです。
マンサクも徒長枝がたくさん伸びていたので剪定。
万作の後ろのマホニアも花穂から種ができる前に、
思い切ってバッサリ切りました。
他の木も順番に切って、たいぶスッキリしました。
大きくなり過ぎていたサザンカも
高枝切りの届くところまで透かし剪定。
お隣の利休梅がもうすぐ開花します。
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満天星ツツジの上に伸びていた三本の枝を、
半分くらいの高さににしました。
北側は花が多い枝を残してあるので、
梅の収穫が終わった6,7月頃に
徒長枝を切って形を整えるつもりです。
マンサクも徒長枝がたくさん伸びていたので剪定。
万作の後ろのマホニアも花穂から種ができる前に、
思い切ってバッサリ切りました。
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社説)津波被災地の10年 「主役は住民」の理念新たに 2021.3.11 朝日新聞 復旧ではなく復興。それも「21世紀半ばにおける日本のあるべき姿」をめざした「創造的復興」に取り組む――。 10年前に打ち出された理念のもと、多くの人がそれぞれに努力を重ねてきた。そしていま、被災地には光と影が交錯する。 祈りの日のきょう、津波の被害を受けた宮城県のまちの、この間の歩みと苦悩をたどることを通して、その向こうにある明日の日本のあり方を考える。 ■「安全なまち」の代償 高さ10メートルの防潮堤に、山を削って海抜20メートルの高台に造られた住宅地。挟まれた土地のかさ上げも行われ、石巻市雄勝(おがつ)地区は「千年に一度」の大津波に耐えられるまちに生まれ変わった。 同時に多くのものを失った。工事が長引く間に、住まいを移す住民が相次いだ。震災前に約4300人だった人口は4分の1に減り、65歳以上の高齢化率は57%に達する。 創造的復興とともに掲げられた「地域・コミュニティー主体の復興」はかなわなかったと、唇をかむ人も少なくない。 手をこまぬいていたわけではない。震災2カ月後に「まちづくり協議会」を発足させた。復興を急がなければ地元を離れる人が増えてしまう。そんな危機感から、夏には、時間のかかる防潮堤整備ではなく高台への移転方針を固めた。 だが、合併で広くなった市内各地の仮設住宅にばらばらに入居した住民をまとめるのは至難の業だった。その日を過ごすのにみな精いっぱいで、先々のことを考える余裕はなかった。 現地での再建も認めるべきだとの声が出始め、県が防潮堤の建設を提起すると意見はさらに割れた。翌夏に現地派は協議会を外され、高台移転と防潮堤のセット案が市から示された。 異論を唱える人には市幹部が説得に回り、徐々に少数派に。行政の方針にあらがえない状況がつくられていった。副会長だった高橋頼雄さん(53)は「住民の話し合いの場のはずが、役所が決めたことを認めさせる場になってしまった」という。 巨大な防潮堤とともに、まちには深い傷が刻まれた。「これはめざした復興ではない」。高橋さんらの悔恨は尽きない。 ■震災前からの蓄積 県の意向を住民が押し返した例もある。 気仙沼市はカツオの水揚げ日本一を誇る水産のまちだ。ここでも防潮堤が問題になった。 県が示した計画ではその高さは6メートル余。造り酒屋の菅原昭彦さん(58)らを中心に「防潮堤を勉強する会」を立ち上げた。「いくら大きなものを造っても津波は防げない。基本は避難。海と呼吸を合わせて生きてきた私たちは、海が見えなくなる怖さを知っている」と訴え、協議は震災3年後まで続いた。 ここでも、絶対反対の人もいれば復興を急ぐべきだという意見もあった。賛否を戦わすのではなく、情報を共有し、様々な選択肢を提案・検討する。そんなやり方で時間をかけて議論した結果、かたくなだった県も態度を変えた。堤の上部を可動式にすることで高さは2メートル低くなり、海への視界も守られた。 震災前から市民参加のまちづくりに取り組み、合意をどう取りつけるかを学び、実践してきたことが役に立った。自然や伝統を大事にしながら持続可能な地域をめざすスローフード運動を通じて、住民間の関係を深めていたことも大きかった。 ■「そのとき」に備える 国や自治体に流されず住民として最適解を出す。理想はそうであっても、被災後の混乱と不安の中で実践する難しさを、東日本大震災は浮き彫りにした。地域がもともと持つ経済力なども影響するが、決め手になるのはやはり人であり、日ごろの活動で鍛えた足腰であることを、気仙沼の経験は教える。 津波被災地のインフラ整備は間もなく終わる。だが災害は繰り返し襲ってくる。3・11後、実際に災害が起きたらどう対処するかを、住民と自治体が協力してあらかじめ計画しておく「事前復興」の考えが、南海トラフ地震の想定地域をはじめとして各地に広がる。 いつか来る「そのとき」に備え、ふだんから地域の結びつきを確かにして、命をつなぐ策を講じ、まちを立て直す力を蓄える。この列島に生きるすべての人に共通する課題だ。人口減や高齢化が進んで、地方には地方の、都市部には都市部の悩みがあるが、ねばり強く地道に取り組むほかない。 南三陸町のさんさん商店街の山内大輔会長(42)は「地元の資源を生かし、背伸びはしない。それでも、そこにしかないものがあれば人はおのずと集まる」と話す。豊かな海産物と各店一体となった運営が人気を呼び、コロナ下の昨年も50万人の観光客が訪れ、人口1万2千人の町を牽引(けんいん)している。 まちづくりの主役はあくまで住民であり、国や自治体はそれを後ろで支えるのが役目だ。この10年の試行錯誤を社会全体で共有して将来につなげたい。 |
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